間垣親方の現在は元石浦!首のけがによる引退と歴代襲名者を徹底解説
2026年11月現在、間垣親方を務めているのは、元幕内力士の石浦鹿介(いしうら・しかのすけ)です。本名は石浦将勝(いしうら・まさかつ)。日本相撲協会の公式プロフィールでは、年寄名を「間垣喜翔」とし、伊勢ヶ濱部屋に所属する主任として登録されています。
石浦は現役時代、最高位の前頭五枚目まで昇進し、小柄な体格を生かした技巧派の相撲で人気を集めました。しかし、2022年春場所で首に重傷を負い、7場所連続で全休した末、2023年6月に引退。現在は自身の経験を後進の指導に生かしています。また、間垣という年寄名跡は、2代目若乃花、時天空、白鵬らが受け継いできた歴史ある名前です。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 現在の間垣親方: 元幕内・石浦鹿介。本名は石浦将勝で、伊勢ヶ濱部屋所属の主任。
- 引退理由: 2022年春場所で首を負傷し、頸椎の疾患や頚髄損傷によって長期休場を余儀なくされた。
- 歴代襲名者: 2代目若乃花、時天空、土佐豊、白鵬、竹葉山らが名跡を継承。
- 2026年の活動: 相撲協会の職務を担当しながら、炎鵬ら旧宮城野部屋出身の力士たちを見守っている。
- 部屋の歴史: かつての間垣部屋は2013年に閉鎖。2026年には別の問題を背景に宮城野部屋も正式に消滅した。
【2026年最新】間垣親方の現在は元石浦!伊勢ヶ濱部屋での立場とは

現在の間垣親方は、元幕内・石浦です。
日本相撲協会の2026年10月16日現在の職務分掌では、間垣喜翔の名前で主任に位置付けられています。所属は伊勢ヶ濱部屋で、現役時代の最高位は前頭五枚目です。
親方になった現在も、現役時代の四股名である石浦と間垣という年寄名の両方が使われるため、検索時に混乱する人も少なくありません。
間垣親方の基本プロフィール

| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 現在の年寄名 | 間垣喜翔 |
| 現役時代の四股名 | 石浦鹿介 |
| 本名 | 石浦将勝 |
| 生年月日 | 1990年1月10日 |
| 出身地 | 鳥取県鳥取市 |
| 身長 | 172.5cm |
| 体重 | 98.8kg(協会登録情報) |
| 最高位 | 前頭五枚目 |
| 引退 | 2023年 |
| 所属部屋 | 伊勢ヶ濱部屋 |
| 現在の役職 | 主任 |
日本相撲協会の公式プロフィールでは、石浦の力士としての記録と、間垣親方としての現在の所属が併記されています。
現在は部屋の師匠ではなく部屋付き親方

間垣親方は伊勢ヶ濱部屋に所属していますが、部屋の師匠ではありません。
現在の伊勢ヶ濱部屋の師匠は、元第73代横綱・照ノ富士の伊勢ヶ濱親方です。
間垣親方は部屋付き親方として、師匠やほかの親方とともに力士の育成に関わる立場にあります。
日本相撲協会の職務分掌では、間垣親方の担当として次の業務が記載されています。
- 相撲教習所(決まり手係)
- 指導普及部
- 社会貢献部
つまり、現在の活動は所属部屋での後進育成だけではありません。相撲協会の教育や普及に関する業務にも携わっています。
【石浦鹿介の経歴】本名・学歴・現役時代のプロフィール
間垣親方の現役時代を知るうえで欠かせないのが、石浦鹿介としての経歴です。
石浦は1990年1月10日、鳥取県鳥取市に生まれました。幼少期から相撲に取り組み、学生時代には全国規模の大会でも実績を残しています。
鳥取城北高校から日本大学へ
石浦は5歳から相撲を始めました。
鳥取西中学校を経て、相撲の強豪校として知られる鳥取城北高校に進学。高校時代には世界ジュニア選手権の軽量級で優勝しています。
その後、日本大学に進学し、大学1年時には東日本学生体重別無差別級で準優勝しました。
大学卒業後には約半年間のオーストラリア留学を経験。その後、宮城野部屋に入門しました。
当時の師匠は元横綱・白鵬です。石浦は白鵬の内弟子として角界に入り、2013年1月場所で初土俵を踏みました。
石浦の出世と幕内昇進
初土俵から着実に番付を上げ、2015年3月場所で新十両に昇進。
そして2016年11月場所で新入幕を果たしました。
新入幕の場所では10勝を挙げ、優勝争いにも加わる活躍を見せています。この成績によって敢闘賞を獲得しました。
石浦の特徴は、体格に頼らない技巧的な相撲です。
