全国高等学校野球選手権地方大会とは?49大会の仕組みと歴代の変遷を徹底解説
全国高等学校野球選手権地方大会は、夏の甲子園として親しまれる全国高等学校野球選手権大会への出場校を決める大会です。2026年の第108回大会でも、北海道の北北海道・南北海道、東京の東東京・西東京、その他45府県という構成で、全国49代表校を選出する仕組みが採用されています。
現在の49大会という制度は、最初から存在したわけではありません。かつては複数の府県が一つの地域大会に参加し、その優勝校だけが甲子園に進む時代がありました。1958年の第40回大会をはじめとする記念大会での一府県一代表制、北海道と東京の分割、1977年までに姿を消した歴史的な地方大会など、制度は長い時間をかけて変化しています。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 49大会の内訳:北海道2大会、東京都2大会、その他45府県が各1大会で構成される。
- 制度の転換点:1958年、1963年、1968年、1973年、1978年の記念大会で一府県一代表の仕組みが導入・拡大された。
- 歴史的な変化:北海道は1959年、東京は1974年にそれぞれ2代表制となり、1978年から現在につながる49代表制が定着した。
【基本解説】全国高等学校野球選手権地方大会とは?2026年の49大会の仕組み
全国高等学校野球選手権地方大会は、全国高等学校野球選手権大会に出場する代表校を決めるため、各地域で開催される高校野球の大会です。
一般には「夏の甲子園予選」と呼ばれますが、正式には地方大会という名称で運営されています。各大会は都道府県の高等学校野球連盟などが中心となって開催し、優勝した学校が全国大会への出場権を獲得します。
49大会は47都道府県からどのように構成されるのか

2026年現在の基本構成は、47都道府県を49の代表選出区域に分けたものです。
- 北海道:北北海道大会・南北海道大会の2大会
- 東京都:東東京大会・西東京大会の2大会
- その他の45府県:各府県で1大会ずつ開催
つまり、47都道府県から49校が全国大会に進むことになります。北海道と東京都だけが、それぞれ2つの代表選出区域を持っている点が特徴です。
この仕組みは2026年の第108回大会の開催要項にも明記されています。日本高等学校野球連盟によると、全国47都道府県で地方大会を実施し、北海道と東京都については南北・東西に分けて49代表校を決定します。
地方大会と甲子園本大会の関係

地方大会は、夏の全国大会に進むための最終的な競技機会です。各地域でトーナメントを勝ち上がり、最後まで勝ち残った学校が代表校となります。
2026年の開催要項では、地方大会は原則として土日や夏休みを利用して開催し、7月末までに代表校が決定するよう日程を組むことが定められています。
その後、代表校は兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で開催される全国大会に出場します。2026年の第108回大会は8月5日から22日までの18日間の日程で実施されました。
【地域別の理由】北海道・東京が2大会に分かれているのはなぜ?
