【病気は何だったのか】山田五郎さんが公表したステージ4Bの原発不明がんとは
山田五郎さんが患っていたのは、原発不明がん(原発不明癌)です。
2024年10月4日、自身のYouTubeチャンネルで公表した際、山田さんはがんが肝臓だけでなく、リンパや骨にも転移していることを説明しました。
進行度についても、自ら「ステージ4B」と表現しています。
原発不明がんとはどのような病気?

原発不明がんとは、がんが転移していることは確認できても、最初にがんが発生した臓器(原発巣)が特定できない病気です。
国立がん研究センター希少がんセンターによると、十分な画像検査や病理検査を行っても、原発巣を特定できないケースがあります。
成人の固形がん全体の約1〜5%を占めるとされ、複数の異なる病態を含む希少がんの一種です。
重要なのは、原発不明がんという名称が、がんの発生原因そのものを意味しているわけではない点です。
がんが最初に発生した場所が分からないのであって、がん細胞が存在しないわけではありません。
なぜ山田五郎さんは原発不明がんと診断されたのか

2026年1月31日公開の集英社オンラインの対談で、山田さんは東京都立駒込病院の希少がん専門医・下山達医師らと診断当時の状況を振り返っています。
医師によると、原発巣が分からない理由には、主に次の可能性があります。
- 原発巣が非常に小さく、画像検査で発見できない。
- 何らかの免疫反応などによって、原発巣が消失してしまった。
さらに、転移したがん細胞が元の臓器の特徴を失っている場合も、発生元の特定は難しくなります。
山田さんの場合も、生検で採取した細胞は元の臓器の特徴が分からない未分化がんだったと、本人が対談で明かしています。
つまり、肝臓に多数のがんが見つかったからといって、肝臓が最初の発生場所だったわけではありません。
この違いが、山田さんの病気を理解するうえで大切なポイントです。
【がん発覚の理由】突然の腰痛からステージ4Bと診断されるまで

