【馴れ初め】2人を結びつけたのは玉置浩二が作曲した「胸の振子」
薬師丸ひろ子と玉置浩二の関係を語るうえで欠かせないのが、楽曲を通じた出会いです。
2人の縁をつないだとされるのは、薬師丸ひろ子のシングル曲「胸の振子」。玉置浩二が作曲を担当した作品で、1987年にリリースされました。
玉置浩二は、安全地帯のボーカリストとして「ワインレッドの心」「恋の予感」などのヒット曲を生み出していた時期です。一方、薬師丸ひろ子も映画女優としてだけでなく、歌手として確固たる人気を築いていました。
仕事を通じて音楽的な接点を持った2人は、やがて交際し、結婚へと進んでいきます。
芸能レポーターの石川敏男氏も、FRIDAYデジタルの回顧記事で「胸の振り子」が結婚のきっかけになった楽曲だったと振り返っています。
結婚を決意した2人の関係

1991年の結婚発表当時、2人はともに人気と実力を兼ね備えた著名人でした。
映画界で活躍する薬師丸ひろ子と、独特の歌声で音楽ファンを魅了する玉置浩二。異なる分野で活躍する2人の結婚は、芸能ニュースとして大きく取り上げられました。
交際から結婚に至るまでの詳細な経緯や、交際開始の正確な年月日については、広く確認できる公式記録が限られています。ただし、音楽を通じて知り合ったという背景は、当時を知る関係者の回顧にも登場しています。
【1991年結婚】ハワイ・マウイ島で挙げた結婚式と夫婦生活

2人が結婚したのは1991年1月です。
挙式の場所は、ハワイ州マウイ島。海外での結婚式は当時の芸能ニュースでも大きな注目を集めました。
FRIDAYデジタルに掲載された芸能レポーターの回顧によると、結婚式当日、薬師丸ひろ子は父親に手を引かれて教会のバージンロードを歩きました。
式の後、玉置浩二はカパルア・ベイ・ホテルで報道陣の取材に応じ、薬師丸ひろ子の美しさに感動したことや、夫婦として一緒に歩んでいきたいという思いを語っています。
当時の玉置浩二が薬師丸ひろ子への愛情を公に示していたことが分かるエピソードです。
結婚生活では薬師丸ひろ子が家庭を支えた?

結婚当初の薬師丸ひろ子は、女優・歌手としての活動だけでなく、家庭生活にも重きを置いていたと伝えられています。
FRIDAYの回顧記事では、玉置浩二の音楽活動を支えるため、薬師丸ひろ子がコンサート会場で働く姿も見られたと紹介されています。
一方、玉置浩二は安全地帯やソロ活動を通じて音楽制作に取り組んでいました。
結婚によって生活環境が変わった2人にとって、家庭と仕事のバランスをどう取るかは大きなテーマだったと考えられます。
ただし、結婚当初の生活を一方的に「薬師丸ひろ子が芸能活動をすべて諦めた」と理解するのは正確ではありません。彼女はその後も女優・歌手として活動を続けています。
ハワイ挙式と入籍時期には違いがあった?
興味深いのは、ハワイでの挙式と日本での入籍時期について、報道に違いがあることです。
FRIDAYの石川敏男氏は、挙式から約1年半後に婚姻届を提出したとする当時の事情を回顧しています。
その背景として、薬師丸側が玉置に婿養子になることを望んでいたものの、意見が一致しなかったという話も紹介しています。
ただし、この説明は芸能レポーターによる回顧記事の内容であり、当事者が公式に発表した詳細な経緯ではありません。
そのため、一般に使われる「1991年結婚」という表現は、まず1991年のハワイ挙式を指すものとして理解すると、時系列を混同しにくくなります。
【離婚理由の真相】1998年6月5日に突然発表された別れ
薬師丸ひろ子と玉置浩二が離婚を発表したのは、1998年6月5日です。
結婚から約7年半が経過していました。
この離婚発表が大きな話題になった理由は、発表のタイミングと場所にもあります。
離婚発表は薬師丸ひろ子の誕生日パーティー
1998年6月5日、東京都内のホテルで薬師丸ひろ子の誕生日を祝うパーティーが開催されました。
招待客には芸能・音楽関係者など約100人が集まり、華やかな会となっていたとFRIDAYデジタルが報じています。
司会を担当したのは、夫である玉置浩二でした。
玉置は「ワインレッドの心」などの楽曲を披露し、2人の結婚のきっかけになった「胸の振子」も歌ったといいます。
しかし、パーティーの終盤で状況が一変します。
玉置が突然、2人の別れを発表したのです。
2023年のアサ芸プラスに掲載された取材記事では、当時の発言について次のように紹介されています。