全国49大会の仕組みを理解するうえで欠かせないのが、北海道と東京都の歴史です。どちらも地域を二つに分けていますが、分割された時期は異なります。
北海道は1959年から北北海道・南北海道に分割
北海道が南北2代表制になったのは、1959年(第41回大会)です。
北海道は面積が広く、地域によって学校間の移動距離も大きく異なります。道内の高校が一つの大会で代表権を争う方式では、移動や競技運営の負担が大きくなるという地域特有の事情がありました。
そこで1959年から北北海道と南北海道に分割され、それぞれの代表校が甲子園に進める方式になりました。
現在もこの制度は継続しており、旭川、北見、釧路などを含む北側の地域と、札幌、函館などを含む南側の地域で、それぞれ代表校を決定しています。具体的な所属支部や境界は大会ごとの区分に従います。
東京は1974年から東東京・西東京に分割
東京都が東西2代表制になったのは1974年(第56回大会)です。
東京は高校野球の加盟校が多く、従来の一つの大会だけで代表校を決める方式では、参加校数が大きくなっていました。
東京都高等学校野球連盟の沿革によると、東西に分かれた初年度の参加校は、東東京が91校、西東京が82校でした。
この分割によって、都内の学校は東西それぞれの大会で甲子園出場を目指すことになりました。
現在も東東京大会と西東京大会は独立して開催され、それぞれの優勝校が全国大会に出場します。
北海道と東京の分割時期の違い
両地域の分割は同じ理由だけで行われたものではありません。北海道は広大な地域を考慮した分割、東京は参加校数の多さを背景とした分割という違いがあります。
この二つの分割が、その後の49代表制を形づくる重要な土台になりました。
【歴代の変遷】1958年・1963年・1973年・1978年の記念大会が制度を変えた
全国高等学校野球選手権地方大会の歴史を振り返ると、現在の制度を理解するために欠かせないのが5年ごとの記念大会です。
大会の節目には、通常とは異なる代表枠が設けられ、各府県の学校に甲子園出場の機会が広がりました。ただし、記念大会での一府県一代表と、1978年以降の恒常的な49代表制は区別する必要があります。
代表校決定制度の歴史年表
| 年・大会 | 主な出来事 | 制度上の意味 |
|---|---|---|
| 1958年・第40回 | 全都道府県から各1校、沖縄を含む47校が参加 | 記念大会で初めて47都道府県の代表がそろう |
| 1959年・第41回 | 北海道を南北に分割。地方大会の区割りも再編 | 北海道の2代表制が始まる |
| 1963年・第45回 | 第2回の記念大会を開催 | 一府県一代表の考え方を再び採用 |
| 1968年・第50回 | 球史半世紀を記念する大会を開催 | 48代表が参加 |
| 1973年・第55回 | 第4回の記念大会を開催 | 48代表が参加 |
| 1974年・第56回 | 東京を東西に分割 | 東京都の2代表制が始まる |
| 1977年・第59回 | 複数府県による地方大会が残る最後の時期 | 旧来の地域単位による代表選出が終わる |
| 1978年・第60回 | 全都道府県から代表校が参加。北海道と東京は各2校 | 現在につながる49代表制が定着 |
1958年の第40回大会:47都道府県から代表が集結
1958年の第40回大会は、夏の甲子園の歴史における大きな転換点でした。
40回記念大会として、沖縄を含む全国47都道府県から各1校が参加しました。日本高等学校野球連盟の大会小史にも、47校が参加したことが記録されています。
それまでの地方大会では、複数の府県が合同で代表を争う方式が広く採用されていました。第40回大会は、各都道府県に全国大会への出場機会を設けるという考え方を示した大会だったのです。
ただし、この時点ではまだ毎年の47都道府県代表制が確立したわけではありません。翌1959年には地方大会の区割りが再編され、北海道の南北分割など新たな仕組みが導入されました。
1963年・第45回大会と1968年・第50回大会
1963年の第45回大会は、2回目の記念大会です。日本高等学校野球連盟の大会小史によると、この時期には参加校数が2,000校を超える規模に拡大していました。
1968年の第50回大会では、球史半世紀を記念して48代表が参加しました。沖縄代表の興南が3勝して準決勝に進出したことも、この大会の特徴的な出来事です。
これらの大会は、各都道府県の代表機会を確保するという考え方を定着させる過程に位置付けられます。
1973年・第55回大会:48代表が参加
1973年の第55回大会も記念大会として開催され、48校が参加しました。
日本高等学校野球連盟の記録によると、この大会では1点差の試合が19試合、延長戦が8試合に達しました。決勝戦には5万8,000人が来場し、大会史上最多の観衆を記録しています。
この時期には、各府県を代表する学校が全国大会に進む仕組みが段階的に広がっていました。
1978年・第60回大会:49代表制が恒常化
現在の制度につながる最大の節目が、1978年の第60回大会です。
この大会では、全都道府県から代表校が参加し、北海道と東京都はそれぞれ2校、その他の府県は各1校という方式が採用されました。
これにより、47都道府県を基礎とした49代表制が定着しました。以降は、通常の年でも各都道府県から少なくとも1校が全国大会に出場できる仕組みとなっています。
なお、1978年の大会では参加校が3,000校を突破しました。全国的な高校野球の広がりと代表枠の整備が重なった、歴史的な大会だったといえます。
【歴史的な大会一覧】1977年までに消滅した地方大会はどこ?