身長172.5cmという比較的小柄な体格ながら、右四つからの下手投げや下手ひねり、出し投げなどを得意としていました。
相手の懐に入り、体勢を崩して勝負を決める取り口は、重量級の力士が多い幕内でも存在感を発揮しました。
スポニチの2023年6月の引退報道でも、石浦は小兵力士の手本となる存在として紹介されています。
【現役時代の成績】幕内26場所と首のけがによる引退の経緯
石浦は幕内で26場所を務め、通算350勝を記録しました。
幕内優勝こそありませんでしたが、新入幕での敢闘賞や前頭五枚目への昇進など、印象に残る実績を残しています。
石浦の主な成績
| 成績項目 | 記録 |
|---|---|
| 生涯戦歴 | 350勝321敗108休 |
| 生涯在位 | 62場所 |
| 幕内戦歴 | 161勝186敗43休 |
| 幕内在位 | 26場所 |
| 最高位 | 前頭五枚目 |
| 幕内優勝 | 0回 |
| 十両優勝 | 0回 |
| 敢闘賞 | 1回 |
| 殊勲賞 | 0回 |
| 技能賞 | 0回 |
| 序二段優勝 | 1回 |
| 序ノ口優勝 | 1回 |
| 金星 | 0個 |
出典:日本相撲協会公式の力士プロフィール。
2022年春場所で首を負傷
石浦の現役生活に大きな影響を与えたのが、2022年3月の春場所です。
当時、自己最高位となる西前頭五枚目で土俵に上がっていました。
しかし、3日目の琴ノ若戦で押し出しに敗れた際、土俵下でうずくまり、しばらく起き上がれない状態になりました。
翌4日目の3月16日から休場しています。
日本相撲協会に提出された診断書には、次の内容が記載されていました。
「頸椎症性神経根症の増悪により今後2週間程度の安静加療を要する」
これは首の疾患が悪化したことを示す診断内容です。
その後、引退を伝えた2023年の報道では、石浦は「中心性頚髄損傷」と診断されていたことも明らかになりました。
つまり、単なる一時的な首の痛みではなく、競技生活の継続に大きく影響する深刻な負傷だったのです。
7場所連続全休から引退へ
2022年春場所を最後に土俵から離れた石浦は、同年夏場所から7場所連続で全休しました。
休場が続くなか、番付も徐々に下降。2023年5月場所では西序二段六十枚目まで番付を落としていました。
そして2023年6月1日、日本相撲協会の理事会で石浦の現役引退と年寄「間垣」の襲名が承認されました。
当時33歳でした。
この引退は、長期休場から復帰できなかったことと、首の重大な負傷が大きく関係しています。
現役続行を断念した一方で、親方として角界に残る道を選びました。
注目したいのは、石浦が引退を決断する前から後輩の指導に関わっていたことです。
スポニチの報道によれば、当時すでに炎鵬や輝鵬、伯桜鵬らに治療法やトレーニング方法を教えていました。
自身の経験を次の世代に伝えるという意味でも、親方への転身は自然な流れだったと考えられます。
【間垣親方の歴代襲名者】2代目若乃花・時天空・白鵬から石浦へ
間垣という年寄名跡は、石浦が初めて名乗った名前ではありません。
歴代の襲名者には、横綱経験者や幕内で活躍した力士が名を連ねています。
特に検索されることが多いのが、2代目若乃花、19代間垣の時天空、21代間垣の白鵬です。
近年の間垣親方の継承の流れ
18代間垣:2代目若乃花
1983年に現役を引退した元横綱2代目若乃花が間垣を襲名しました。
同年12月には間垣部屋を創設し、師匠として後進の育成に取り組みました。
しかし、2007年3月に脳内出血で倒れ、その後も健康上の問題が続きました。2013年3月の春場所を最後に部屋を閉鎖し、同年12月に相撲協会を退職しています。
19代間垣:時天空
元小結・時天空は2016年8月に現役を引退し、年寄「間垣」を襲名しました。
しかし、現役時代から治療していた悪性リンパ腫の病状が悪化。2017年1月31日、37歳で亡くなりました。
短い親方生活でしたが、若手を指導しながらともに成長したいという思いを持っていたことが報道されています。
20代間垣:土佐豊
元幕内・土佐豊は2018年4月20日に間垣を襲名しました。
その後、2021年2月に時津風部屋を継承することになり、17代時津風へと名跡を変更しています。
21代間垣:白鵬
元横綱・白鵬は2021年9月30日に現役を引退し、年寄「間垣」を襲名しました。
白鵬が間垣親方だった期間は約10か月です。
