【照ノ富士の現在】10代伊勢ヶ濱親方として部屋を率いる2026年の活動
2026年11月現在、照ノ富士は日本相撲協会に所属する伊勢ヶ濱春雄親方として活動している。本名は杉野森正山。日本相撲協会の年寄プロフィールにも、年寄名履歴として「照ノ富士 春雄→伊勢ヶ濱 春雄」と記載されている。
現在の主な役割は、伊勢ヶ濱部屋の師匠として力士を育成することだ。現役時代に培った技術や経験を伝えるだけでなく、若い力士が相撲を続けられる環境づくりにも取り組んでいる。
2026年10月には子どもたちへの相撲指導も実施

引退後の活動を知るうえで注目したいのが、2026年10月24日に横浜市の新横浜公園相撲場で行われた伊勢ヶ濱部屋の出張稽古だ。
この相撲場は照ノ富士親方が寄贈した土俵で、部屋が運営する相撲クラブの小中学生や高校の相撲部員が稽古に参加した。クラブには約30人が所属していると報じられている。
照ノ富士親方は、子どもたちが相撲を続けられる環境を増やす必要性を語り、今後も各地への土俵寄贈を計画。スポーツ報知の報道では、10年かけて20か所の土俵を整備する構想も明らかにした。
「10年かけて20か所作れたら」
これは、現役時代のように自分が勝つことを目指す活動ではない。相撲を次の世代に残すため、競技人口や育成環境の課題に向き合う取り組みだ。
伊勢ヶ濱部屋は九州場所で関取10人に

2026年10月26日に発表された九州場所の新番付では、伊勢ヶ濱部屋の関取が10人に到達した。関脇・熱海富士、小結・義ノ富士をはじめ、伯乃富士、尊富士、錦富士らが名を連ねる。
同一部屋から関取10人が誕生するのは、1996年初場所の二子山部屋以来、約30年ぶりの記録として報じられた。
照ノ富士親方にとって、弟子たちの活躍は部屋を継承した後の大きな成果の一つだ。横綱としての実績を持つ師匠が、次の看板力士を育てられるかどうかは、今後の伊勢ヶ濱部屋を占う重要なポイントになる。
2026年4月の暴力問題と日本相撲協会の処分

一方、親方としての活動には課題も生じている。2026年4月9日、日本相撲協会は伊勢ヶ濱親方に対する懲戒処分を発表した。
発端は同年2月21日未明、伊勢ヶ濱部屋の幕内力士・伯乃富士が後援者の知人女性に不適切な行為をした際、照ノ富士親方が伯乃富士の顔面を拳と平手で1回ずつ殴ったことだった。
日本相撲協会は、師匠が弟子に暴力を振るったことを問題視。4月9日の理事会で、伊勢ヶ濱親方を委員待遇年寄から年寄へ2階級降格し、3か月間の報酬を10%減額する処分を決定した。
なお、協会は暴力の常習性が認められないことや、自ら協会に報告したことなども考慮した。伊勢ヶ濱親方は謝罪し、反省の意を示している。
重要なのは、処分によって部屋の師匠を交代したわけではない点だ。師匠としての立場は継続する一方、部屋は協会と伊勢ヶ濱一門の指導・監督下に置かれ、部屋付き親方4人を含む5人で集団指導体制を取ることになった。
したがって、2026年11月現在の照ノ富士を評価する際には、土俵の実績や育成活動だけでなく、親方としての指導責任と信頼回復も見逃せない。
【引退理由を検証】照ノ富士はなぜ2025年1月に現役を退いたのか
照ノ富士の引退理由は、長年にわたるけがの影響と、横綱として満足できる相撲を取れなくなったことにある。
2025年1月場所は、3場所連続休場を経て復帰した場所だった。しかし、初日に小結・若隆景に敗れ、4日目には翔猿にも敗戦。右膝と腰の痛みも重なり、5日目の1月16日に休場した。
そして翌17日、両国国技館で引退会見を開いた。会見には師匠だった伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)も同席している。
引退を決断した直接的な理由
引退会見で照ノ富士が説明したのは、単純な成績不振ではなかった。自分の体と気持ちが十分に整わないまま、横綱として土俵に立ち続けることへの葛藤だった。
「これ以上、中途半端な気持ちと体で土俵に上がれないと思い、決断した」
日刊スポーツやスポニチが伝えた会見内容によると、照ノ富士は初日に敗れた後、師匠に対して「もう1回負けたら引退したい」という趣旨の覚悟を伝えていた。