現在の地方大会の名称や区割りを理解するには、かつて存在した大会の歴史も知っておく必要があります。
初期の全国高等学校野球選手権大会では、各都道府県が必ずしも独立した代表選出区域ではありませんでした。地域ごとに複数の府県が集まり、合同で全国大会への代表校を決定していたのです。
その後、参加校の増加や大会制度の変更によって、合同大会は分割・再編され、1977年までに姿を消していきました。
北海道・東北・関東地方で消滅した大会
北日本から関東にかけては、複数の県をまとめた大会が数多く存在しました。
- 北海道大会:北海道全体を対象とした旧大会。1958年まで続き、翌年から南北に分割。
- 東北大会:東北地方の複数県が参加した初期の大会。
- 奥羽大会:青森・秋田・山形などを対象とした時期がある大会。
- 北奥羽大会:青森・岩手を対象とした大会。
- 西奥羽大会:秋田・山形を対象とした大会。
- 関東大会:関東の複数県による初期の代表選出大会。
- 京浜大会:東京・神奈川を対象とした大会。
- 北関東大会:栃木・群馬などの組み合わせで実施。
- 南関東大会:埼玉・千葉などを対象とした大会。
- 東関東大会:茨城・千葉を対象とした大会。
- 西関東大会:埼玉・山梨を対象とした大会。
- 東京大会:1973年まで続いた旧来の東京都全体の大会。1974年から東西に分割。
北信越・東海・近畿地方で消滅した大会
中部や近畿でも、複数の府県が一つの代表枠を争っていました。現在の都道府県別大会とは異なる区割りが特徴です。
- 甲信大会:山梨・長野などを対象とした大会。
- 甲信越大会:山梨・長野・新潟を対象とした時期がある大会。
- 神静大会:神奈川・静岡を対象とした大会。
- 甲神静大会:山梨・神奈川・静岡を対象とした大会。
- 山静大会:山梨・静岡を対象とした大会。
- 北陸大会:富山・石川・福井などを対象とした大会。
- 信越大会:長野・新潟を対象とした大会。
- 北越大会:新潟・富山を対象とした大会。
- 東海大会:愛知・岐阜・三重などを対象とした初期の大会。
- 三岐大会:岐阜・三重を対象とした大会。
- 京津大会・京滋大会:滋賀・京都を対象とし、1956年に名称が京滋大会へ変更された。
- 関西大会:大阪・和歌山を対象とした初期の大会。
- 紀和大会:奈良・和歌山を対象とした大会。
- 福滋大会:福井・滋賀を対象とした大会。
中国・四国・九州地方で消滅した大会
西日本でも、複数府県による合同大会が長く続きました。特に四国や九州では、地域の組み合わせによって大会名が変わっていった歴史があります。
- 山陽大会:岡山・広島などを対象とした初期の大会。
- 山陰大会:鳥取・島根を対象とした大会。
- 東中国大会:岡山・鳥取などを対象とした大会。
- 西中国大会:広島・山口、後に島根・山口を対象とした大会。
- 四国大会:四国4県などを対象とした初期の大会。
- 北四国大会:香川・愛媛を対象とした大会。
- 南四国大会:徳島・高知を対象とした大会。
- 九州大会:九州の複数県を対象とした初期の大会。
- 北九州大会:福岡・佐賀・長崎などを対象とした大会。
- 南九州大会:熊本・宮崎・鹿児島などを対象とした大会。
- 東九州大会:大分・宮崎・鹿児島などを対象とした大会。
- 西九州大会:佐賀・長崎を対象とした大会。
- 中九州大会:熊本・大分を対象とした大会。
また、現在の日本の47都道府県とは異なる歴史的区分として、朝鮮大会・満洲大会・台湾大会も存在しました。これらは当時の日本の統治下にあった地域を対象とした大会であり、戦前の大会史を理解するうえで重要な記録です。
1977年が歴史上の区切りとなった理由
1977年(第59回大会)は、複数府県による地方大会が残っていた時代の最後の年に当たります。
例えば、奥羽大会、紀和大会、南四国大会、西九州大会などは1977年までにその役割を終えました。山陰大会も1975年から1977年にかけて再び実施された後、現在の県別大会へ移行しています。
