【穴井隆将はどんな柔道家?】大分での原点から天理高校・天理大学への歩み
穴井隆将は、1984年8月5日、大分県大分市生まれ。身長187cm、男子100kg級を主戦場とした柔道家です。幼少期から柔道に親しみ、学生時代には全国大会を制する選手へと成長しました。
2024年に公開された奈良県内の経済団体によるインタビューでは、柔道を始めたきっかけについて、自身の父親が警察官であり、柔道をしていたことを明かしています。家族で父親の試合を見に行った際、その姿に憧れて「自分も柔道をやりたい」と思ったことが出発点でした。
5歳で柔道を始め、全国中学校大会で日本一に

5歳から地元大分の道場で稽古を始めた穴井は、山中圏一氏の指導を受けながら柔道の基礎を身につけます。山中氏は世界選手権でも実績を残した柔道家で、穴井の競技人生に大きな影響を与えた人物です。
中学時代には全国中学校柔道大会の個人戦78kg級で優勝。早くから全国レベルの実力を示しました。複数の強豪高校から進学の誘いを受ける中、本人が選んだのが奈良県の天理高校でした。
2024年のインタビューでは、地元で指導を受けた山中氏の教えを大切にしたいという思いが、天理高校への進学につながったと振り返っています。
天理高校でインターハイ優勝
天理高校では1年生の頃から団体戦のレギュラーとして活躍。2年生になると、インターハイ個人戦男子100kg級で優勝を果たしました。
天理高校を選んだ背景には、単に競技力を高めたいという思いだけでなく、柔道のスタイルへの共感もありました。天理柔道が大切にしてきた「正しく組んで一本を取る」という考え方は、穴井の柔道の土台になっています。
天理大学で競技者として飛躍

高校卒業後は天理大学に進学。大学でも実績を積み重ね、男子100kg級の国内有力選手として頭角を現します。
天理大学は競技力だけでなく、武道を通じた人間形成を重視する伝統を持つ大学です。穴井自身も選手としてその環境で成長し、引退後には母校で後進を育てる立場になりました。
選手として天理柔道を体現し、指導者としてその考え方を次世代に伝える。この一貫した歩みが、穴井隆将という人物を理解するうえで欠かせないポイントです。
【世界選手権金メダル】穴井隆将の柔道成績と国内タイトル
穴井の競技実績を語るうえで、最大の到達点は2010年の世界柔道選手権男子100kg級での優勝です。東京で開催された大会で世界の強豪を次々と破り、日本代表として金メダルを獲得しました。
2010年世界柔道選手権で男子100kg級の頂点へ
2010年9月9日、東京・国立代々木競技場第一体育館で行われた世界選手権男子100kg級。穴井は1回戦から勝ち上がり、準決勝を突破して決勝に進出しました。
決勝ではオランダの選手を相手に優勢勝ち。男子100kg級の世界王者となりました。全日本柔道連盟の大会結果にも、同階級の優勝者として穴井の名前が記録されています。
この優勝は、天理大学で培った技術と国内大会での経験を世界の舞台で結実させたものです。世界選手権の金メダルは、穴井の競技人生を代表する実績となりました。
全日本選抜柔道体重別選手権で4連覇
もう一つ見逃せないのが、全日本選抜柔道体重別選手権男子100kg級での4連覇です。
穴井は2009年に同大会で優勝。2010年には連覇を達成し、2011年も優勝を飾りました。そして2012年5月13日、ロンドン五輪の代表選考会を兼ねた大会でも勝利し、男子100kg級で4連覇を達成しています。
この4連覇は、単発の好調ではなく、複数年にわたって国内トップの実力を維持した証拠です。2012年の優勝は日本オリンピック委員会(JOC)の公式ニュースでも確認できます。
全日本柔道選手権では無差別級を2度制覇
穴井の実績をさらに際立たせるのが、全日本柔道選手権での優勝です。
この大会は体重別ではなく、体重無差別で日本一を争います。100kg級の選手が100kg超級の選手とも対戦するため、階級別の大会とは異なる戦術や体力が求められます。
穴井は2009年に初優勝し、2013年4月29日に2度目の優勝を達成しました。2013年の大会では、準決勝で石井竜太に一本勝ち。決勝では当時20歳の原沢久喜を相手に、指導2つによる優勢勝ちを収めています。
100kg級を主戦場としながら、無差別級の日本一も2度獲得したことは、穴井の柔道家としての大きな強みです。
【経歴・成績年表】穴井隆将の主な実績を一覧で確認
幼少期から世界選手権、ロンドン五輪、そして指導者への転身まで、主要な出来事を時系列で整理しました。
出典:全日本柔道連盟、JOC、天理大学、天理柔道会、各大会の公式記録および報道資料をもとに整理。
【ロンドンオリンピック】世界王者・穴井隆将が直面した壁
2010年に世界選手権を制した穴井にとって、次の大きな目標はオリンピックでした。2012年のロンドン大会では、男子100kg級の日本代表として初めて五輪の舞台に立っています。
ロンドン五輪では2回戦敗退
JOCの公式記録によると、穴井はロンドンオリンピック男子100kg級に出場し、結果は2回戦敗退でした。メダル獲得には届かず、金・銀・銅のいずれも獲得していません。