「長い間話し合って、生き方を別々にすることにしました。心はすごく通じ合っているし、これからも通じ合うことでしょう」
薬師丸ひろ子も玉置の隣で離婚について説明し、婚姻届についてはこれから提出するという趣旨の話をしたと伝えられています。
その場にいた招待客にとっては、予想外の発表でした。
なぜ離婚した?報道された3つの背景
2人の離婚について、当事者が詳細な理由を公表した記録は限られています。
一方、当時の報道や後年の芸能レポーターによる回顧には、いくつかの背景が登場します。
1.生活環境や価値観の違い
FRIDAYの回顧記事では、薬師丸ひろ子の両親との同居や、玉置浩二の生活環境について触れられています。
玉置は音楽制作に集中する環境を必要としていた一方、家庭内での暮らし方については夫婦間で調整が必要だったとする内容です。
ただし、こうした事情が離婚の直接的な原因だったと当事者が認めたわけではありません。
2.婿養子をめぐる意見の違い
同記事では、薬師丸側が玉置に婿養子になることを希望していたものの、玉置が受け入れなかったという話も紹介されています。
結婚後の姓や家族との関係は、夫婦の生活設計に関わる問題です。
ただし、これも芸能レポーターによる当時の事情の回顧であり、確定した離婚理由として扱うことはできません。
3.夫婦としての生活のすれ違い
同じ記事では、玉置の仕事部屋をめぐる問題や、夫婦が別々に暮らすようになったという経緯も伝えられています。
仕事に打ち込むミュージシャンと、家庭や女優業を両立する薬師丸。生活のペースや求める環境に違いが生まれていた可能性があります。
これらの報道を総合すると、単純な一つの出来事ではなく、生活環境や価値観の違いが積み重なったという見方ができます。
離婚が成立したのはいつ?
ここは検索時に間違えやすいポイントです。
1998年6月5日は、2人が離婚を公表した日です。
当日の発表では、婚姻届についてこれから提出するという説明があったと報じられています。
したがって、1998年6月5日をそのまま法的な離婚成立日と断定するのは適切ではありません。
一般的な芸能報道では1998年6月に離婚したと整理されていますが、発表日と戸籍上の手続きの日付は区別して理解する必要があります。
【子供・現在の関係】復縁説や18年目の和解報道を検証
離婚から長い年月が経過した現在も、2人について検索されるのが「子供はいるのか」「現在も連絡を取っているのか」「復縁する可能性はあるのか」という疑問です。
それぞれを整理します。
薬師丸ひろ子と玉置浩二の間に子供はいる?
2人の間に子供はいないとされています。
少なくとも、2人の子供の誕生を伝える公表情報や主要メディアの報道は確認されていません。
また、子供の名前や年齢、家族構成について具体的な情報が公表されているわけでもありません。
インターネット上には玉置浩二の過去の結婚相手との間に子供がいるという情報もありますが、別の結婚相手の話と薬師丸ひろ子との結婚生活を混同しないことが大切です。
離婚後、2人は絶縁していた?
離婚後の2人の関係については、2016年に注目すべき報道がありました。
ライブドアニュースが2016年11月28日に掲載した記事では、離婚から約18年が経過した2人について「18年目の和解」とする芸能関係者の話が紹介されています。
同じ時期、薬師丸ひろ子は映画音楽のカバーアルバム『Cinema Songs』をリリースしました。
収録曲には、玉置浩二が作曲・歌唱した「コール」が含まれていました。
「コール」は1993年に発表された楽曲で、薬師丸ひろ子の主演映画『ナースコール』の主題歌です。
元夫が手がけた楽曲を、自身のアルバムに収録したことは、2人の過去を知るファンにとっても印象的な出来事でした。
2021年には玉置浩二の楽曲をテレビでカバー
さらに、2021年12月にはNHK BSプレミアムの音楽番組『The Covers』に薬師丸ひろ子が出演しました。
番組では玉置浩二の「コール」をカバー。
オリコンニュースによると、薬師丸はこの楽曲について、コロナ禍の今だからこそ届けたいメッセージがあると説明し、玉置を音楽家・ボーカリストとして尊敬していることも語っています。
この発言は、離婚後も玉置の音楽的才能を高く評価していることを示すものです。
ただし、音楽家としての尊敬と、元夫婦としての復縁は別の話です。
2人の関係を時系列で整理
ここまでの情報を一覧にすると、次のようになります。
復縁説は本当なのか?