これらの大会が消滅した背景には、代表校を都道府県単位で選出する制度への移行があります。従来の合同大会では、複数の府県から参加した学校が一つの出場枠を争っていましたが、制度変更後は各府県に独立した出場機会が与えられるようになりました。
ここでいう「消滅」は、野球大会そのものがなくなったという意味ではありません。複数府県を一つにまとめた代表選出区域が廃止され、都道府県別の大会へ再編されたという意味です。
【記念大会の代表枠】一府県一代表制と通常大会の違いを整理
高校野球の代表枠には、通常の49代表制とは異なる記念大会特有の仕組みもあります。
特に重要なのが、5年ごとの記念大会で実施された一府県一代表の方式と、10年ごとの大規模な記念大会で行われた追加代表枠の設定です。
一府県一代表制は何を目的に導入されたのか
一府県一代表制の基本的な考え方は、各都道府県の高校に全国大会への出場機会を確保することです。
複数府県が合同で代表枠を争う場合、参加校の多い地域でも少ない地域でも、同じ一つの出場枠を争うことになります。そのため、府県によっては甲子園出場への競争条件が大きく異なっていました。
記念大会で各府県から代表を選出する方式が採用されたことは、地域ごとの高校野球の発展を促す制度上の転換点になりました。
ただし、1958年の第40回大会と、その後の記念大会では北海道の分割状況が異なります。1958年は47校でしたが、1959年から北海道が南北2代表になったため、1963年、1968年、1973年の記念大会では48代表となりました。
10年ごとの記念大会では代表枠がさらに増える場合もある
5年ごとの記念大会に加えて、80回、90回、100回といった大きな節目には、参加校の多い都道府県で代表枠を増やす方式も採用されてきました。
- 1998年・第80回大会:北海道・東京に加え、埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪、兵庫でも2代表制を採用。全国55代表。
- 2008年・第90回大会:第80回大会と同様の追加枠を設定。全国55代表。
- 2018年・第100回大会:上記の都道府県に福岡を加え、全国56代表。
このように、記念大会の代表枠は毎回同じではありません。大会の規模や参加校数を考慮して、追加の代表枠が設定されることがあります。
「49大会」と「記念大会の増枠」は別の仕組み
ここで混同しやすいのが、通常の49代表制と記念大会の追加枠です。
通常大会では北海道2校、東京2校、その他45府県から各1校という49代表制が基本です。一方、記念大会では参加校の多い地域に追加の代表枠を設けることがあり、全国大会の出場校数が49校を超える場合があります。
したがって、過去の大会記録を見る際には、その年が通常大会なのか、記念大会なのかを確認することが大切です。
【プロの結論】地方大会の歴史から読み解く高校野球の代表制度
全国高等学校野球選手権地方大会の歴史を整理すると、現在の49代表制は、単純に都道府県を47に分けただけの制度ではないことが分かります。
その背景には、地域の広さ、参加校数、学校数の増加、各府県の代表機会を確保するという考え方がありました。
現在の制度は地域の公平性を重視した仕組み
北海道と東京が2代表制となっているのは、地域の広さや参加校数など、それぞれの事情を考慮した結果です。
また、その他の府県が基本的に1代表を選出することで、全国各地の学校に甲子園出場への明確な道筋が設けられています。
ただし、代表枠が同じだからといって、各地方大会の競争条件まで完全に同じというわけではありません。参加校数によって必要な勝利数や対戦相手の数は異なります。
大会の難しさを比較する際には、代表枠だけでなく参加校数、シード制度、組み合わせ、試合日程なども考慮する必要があります。