この点は、穴井の経歴を理解するうえで大切です。世界選手権の金メダリストであることと、オリンピックのメダリストであることは別の実績です。穴井は世界王者ですが、五輪ではメダルを獲得していません。
オリンピックの敗戦が現役引退につながった
穴井自身は、ロンドン五輪での敗戦がその後の人生に大きな影響を与えたと、2023年12月発行の『コーチング学研究』に掲載された論考で振り返っています。
競技者として世界の頂点を経験しても、五輪という特別な舞台で結果を残すことはできなかった。その悔しさが、現役生活を終える決断につながりました。
しかし、穴井の競技人生は敗戦で終わったわけではありません。2013年の全日本柔道選手権で優勝し、最後の大会を日本一で締めくくっています。
引退試合となった2013年の全日本選手権
2013年4月29日、穴井は現役最後の大会として全日本柔道選手権に出場しました。大会前に引退を表明していたため、周囲からも最後の大舞台として注目されていました。
決勝では若手の原沢久喜と対戦。体重無差別の大舞台で経験を生かした試合運びを見せ、4年ぶり2度目の優勝を果たします。
世界選手権の金メダル、全日本選手権の優勝、そしてオリンピックでの敗戦。異なる結果を経験した穴井だからこそ、その後の指導者人生には、勝利だけでは測れない競技者の心理が反映されていると考えられます。
【2026年最新】穴井隆将の現在は?天理大学・全日本柔道連盟での役割
2026年現在、穴井は天理大学の准教授として教育・研究に携わりながら、全日本柔道連盟の委員会活動にも参加しています。
一方、天理大学柔道部の男子監督については、2025年末に退任し、2026年度から山本悠司氏に交代しています。かつての監督という肩書だけで現在の活動を説明すると、実際の役割を誤解する可能性があります。
天理大学では准教授として柔道教育を担当
天理大学の公式教員紹介では、穴井は体育学部体育学科の准教授として掲載されています。
専門分野は柔道。研究課題として「学校教育における柔道授業」「武道思想史」を掲げています。担当科目にも柔道論、武道指導演習、スポーツコーチ論、学校体育特論などが含まれています。
2015年3月には奈良教育大学大学院で修士(教育学)を取得。競技実績だけでなく、教育・研究の専門性を身につけていることも特徴です。
天理大学柔道部監督は2025年末に退任
2025年10月19日、穴井は天理大学柔道部男子監督を年内で退任する意向を表明しました。2014年4月の就任から約12年間、母校の柔道部を率いてきたことになります。
「充実した12年間の監督生活。悔いなく、満足している」
これは退任表明時に報じられた穴井の言葉です。後任については天理大学OBの山本悠司氏が務めると発表されました。穴井は今後、師範として天理中学校・天理高校・天理大学の指導を続ける方針と報じられています。
2026年度の天理大学公式教員プロフィールでは、山本氏の柔道部監督就任日が2026年4月1日と記載されています。天理柔道会の大学柔道部紹介でも、山本氏が監督として掲載されています。
なお、穴井の大学教員紹介ページには、柔道部監督の在任期間を「2014年4月1日~現在まで」とする表示が残っています。これは2025年の退任報道や2026年度の山本氏の公式経歴と食い違うため、現在の監督を調べる際は、更新時期の新しい情報を優先する必要があります。
全日本柔道連盟では強化委員会の委員・国際委員会の副委員長
2026年2月16日現在の全日本柔道連盟公式委員会名簿では、穴井の名前が強化委員会の委員として掲載されています。
さらに、国際委員会では副委員長を務めています。競技者として国際大会を経験した人物が、競技の強化と国際的な柔道活動に関わる立場にいることが分かります。
この2つの役職は役割が異なります。強化委員会は日本代表を含む競技力向上に関わる組織であり、国際委員会は海外との交流や国際的な活動を担う組織です。穴井は現役時代の経験を、国内強化と国際的な柔道の発展の両面に生かせる立場にあります。
つまり、2026年の穴井は天理大学柔道部の監督ではありません。大学の教育者であり、柔道界の強化・国際活動にも携わる指導者というのが、現在の姿です。
【指導者としての評判】穴井隆将が天理大学で築いた指導実績
穴井の指導者としての評価を考える際、象徴的な実績となるのが2022年の全日本学生柔道体重別団体優勝大会です。
2022年、天理大学を29年ぶりの団体日本一へ
2022年10月16日、天理大学男子柔道部は全日本学生柔道体重別団体優勝大会で初優勝を達成しました。
当時の穴井監督が率いたチームは、決勝で強豪・東海大学を破り、全国大会の団体戦で日本一に輝きました。天理大学にとっては、1993年の全日本学生柔道優勝大会以来、実に29年ぶりの団体日本一でした。
穴井が監督に就任した2014年から目指してきた団体日本一が、8年目にして実現したことになります。個人タイトルを獲得する選手を育てるだけでなく、チーム全体で勝つための組織づくりが実を結んだ大会でした。
穴井の指導方針は「選手を主役にする」こと