結論からいえば、2026年11月1日現在、2人が復縁した、あるいは再婚を予定していると確認できる公的発表はありません。
復縁説が生まれた背景には、2016年の和解報道や、2021年の「コール」のカバーがあります。
しかし、これらは音楽的なつながりや過去の関係についての話題であり、恋愛関係の復活を裏付ける証拠ではありません。
むしろ注目したいのは、離婚後も薬師丸ひろ子が玉置浩二の作品を歌い、その音楽的な才能を評価している点です。
過去の結婚生活を否定することなく、音楽家としての敬意を示していることが、2人の現在を理解するうえで重要なポイントです。
【玉置浩二の歴代結婚相手】薬師丸ひろ子以外の結婚歴も整理
薬師丸ひろ子との結婚を調べると、玉置浩二の歴代結婚相手についても気になる人が多いようです。
日刊スポーツが2010年に報じた女性遍歴の記事などを参考にすると、玉置の結婚歴は次のように整理できます。
玉置浩二の主な結婚歴
1人目:一般女性
玉置浩二は1983年に同郷の一般女性と結婚し、1986年4月に離婚したと日刊スポーツが報じています。
相手は一般人であり、詳細な個人情報は公表されていません。
2人目:薬師丸ひろ子
1991年に結婚し、1998年6月に離婚を発表しました。
映画女優と人気ミュージシャンの結婚として、当時の芸能界でも注目された夫婦です。
3人目:安藤さと子
玉置浩二は1999年12月、歌手・キーボード奏者の安藤さと子と結婚しました。
2人は1995年の玉置のツアーに安藤がキーボード奏者として参加したことをきっかけに知り合ったとされています。
しかし、2007年12月に離婚。
玉置は公式サイトで、生活スタイルの違いなどを理由に、話し合ったうえで選んだ道だという趣旨のコメントを発表したと日刊スポーツが伝えています。
4人目:青田典子
2010年7月16日、玉置浩二はタレントの青田典子と結婚しました。
2人はそれぞれの公式サイトなどで結婚を発表。北海道旭川市で婚姻届を提出したことも明らかにされました。
青田典子は結婚発表時、2人で生きていくことを決意したという趣旨のコメントを出しています。
なお、2009年には女優の石原真理との再婚をめぐる報道もありました。ただし、婚姻届の受理や法律上の婚姻成立については当時から異なる見解が報じられているため、確定した法律婚と同列に扱うのは注意が必要です。
玉置浩二の結婚歴から見えること
玉置浩二は音楽家として長いキャリアを持つ一方、私生活でも複数の結婚や離婚を経験してきました。
ただし、それぞれの結婚には異なる経緯があります。
薬師丸ひろ子との結婚は、音楽を通じた出会いがきっかけでした。安藤さと子との結婚では音楽活動を通じた仕事上のつながりがあり、青田典子とは過去の交際を経た再会が結婚につながっています。
一連の結婚歴を単純に比較するより、それぞれの時期の本人の発言や公式発表を分けて理解することが大切です。
【2026年最新】薬師丸ひろ子と玉置浩二の現在は?