2022年7月28日、宮城野部屋を継承するため、当時の宮城野親方だった元前頭・竹葉山と名跡を交換。白鵬は13代宮城野となり、竹葉山が22代間垣を襲名しました。
22代間垣:竹葉山
元前頭・竹葉山は、2022年7月から2023年6月まで間垣を名乗りました。
2023年6月1日に退職し、その後、元幕内・石浦が23代間垣を継承しました。
23代間垣:石浦
2023年6月1日から現在まで間垣を名乗っています。
間垣の年寄名跡の変遷一覧
| 代数 | 襲名者 | 主な期間・出来事 |
|---|---|---|
| 18代 | 2代目若乃花 | 1983年~2013年 |
| 19代 | 時天空 | 2016年~2017年 |
| 20代 | 土佐豊 | 2018年~2021年 |
| 21代 | 白鵬 | 2021年~2022年 |
| 22代 | 竹葉山 | 2022年~2023年 |
| 23代 | 石浦 | 2023年~現在 |
※間垣という名跡には、上記以外の歴代襲名者もいます。ここでは近年の継承者を中心に整理しています。
この変遷を見ると、間垣という名前は一人の親方に固定されたものではなく、引退や部屋の継承、年寄名跡の交換などに伴って受け継がれてきたことが分かります。
特に白鵬のケースは、間垣と宮城野という2つの名跡が交換された点で特徴的です。
【間垣部屋の閉鎖理由】2013年の閉鎖と2026年の宮城野部屋消滅は別問題
「間垣部屋はなぜ閉鎖されたのか」という疑問には、注意が必要です。
実は、間垣部屋の閉鎖と、2026年に決まった宮城野部屋の消滅は、まったく異なる経緯によるものです。
2代目若乃花が率いた間垣部屋は2013年に閉鎖
間垣部屋は、元横綱2代目若乃花が1983年に創設した相撲部屋です。
幕内で活躍した五城楼などを育てました。
しかし、2007年に師匠の2代目若乃花が脳内出血で倒れ、健康状態が悪化。部屋の運営や弟子の指導を続けることが難しくなりました。
その結果、2013年3月の春場所を最後に部屋を閉鎖しています。
所属していた力士たちは伊勢ヶ濱部屋へ移籍しました。
同年12月には、2代目若乃花も健康上の理由から日本相撲協会を退職しています。
したがって、間垣部屋の閉鎖は、師匠の健康問題が大きな理由でした。
2026年5月には宮城野部屋も正式に消滅
一方、2026年5月28日に日本相撲協会が決定したのは、旧宮城野部屋の伊勢ヶ濱部屋への預かり措置解除です。
宮城野部屋は元横綱・白鵬が師匠を務めていましたが、2024年2月に元幕内・北青鵬の暴力問題が表面化。
白鵬は監督責任違反などで懲戒処分を受け、2024年3月場所後、所属力士たちは伊勢ヶ濱部屋で預かられることになりました。
その後、白鵬は2025年6月に日本相撲協会を退職。
そして2026年5月28日、次の事情を踏まえて預かり措置の解除が決まりました。
- 伊勢ヶ濱部屋で預かるようになってから2年以上が経過したこと。
- 当時の宮城野親方だった白鵬が退職してから1年が経過したこと。
- 宮城野部屋の再興を希望する年寄からの申請がなかったこと。
これによって旧宮城野部屋の力士たちは正式に伊勢ヶ濱部屋所属となり、宮城野部屋は消滅しました。
このとき間垣親方も、旧宮城野部屋出身の部屋付き親方として取材に応じています。
デイリースポーツの2026年5月28日の報道によると、間垣親方は次のように語りました。
力士のためにやることは変わりません。
部屋の名称や所属形態が変わっても、力士を支えるという親方としての役割は変わらないことを示した発言です。
つまり、2013年の間垣部屋閉鎖と2026年の宮城野部屋消滅を同じ出来事として理解してはいけません。
【炎鵬への指導】間垣親方の2026年の活動と後進育成
2026年の間垣親方の活動を語るうえで、重要な存在が炎鵬です。
炎鵬は小兵ながら幕内で活躍した力士で、宮城野部屋に入門した2017年から石浦と近い関係にありました。
石浦自身も小柄な体格で幕内を戦ってきたため、炎鵬の相撲や身体的な負担について理解できる部分が多かったと考えられます。
炎鵬に2度引退を勧めた理由
2026年5月10日の日刊スポーツの報道では、間垣親方が炎鵬に2度、引退を勧めていたことが紹介されました。
1度目は、炎鵬が十両だった時期に大けがの状態を心配したときです。
2度目は、復帰を目指していた炎鵬が幕下で負け越したときでした。