横綱は、単に番付上の最高位というだけではない。休場を繰り返すことへの批判や、常に優勝を期待される立場としての責任も背負う。照ノ富士の場合、長年の負傷によって体への負担が積み重なり、最後は自分が納得できる相撲を取れないことが引退の決め手になった。
横綱としての責任感も引退判断に影響
照ノ富士は2021年9月に横綱へ昇進してから2025年1月まで、約3年4か月にわたって最高位を守った。
その間には複数の休場があり、万全な状態で出場できる場所は限られていた。それでも、復帰場所では優勝争いに加わり、2024年7月場所には10回目の幕内優勝を達成している。
ただし、横綱として土俵に上がる以上、勝てる可能性だけでなく、体が十分に動くかどうかも重要になる。自身の納得できる相撲を追求してきた照ノ富士にとって、最後までその基準を守ることが引退という選択につながった。
引退は、序二段から横綱に返り咲いた力士の敗北ではない。14年間の現役生活を終え、次の世代を育てる立場に移るための決断だった。
【照ノ富士の経歴と生涯戦歴】第73代横綱に至るまでの年表
照ノ富士は1991年11月29日、モンゴルのウランバートルで生まれた。身長192センチ、体重176キロ。得意技は右四つと寄りで、恵まれた体格と力強い四つ相撲を武器に出世した。
日本相撲協会の公式プロフィールによると、初土俵は2011年5月の技量審査場所。四股名は若三勝から照ノ富士へ変更され、2015年には大関に昇進している。
照ノ富士の主要な経歴・転換点
| 時期 | 出来事 | 主な記録・意味 |
|---|---|---|
| 1991年11月29日 | モンゴル・ウランバートルで誕生 | 本名は杉野森正山 |
| 2011年5月 | 初土俵 | 四股名は若三勝 |
| 2013年9月 | 新十両 | 関取に昇進 |
| 2014年3月 | 新入幕 | 幕内力士となる |
| 2015年5月 | 幕内初優勝 | 関脇で12勝3敗 |
| 2015年7月 | 大関昇進 | 23歳で大関に |
| 2018年7月 | 序二段まで降下 | 休場と治療を経て番付が大幅に下がる |
| 2019年3月 | 本場所に復帰 | 西序二段48枚目で7戦全勝 |
| 2019年11月 | 再十両が決定 | 幕下優勝を経て関取復帰 |
| 2020年7月 | 再入幕場所で優勝 | 前頭17枚目で13勝2敗 |
| 2021年5月 | 大関復帰場所で優勝 | 2場所連続優勝 |
| 2021年9月 | 第73代横綱に昇進 | 新横綱場所も優勝 |
| 2021年11月 | 全勝優勝 | 15勝0敗 |
| 2024年7月 | 幕内10回目の優勝 | 横綱として最後の優勝 |
| 2025年1月17日 | 現役引退 | 年寄・照ノ富士を承認 |
| 2025年6月9日 | 伊勢ヶ濱部屋を継承 | 10代伊勢ヶ濱を襲名 |
| 2026年1月31日 | 引退相撲・断髪式 | 両国国技館で開催 |
出典は日本相撲協会の歴代横綱プロフィール、力士プロフィール、年寄プロフィール、および各時期の報道記録。
幕内優勝10回という記録の価値
照ノ富士の幕内最高優勝は合計10回。初優勝は2015年5月場所の関脇時代で、最後の優勝は2024年7月場所の横綱時代だった。
優勝場所の特徴を整理すると、次のようになる。
- 2015年5月:関脇で初優勝
- 2020年7月:前頭17枚目で復活優勝
- 2021年3月:関脇で優勝
- 2021年5月:大関として優勝
- 2021年9月:新横綱として優勝
- 2021年11月:15戦全勝で優勝
- 2022年5月:横綱として優勝
- 2023年5月:横綱として優勝
- 2024年1月:横綱として優勝
- 2024年7月:横綱として10回目の優勝
10回のうち6回は横綱在位中の優勝だ。特に2021年11月場所の15戦全勝は、照ノ富士の圧倒的な力を象徴する記録となっている。
また、三賞は殊勲賞3回、敢闘賞3回、技能賞3回。十両優勝2回、幕下優勝1回も記録している。
通算成績523勝275敗231休の内訳
523勝275敗231休