2026年現在、薬師丸ひろ子と玉置浩二は、それぞれ歌手・アーティストとして精力的に活動しています。
2人の関係について新たな復縁発表などは確認されておらず、現在の活動はそれぞれ独立したものです。
薬師丸ひろ子は歌手活動45周年
2026年、薬師丸ひろ子は歌手活動45周年を迎えました。
1981年11月21日、シングル「セーラー服と機関銃」で歌手デビューしてから45年という節目です。
所属レーベルのビクターエンタテインメントは、記念作品としてオーケストラベストアルバム『ORCHESTRAL JEWELS』を発表しています。
発売予定日は2026年11月21日。
「セーラー服と機関銃」「探偵物語」「メイン・テーマ」「Woman “Wの悲劇”より」など、これまでの代表曲をフルオーケストラアレンジで新たに録音した作品です。
また、2026年9月からは全国18都市21公演のコンサートツアー「薬師丸ひろ子 Concert Tour 2026 ~明日が来る~」を開催しています。
ツアーは11月29日の東京国際フォーラム公演まで続く予定です。
玉置浩二は2026年も全国ツアーを開催
玉置浩二も音楽活動を継続しています。
1982年に安全地帯としてデビューし、「ワインレッドの心」「恋の予感」「悲しみにさよなら」などの楽曲で人気を確立しました。
ソロ活動では「田園」「メロディー」などを発表し、オーケストラとの共演にも取り組んできました。
2026年には「玉置浩二 with 故郷楽団 Concert Tour 2026 ファンファーレ!!」を開催。
日本コロムビアの公式公演情報によると、11月4日と5日には東京・日本武道館で公演が予定されています。
2025年にはTBS系日曜劇場『ザ・ロイヤルファミリー』の主題歌「ファンファーレ」も話題になり、現在も幅広い音楽活動を続けています。
玉置浩二の現在の妻は青田典子
玉置浩二は2010年に青田典子と結婚しており、2026年も夫婦としての様子が報じられています。
2026年10月14日には、テレビ朝日系のニュースで青田典子が公開した玉置との夫婦写真が取り上げられました。
青田が自身の誕生日を祝ってもらった際の写真で、夫婦の近況が紹介されています。
こうした報道からも、玉置浩二が現在、薬師丸ひろ子と復縁したという情報とは明確に区別する必要があります。
薬師丸ひろ子は離婚後に再婚した?
薬師丸ひろ子については、玉置浩二との離婚後の私生活に関するさまざまな情報がインターネット上にあります。
しかし、2026年現在、所属レーベルの公式プロフィールや活動情報で中心となっているのは、女優・歌手としての仕事です。
私生活については公表情報が限られており、交際相手や再婚について、確定情報として扱える本人・所属先の発表は確認できません。
そのため、再婚している、あるいは特定の人物と結婚していると断定するのは避けるべきです。
【薬師丸ひろ子と玉置浩二】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:薬師丸ひろ子と玉置浩二は何年に結婚しましたか?
A1:1991年1月にハワイのマウイ島で挙式しました。一般には1991年の結婚として知られています。
Q2:薬師丸ひろ子と玉置浩二の離婚理由は何ですか?
A2:当事者から詳細な離婚理由が公式に説明されたわけではありません。報道では生活環境や価値観の違い、別居などが背景として取り上げられています。
Q3:2人の間に子供はいますか?
A3:2人の間に子供はいないとされています。子供の誕生を伝える公表情報や主要メディアの報道は確認されていません。
Q4:薬師丸ひろ子と玉置浩二は現在復縁していますか?
A4:2026年11月1日現在、復縁や再婚を裏付ける公式発表はありません。2016年の和解報道や2021年の楽曲カバーはありますが、恋愛関係の復活を示すものではありません。
Q5:玉置浩二の現在の妻は誰ですか?
A5:2010年に結婚した青田典子です。2026年10月にも夫婦の近況が報じられています。
まとめ:薬師丸ひろ子と玉置浩二の結婚・離婚から現在まで
薬師丸ひろ子と玉置浩二は、音楽をきっかけに出会い、1991年1月にハワイ・マウイ島で挙式しました。
その後、約7年半の結婚生活を経て、1998年6月5日に離婚を発表しています。
離婚の背景には、生活環境や価値観の違いなどがあったとする報道がありますが、当事者が詳細な理由を公式に明らかにしたわけではありません。
また、2人の間に子供はいないとされ、2016年の和解報道や2021年の楽曲カバーが復縁の証拠になるわけでもありません。
2026年現在、薬師丸ひろ子は歌手活動45周年を迎え、全国ツアーや記念アルバムの制作に取り組んでいます。一方、玉置浩二も安全地帯やソロで培った音楽活動を続け、青田典子との結婚生活を送っています。
【プロの結論】
この2人の歴史から読み取れるのは、結婚生活の終わりと、相手の才能や作品への評価は必ずしも同じものではないということです。
薬師丸ひろ子が離婚後も玉置浩二の「コール」を歌い、その音楽性を評価していることは、過去の関係を単純な成功・失敗だけで捉えられないことを示しています。
芸能人の結婚や離婚に関する情報を見極める際には、次の3点が重要です。
- 本人の発表と週刊誌の推測を区別すること。
- 挙式日・婚姻届提出日・離婚発表日を混同しないこと。
- 元配偶者の作品を評価したことと、復縁したことを同一視しないこと。
1991年の華やかなハワイ挙式から2026年の現在まで、2人はそれぞれ違う人生を歩んできました。夫婦としての関係は終わっても、音楽を通じて結ばれた縁は、今も多くのファンの記憶に残っています。