間垣親方は、炎鵬の将来や相撲以外の人生も考えたうえで、引退という選択肢を伝えたと報じられています。
しかし、炎鵬は2度とも現役続行を選びました。
そして2026年5月場所、炎鵬は脊髄損傷の大けがから約3年ぶりに関取へ復帰しました。
再十両を決めた際には、間垣親方も祝いの席を設けて、その復活をねぎらっています。
日刊スポーツの取材では、間垣親方は炎鵬について、幕内に戻ってほしいという期待も語っています。
自身のけがの経験を指導に生かす
石浦と炎鵬には、小柄な体格で大型力士に立ち向かうという共通点があります。
さらに、両者とも首や脊髄に関わる深刻なけがを経験しています。
2023年の石浦引退時には、すでに炎鵬や輝鵬、伯桜鵬らに治療法やトレーニング方法を教えていたことが報道されました。
これは単に技術を伝えるだけではありません。
自分自身が負傷によって現役生活を終えた経験があるからこそ、力士の身体の状態や競技を続けるリスクについて、実感を伴った助言ができる立場にあります。
もちろん、競技復帰の判断は個々の力士の身体状況によって異なります。それでも、経験者として力士の将来を考える姿勢は、間垣親方の指導者としての特徴の一つです。
2026年11月現在、間垣親方は伊勢ヶ濱部屋の主任として、協会の職務と後進育成の両方に携わっています。
【間垣親方の現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:現在の間垣親方は誰ですか?
A1:元幕内力士の石浦鹿介です。2023年6月に現役を引退し、23代間垣を襲名しました。2026年現在は間垣喜翔として伊勢ヶ濱部屋に所属し、主任を務めています。
Q2:石浦鹿介の本名は何ですか?
A2:本名は石浦将勝(いしうら・まさかつ)です。石浦鹿介は現役時代の四股名で、現在は年寄名の間垣を名乗っています。
Q3:石浦はなぜ引退したのですか?
A3:2022年春場所で首を負傷し、頸椎症性神経根症や中心性頚髄損傷と診断されたことが大きな理由です。その後7場所連続で全休し、2023年6月に引退しました。
Q4:白鵬も間垣親方だったのですか?
A4:はい。白鵬は2021年9月に21代間垣を襲名しました。2022年7月に宮城野部屋を継承する際、竹葉山と名跡を交換し、13代宮城野となっています。
Q5:間垣部屋は現在も存在しますか?
A5:現在は存在しません。2代目若乃花が創設した間垣部屋は2013年3月に閉鎖されました。2026年に消滅した宮城野部屋とは別の相撲部屋です。
Q6:間垣親方は炎鵬の指導をしていますか?
A6:間垣親方は、炎鵬が宮城野部屋に入門した2017年から近くで見守ってきました。2026年5月の報道でも、炎鵬のけがや復帰について助言し、再十両を祝ったことが紹介されています。
まとめ:【プロの結論】間垣親方の現在と今後の注目ポイント
2026年現在の間垣親方は、元幕内・石浦鹿介です。
本名は石浦将勝。現役時代は前頭五枚目まで昇進し、幕内26場所、通算350勝という成績を残しました。
首のけがによって現役生活には幕を下ろしましたが、2023年に23代間垣を襲名してからは、親方として後進の育成に取り組んでいます。
今回の経歴を理解するうえで、特に押さえておきたいポイントは3つです。
1.間垣親方と間垣部屋は別の概念
現在の間垣親方は石浦ですが、間垣部屋は2013年に閉鎖されています。年寄名跡が受け継がれているからといって、同じ名前の相撲部屋が存続しているわけではありません。
2.白鵬や時天空も間垣を襲名していた
間垣という名跡は、2代目若乃花、時天空、土佐豊、白鵬、竹葉山らを経て石浦に受け継がれています。特に白鵬と竹葉山の名跡交換は、宮城野部屋の継承と密接に関係しています。
3.2026年は指導者としての役割が新たな注目点
炎鵬の約3年ぶりの関取復帰や、旧宮城野部屋の正式な伊勢ヶ濱部屋への移行は、間垣親方にとっても大きな節目となりました。
今後注目したいのは、現役時代に培った技術や負傷から得た経験を、どのように若い力士たちへ伝えていくかという点です。
日本相撲協会の公式プロフィールと職務分掌を確認すれば、現在の所属や役職を正確に把握できます。また、歴代襲名者を調べる際には、親方の名前と相撲部屋の名称を分けて考えることが大切です。
間垣親方・石浦将勝の次の注目点は、土俵で残した実績を、指導者としてどのような形で次世代につないでいくかにあります。