生涯戦歴・82場所/日本相撲協会公式記録
523
勝ち星275
負け星231
休場82
場所数
幕内戦歴
366勝207敗197休
52場所
勝ち星だけを見ると523勝という実績だが、231休という数字も照ノ富士の相撲人生を理解するうえで重要だ。けがや体調の問題により、長期間にわたって土俵を離れざるを得なかった。
それでも10回の幕内優勝を達成し、横綱としても6回の優勝を記録した。休場の多さと優勝回数の両方が、照ノ富士という力士の特徴を表している。
【序二段から横綱へ】照ノ富士の復活劇が相撲史に残る理由
照ノ富士を語る際、最も印象的な出来事の一つが序二段まで番付を落としてから横綱に復帰したことだ。
2015年5月に関脇で初優勝し、同年7月には大関に昇進。ところが、その後は両膝の負傷や内臓疾患などに苦しみ、2017年には大関から陥落した。
さらに休場が続き、2018年7月場所には幕下へ降下。膝の手術と治療のために4場所連続で全休し、2019年春場所では西序二段48枚目まで番付が下がった。
2019年春場所、西序二段48枚目から再出発
2019年3月場所、照ノ富士は約5か月ぶりに本場所の土俵へ戻った。番付は西序二段48枚目。かつて大関だった力士が、序二段から再出発する異例の状況だった。
復帰場所では7戦全勝。さらに幕下でも好成績を残し、2019年九州場所では幕下優勝を達成した。同年11月には再十両が決まり、翌2020年初場所から関取へ復帰した。
2020年3月場所では十両で10勝5敗。7月場所に前頭17枚目で再入幕すると、13勝2敗で幕内優勝を果たした。
序二段からわずか7場所で幕内に戻り、再入幕の場所で優勝するという展開は、当時の大相撲でも極めて異例だった。元幕内力士が序二段まで下がった後に幕内へ復帰し、さらに優勝した初のケースとして大きく報じられた。
大関復帰から第73代横綱へ
復活は幕内復帰で終わらなかった。2021年3月場所では関脇で12勝3敗、5月場所では大関として12勝3敗で優勝。大関復帰場所で優勝するという快挙を成し遂げた。
そして2021年9月場所後、照ノ富士は第73代横綱に昇進する。新横綱として臨んだ同年9月場所でも13勝2敗で優勝し、11月場所には15戦全勝を達成した。
序二段から横綱への道のりは、単に番付を上げたという話ではない。体の状態を見極め、休場と治療を経て、段階的に関取、大関、横綱へと戻った過程そのものが大きな意味を持つ。
照ノ富士の復活劇は、番付が一度下がっても、競技人生をただちに終わらせる必要はないという可能性を示した。一方で、回復には長い時間と本人の努力、周囲の支援が必要だったことも忘れてはならない。
【伊勢ヶ濱部屋継承】旭富士から受け継いだ親方としての役割
照ノ富士の引退後の大きな転換点は、2025年6月9日に決まった伊勢ヶ濱部屋の継承だ。
日本相撲協会は同日、年寄名跡の継承と相撲部屋の継承を正式に承認した。これにより、元横綱・照ノ富士は10代伊勢ヶ濱を襲名し、伊勢ヶ濱部屋の師匠となった。
先代の伊勢ヶ濱親方は現在、宮城野親方
ここで混同されやすいのが、先代の伊勢ヶ濱親方との関係だ。
照ノ富士の師匠だった先代は、第63代横綱・旭富士。2025年6月9日の継承に伴い、年寄・宮城野を襲名した。現在は宮城野正也親方として、伊勢ヶ濱部屋に所属している。
つまり、2026年現在の伊勢ヶ濱親方は照ノ富士であり、旭富士は宮城野親方という立場だ。両者の名前を混同すると、部屋の継承関係を誤解しやすい。
部屋の継承が意味するもの
伊勢ヶ濱部屋は、数多くの関取や幕内力士を輩出してきた相撲部屋だ。照ノ富士は、そこで現役力士として育ち、横綱に昇進し、最後には師匠として部屋を受け継ぐ立場になった。
この継承は、単なる年寄名跡の変更ではない。自分を育てた師匠から受け継いだ稽古環境や伝統を、次の力士たちへ引き継ぐ役割を担うことでもある。
特に照ノ富士自身が大関から序二段まで落ちた経験を持つことは、弟子の育成において独自の強みになり得る。番付が低い力士やけがからの復帰を目指す力士にとって、実体験に基づく指導は大きな意味を持つだろう。
【2026年1月31日の引退相撲・断髪式】両国国技館で何が行われた?