穴井の指導観を知るうえで参考になるのが、2023年12月発行の『コーチング学研究』に掲載された本人の論考「続・私の考えるコーチング論:「勝つ」とは」です。
この論考では、指導者は選手を主役と捉え、一歩後ろから支える存在であるという考え方が示されています。
また、選手の自主性や主体性を育てることについて、単に練習メニューを選手自身に考えさせるだけでは不十分だと振り返っています。選手が苦しいことを乗り越えられるように、指導者が日々の小さな変化を観察し、適切な助言や評価を与えることが重要だという考えです。
これは、世界王者として自分自身を追い込んできた穴井が、指導者になってから学んだ視点でもあります。自分ができたことを、そのまま学生に求めるのではなく、一人ひとりの成長段階に合わせて支援する。そうした姿勢が論考から読み取れます。
個人競技の柔道で団体日本一を実現した組織づくり
穴井が監督として工夫したのは、技術指導だけではありませんでした。
論考では、学生に役職や責任を持たせ、柔道以外の生活面でもチームへの当事者意識を育てる取り組みが紹介されています。主将や主務だけでなく、トレーニング、清掃、食堂などにも役割を設け、部員一人ひとりがチーム運営に関わる仕組みをつくりました。
柔道は個人競技の性格が強いスポーツです。しかし、団体戦で勝つには、個々の選手の能力だけでなく、チーム全体の結束や役割意識が欠かせません。
穴井が29年ぶりの団体日本一に導いた背景には、こうした組織づくりがありました。競技者としての技術を伝えるだけでなく、集団の中で自分の役割を果たす人材を育てることにも力を注いでいたのです。
12年間の監督経験を経て、次の世代へ
2025年の監督退任表明は、指導者としての失敗や柔道界からの引退を意味するものではありません。12年間の監督経験を次の世代へ引き継ぎ、自身は異なる立場から学生や競技者を支援する転換点です。
全日本柔道連盟の機関誌『まいんど』でも、監督を退いた後の穴井の役割が紹介されています。新監督の山本悠司氏を支援しながら、必要に応じて重量級以外の選手の稽古を見たり、日本のトップ選手を出稽古に連れて行ったりするなど、経験を生かしたサポートを想定しています。
監督としてチーム全体を管理する立場から、選手や指導者を専門的に支える立場へ。役割を変えることで、これまでの経験をより広い範囲に還元していく方向性が見えてきます。
【よくある質問】穴井隆将に関するFAQ
A1:ロンドンオリンピック2012の男子100kg級に出場しましたが、結果は2回戦敗退です。オリンピックのメダル獲得歴はありません。一方、2010年の世界柔道選手権では男子100kg級で金メダルを獲得しています。
A2:2009年と2013年の2回です。いずれも体重無差別で争われる大会で、2013年は現役最後の大会として出場し、優勝しました。
A3:男子100kg級で2009年から2012年まで4連覇を達成しています。2012年の大会はロンドン五輪代表選考会も兼ねていました。
A4:いいえ。2025年末に12年間務めた監督を退任し、2026年度からは山本悠司氏が監督を務めています。穴井は師範として指導を継続する方針が報じられています。
A5:天理大学の准教授であり、全日本柔道連盟の強化委員会委員、国際委員会副委員長を務めています。大学での教育・研究と柔道界の活動を並行しています。
A6:代表的な実績は、2022年の全日本学生柔道体重別団体優勝大会で天理大学男子を初優勝に導いたことです。1993年以来、29年ぶりの団体日本一でした。
A7:大分県大分市出身です。中学時代まで地元で柔道を学び、天理高校、天理大学へ進学しました。その後、奈良教育大学大学院で修士(教育学)を取得しています。
まとめ:穴井隆将は世界王者から柔道界を支える指導者へ
穴井隆将の競技人生は、世界選手権の金メダルだけでは語り尽くせません。
大分県大分市で5歳から柔道を始め、中学時代に全国優勝。天理高校ではインターハイを制し、天理大学で男子100kg級のトップ選手へと成長しました。2010年には世界選手権金メダル、2009年・2013年には全日本柔道選手権優勝、全日本選抜体重別選手権では4連覇を達成しています。
一方、2012年ロンドンオリンピックでは2回戦で敗退。五輪での悔しさを経験した後、2013年の全日本選手権を最後に現役を退きました。
指導者としては2014年から12年間、天理大学柔道部を率い、2022年には29年ぶりの団体日本一を実現。2025年末に監督を退任した後も、大学教育や柔道界の活動に携わっています。
2026年現在の穴井を理解するためのポイントは、「元世界王者」「天理大学柔道部の元監督」「大学教育者」「全日本柔道連盟の委員会役員」という4つの側面です。
特に注目したいのは、監督としての成功を自分一人の実績にせず、後進に役割を引き継いでいることです。競技者として勝つ経験を持ち、指導者としてチームを日本一に導き、現在は柔道の強化や国際活動にも関わる。穴井隆将のキャリアは、トップアスリートが競技人生の先にどのような貢献をできるのかを示す一つの事例となっています。