歴代の代表校を調べる際に注意したい3つのポイント
全国高等学校野球選手権地方大会の歴代記録を調べる際には、次の3点を確認すると、制度の変化による誤解を防げます。
- 開催年と大会回数:同じ都道府県でも、過去には複数府県合同の大会に参加していた時期がある。
- 代表選出区域:現在の北北海道・南北海道、東東京・西東京という区分が、過去の大会にも同じ形で存在したとは限らない。
- 記念大会か通常大会か:記念大会では通常年と異なる代表枠が設けられることがある。
特に、都道府県別の甲子園出場回数を比較する場合には注意が必要です。かつての合同大会では、一つの代表校が複数府県の代表として全国大会に出場していたため、現在の都道府県別の出場回数と単純に比較できない場合があります。
日本高等学校野球連盟が公開している出場校一覧や地方大会の区切り変遷一覧は、こうした歴史を調べる際の重要な資料です。
【よくある質問】全国高等学校野球選手権地方大会に関するFAQ
Q1:全国高等学校野球選手権地方大会は全部で何大会ありますか?
A1:通常は49大会です。北海道の北北海道・南北海道、東京都の東東京・西東京がそれぞれ2大会、その他45府県が各1大会を開催します。全国47都道府県から49代表校が選ばれます。
Q2:北海道が北北海道と南北海道に分かれたのはいつですか?
A2:1959年の第41回大会からです。広大な北海道の地域事情を踏まえて南北に分割され、それぞれの代表校が全国大会に出場する方式になりました。
Q3:東東京大会と西東京大会が始まったのはいつですか?
A3:1974年の第56回大会からです。東京都高等学校野球連盟の沿革には、分割初年度の参加校数が東東京91校、西東京82校と記録されています。
Q4:一府県一代表制が定着したのは何年ですか?
A4:1978年の第60回大会です。北海道と東京都はそれぞれ2代表、その他の府県は各1代表という方式が採用され、現在につながる49代表制が定着しました。
Q5:消滅した地方大会にはどのようなものがありますか?
A5:奥羽大会、北奥羽大会、南四国大会、西九州大会、北関東大会、三岐大会、紀和大会などがあります。複数府県が合同で代表を決めていた時代の大会で、都道府県別の代表選出制度への移行に伴って順次再編されました。
Q6:記念大会では必ず49校以上が出場するのですか?
A6:記念大会の代表枠は大会ごとに異なります。1958年の第40回大会は47校、1968年の第50回大会と1973年の第55回大会は48校でした。また、1998年、2008年、2018年には参加校の多い地域で追加代表枠が設けられ、55校または56校が出場しました。
まとめ:全国高等学校野球選手権地方大会は49代表制に至る歴史そのもの
全国高等学校野球選手権地方大会は、夏の甲子園に出場する49代表校を決める重要な大会です。その仕組みは、長年にわたる地域大会の再編と記念大会での代表枠の見直しによって形づくられてきました。
1958年の第40回大会では47都道府県から代表校が参加し、1959年には北海道が南北に分割されました。1974年には東京が東西に分かれ、1978年の第60回大会からは北海道・東京の各2代表を含む49代表制が定着しています。
一方、かつて存在した奥羽大会、紀和大会、南四国大会などの合同地方大会は、1977年までに順次その役割を終えました。こうした変遷を知ることで、現在の都道府県別の大会がどのように成立したのかが見えてきます。
2026年の第108回大会においても、49代表制は夏の高校野球を支える基本的な枠組みです。地方大会は単なる甲子園への通過点ではなく、各地域の高校野球の歴史と伝統が積み重なってきた舞台でもあります。
歴代の代表校や大会記録を比較するときは、開催年、代表区域、記念大会の有無を合わせて確認することが、全国高等学校野球選手権地方大会の歴史を正しく理解するポイントです。