照ノ富士の引退相撲は、2026年1月31日に東京都墨田区の両国国技館で開催された。正式には「照ノ富士引退伊勢ヶ濱襲名披露大相撲」として実施され、日本相撲協会の公式告知でも終了した行事として掲載されている。
引退相撲は、現役力士としての最後の土俵入りや断髪式などを行う節目の催しだ。照ノ富士にとっては、横綱としての姿をファンに見せる最後の機会となった。
当日の主なスケジュール
| 時刻 | 内容 |
|---|---|
| 10:00 | 開場 |
| 11:00 | ふれ太鼓、十両土俵入り、部屋トーナメントなど |
| 11:45頃 | 照ノ富士の最後の土俵入り |
| 12:00 | 断髪式 |
| 14:30頃 | 幕内土俵入り、横綱土俵入り、幕内取組など |
| 16:00頃 | 打ち出し |
上記は伊勢ヶ濱部屋が公表した当日の予定。実際の進行は変更される場合があると案内されていた。
断髪式には各界の著名人も参加
断髪式では、長年伸ばしてきた大銀杏に別れを告げるため、関係者や親交のある著名人が順番にはさみを入れた。
2026年1月31日の日刊スポーツの報道では、柔道の阿部一二三・阿部詩兄妹、ボクシングの中谷潤人、元プロ野球選手の中田翔、元サッカー選手の小野伸二、元横綱・白鵬らが断髪に参加した人物として紹介されている。
競技の垣根を越えて多くの人が参加したことは、照ノ富士が現役時代に築いた人間関係や、スポーツ界での存在感を感じさせる場面だった。
なお、断髪式はすでに終了している。2026年11月現在、これから開催される予定の行事として扱うのは誤りだ。
【照ノ富士に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:照ノ富士は現在何をしていますか?
A1:2026年11月現在、10代伊勢ヶ濱親方として伊勢ヶ濱部屋の師匠を務めています。力士の育成や部屋の運営に加え、子ども向けの相撲クラブや土俵の整備などにも取り組んでいます。
Q2:照ノ富士の引退理由は何ですか?
A2:長年のけがによって体への負担が重なり、納得できる相撲を取ることが難しくなったためです。2025年1月17日の引退会見では、中途半端な気持ちと体で土俵に立つべきではないと判断したことを説明しました。
Q3:照ノ富士の引退相撲と断髪式はいつ開催されましたか?
A3:2026年1月31日に両国国技館で開催されました。最後の横綱土俵入りは11時45分頃、断髪式は12時頃の予定で行われました。
Q4:照ノ富士の幕内優勝は何回ですか?
A4:幕内最高優勝は10回です。最後の優勝は2024年7月場所で、横綱として6回優勝しています。
Q5:照ノ富士は本当に序二段まで落ちたのですか?
A5:はい。2019年春場所には西序二段48枚目まで番付を下げていました。同場所で7戦全勝し、その後、2019年11月に再十両、2020年7月に再入幕を果たして優勝しました。
Q6:現在の伊勢ヶ濱親方は照ノ富士ですか、旭富士ですか?
A6:照ノ富士です。2025年6月9日に照ノ富士が10代伊勢ヶ濱を襲名しました。先代の旭富士は現在、宮城野親方を名乗っています。
Q7:2026年に照ノ富士親方が処分されたというのは本当ですか?
A7:本当です。2026年4月9日、日本相撲協会は弟子への暴力問題を受け、2階級降格と3か月間の報酬10%減額を決定しました。ただし、伊勢ヶ濱部屋の師匠は継続しています。
まとめ:【プロの結論】照ノ富士の功績は横綱10回の優勝だけではない
照ノ富士の相撲人生は、華々しい出世と大きな挫折、そして前例の少ない復活によって形作られている。
2015年に大関へ昇進した後、けがや病気によって序二段まで降下。それでも2019年に土俵へ戻り、2020年には幕内優勝、2021年には大関復帰と第73代横綱への昇進を実現した。
幕内優勝10回、生涯戦歴523勝275敗231休という数字は、その歩みを客観的に示す記録だ。とりわけ序二段から横綱まで戻った経歴は、照ノ富士を語るうえで欠かせない功績である。
2025年1月の引退後は、同年6月に伊勢ヶ濱部屋を継承。2026年1月31日の引退相撲と断髪式を終え、親方として本格的に次の世代を育てる立場になった。
2026年4月には弟子への暴力問題で日本相撲協会から処分を受けるという厳しい局面も経験した。部屋の師匠を続けながら、指導体制の改善と信頼回復が求められている。
一方、10月には子どもたちへの相撲指導や土俵整備の構想が報じられ、伊勢ヶ濱部屋も九州場所の新番付で関取10人を擁する規模となった。
照ノ富士の今後を評価するうえで見るべきなのは、過去の優勝回数だけではない。自身が経験した挫折をどう指導に生かすのか、弟子たちをどこまで成長させるのか、そして師匠としての責任をどう果たすのかという点にある。
横綱として土俵を去った照ノ富士は、今度は伊勢ヶ濱部屋の師匠として、新たな相撲人生を歩んでいる。
主な確認資料:日本相撲協会「歴代横綱プロフィール」「力士プロフィール」「年寄プロフィール」「相撲部屋継承ならびに年寄名跡継承襲名のお知らせ」、伊勢ヶ濱部屋公式発表、TBS NEWS DIG、日刊スポーツ、スポニチ、スポーツ報知。