山田さんの病気が明らかになったきっかけは、腰の痛みでした。
本人が2026年1月の集英社オンラインの対談で詳しく説明したところによると、最初に異変を感じたのは2024年6月末です。
当初はぎっくり腰だと思っていましたが、実際には骨へのがん転移が関係していました。
発覚までの詳しい時系列
山田さんが公開した情報と、本人の対談で明らかになった経過を整理すると、次のようになります。
| 時期 | 出来事 | 病状・状況 |
|---|---|---|
| 2024年初めごろ | 人間ドック | 5か月前の検査ではMRIに異常なし |
| 2024年6月末 | 突然の腰痛 | ぎっくり腰と思い、整形外科を受診 |
| 2024年7月 | 肋骨の骨折 | 咳をした際に肋骨が折れる |
| 2024年7月末 | 人間ドック | 医師から速やかなMRI検査を勧められる |
| 2024年8月初め | MRI・PET検査 | 肝臓、骨、リンパへのがん転移が判明 |
| 2024年8月末ごろ | 原発不明がんと診断 | 原発巣が特定できず、治療開始 |
| 2024年10月4日 | 病気を公表 | ステージ4Bの原発不明がんを報告 |
| 2025年 | 治療と仕事を継続 | 伊丹十三賞を受賞 |
| 2026年1月 | 闘病について対談 | 抗がん剤治療や副作用を詳しく説明 |
| 2026年7月14日 | 死去 | 67歳 |
| 2026年7月31日 | 最後の授業を公開 | 「メメント・モリ」が公開される |
腰痛の正体は骨へのがん転移だった
2024年10月4日の公表動画で、山田さんは、以前ぎっくり腰だと説明していた症状について、実際にはがんだったと明かしました。
がんが骨に転移し、腰椎が圧迫骨折を起こしていたのです。
さらに、7月には咳をした瞬間に肋骨も折れたと、後の対談で振り返っています。
腰痛を単なる筋肉の問題だと思っていたところ、検査によって深刻な病状が明らかになりました。
なぜ検査で発見が遅れたのか
山田さんは、腰の異常を感じた時点で整形外科を受診していました。
医師からMRI検査を勧められたものの、本人は仕事が忙しかったこともあり、痛み止めを飲んで様子を見ていたと説明しています。
その後、人間ドックで再び検査を勧められ、大学病院でMRIとPET検査を受けることになりました。
本人によると、画像には肝臓や骨、リンパに多数の異常が映っていたとのことです。
また、がんの発生元を調べるために約1か月かかり、原発不明がんと最終診断されたのは2024年8月末ごろでした。
山田さんは、この診断が確定するまでの1か月間が精神的に最もつらかったと振り返っています。
【骨転移・リンパ転移と抗がん剤治療】闘病中に明かした副作用と治療内容
山田さんの病状で特に深刻だったのは、複数の部位に転移が確認されていたことです。
本人の公表や後の対談から、肝臓・リンパ・骨への転移が明らかになっています。
骨転移による腰椎圧迫骨折
骨転移とは、別の場所で発生したがん細胞が骨に移動し、そこで増殖することです。
山田さんの場合、腰椎への転移によって圧迫骨折が起きていました。
2024年10月の公表時には、腰に放射線治療を受けたことで痛みが大きく軽減したと説明しています。
その後、骨が回復するまで約半年間コルセットを装着して生活したことも、2026年1月の対談で明らかにしました。
リンパ転移と肝臓への広がり
リンパ節は、体内の免疫機能に関わる組織です。
がん細胞がリンパ管を通じて移動すると、リンパ節に転移することがあります。
山田さんの場合は、骨だけでなくリンパや肝臓にもがんが確認されていました。
ただし、肝臓にがんが多数見つかったことと、肝臓が原発巣だったことは別の話です。
この点は、原発不明がんという診断の特徴を理解するうえでも重要です。
抗がん剤治療の内容と副作用
2026年1月31日に公開された集英社オンラインの対談では、山田さん自身が具体的な治療内容を語っています。
最初に受けた抗がん剤は、カルボプラチンとパクリタキセルの併用療法でした。
本人によると、当初は腫瘍がかなり小さくなるなど、一定の効果が見られたそうです。
しかし、約6か月間治療を続けたところで腫瘍マーカーのCA19-9が上昇し、治療方針の変更を検討することになりました。
その後、主治医と相談して免疫チェックポイント阻害薬のオプジーボを試しました。
ところが、画像検査で効果が確認できず、39度程度の高熱も頻繁に出たため、最終的に中止したと説明しています。
山田さんが語った抗がん剤のつらさ
本人が明かした副作用は、吐き気や倦怠感だけではありませんでした。
| 副作用 | 本人が説明した影響 |
|---|---|
| 強い倦怠感 | 点滴後2〜3日ほど、階段の昇降や座ることもつらい |
| 吐き気 | ご飯を炊く匂いも受け付けなくなった |
| 末梢神経障害 | 手足の指先の感覚が失われた |
| 高熱 | オプジーボ使用時に39度程度の発熱が頻発 |
特に深刻だったのが末梢神経障害です。
指先の感覚がなくなったことで、原稿のタイピングにミスが増え、趣味だった時計の修理やギター演奏も難しくなったと話しています。
一方、制吐剤を併用することで吐き気は軽減していたとも説明していました。
この対談から分かるのは、山田さんの闘病が単純にがんそのものとの戦いだけではなかったということです。
治療を続けるためには、薬の副作用とも向き合わなければなりませんでした。
【闘病生活の経緯と2026年7月14日の死去】最後まで仕事を続けた山田五郎さん
山田さんは、がんを公表した後も仕事を続ける意向を示していました。
2024年10月の公表動画では、治療を受けながら仕事を継続する考えを明らかにしています。
実際、闘病生活の中でもYouTubeやテレビ出演、執筆活動を続けていました。
2025年には伊丹十三賞を受賞
2025年7月、山田さんは第17回伊丹十三賞の受賞者に選ばれました。
受賞対象となったのは、YouTubeチャンネル「山田五郎 オトナの教養講座」です。
伊丹十三記念館の公式発表では、美術を対話形式で掘り下げる同チャンネルの斬新さや面白さが評価されています。
同年10月の贈呈式では、山田さんが闘病についても語りました。
報道によると、当時は抗がん剤治療を受けながら食事もできており、体重が増えたことについても話していました。
2026年3月以降に深刻化した体調
大きな変化が明らかになったのは2026年7月17日に公開された動画でした。
山田さんは鼻に医療用チューブを装着した姿で登場し、同年3月に昏睡状態になった後の経過を説明しています。
本人が語った内容によると、次のような変化が起きていました。
- 3月に昏睡状態になった。
- その後、歩行が困難になり車椅子を使用するようになった。
- 腹水と胸水がたまり、呼吸が困難になった。
- 酸素吸入が必要になった。
- 固形物を食べられなくなった。
これまで仕事を続けてきた山田さん自身も、身体の変化に驚きを隠せない様子でした。
この動画は、本人が病状の深刻化を伝えた重要な発信となりました。
2026年7月14日、67歳で死去
2026年7月22日、所属事務所が公式YouTubeチャンネルを通じて山田さんの訃報を発表しました。
亡くなったのは、2026年7月14日の夕方。67歳でした。
葬儀は7月18日に執り行われたと報じられています。
テレビ朝日やTBSなどの報道でも、原発不明がんで闘病していたこと、抗がん剤治療を受けながら仕事を続けていたことが伝えられました。
山田さんは1958年12月5日生まれです。67歳で亡くなったという報道とも年齢に矛盾はありません。
【最後の動画「メメント・モリ」】山田五郎さんが最期に伝えたかったこと
山田さんの訃報後、多くの人が注目したのが「山田五郎 オトナの教養講座」で公開された最後の動画です。
2026年7月31日、チャンネルに投稿された動画のタイトルは、
「〖メメント・モリ〗山田五郎、最後の授業。伝えたい言葉。〖皆様へのメッセージ〗」
でした。
最後の授業は亡くなる5〜6日前に収録
TBS NEWS DIGが2026年8月1日に報じたところによると、この動画は山田さんが亡くなる5〜6日前に収録されたものです。
本人から「このかたちで収録ができるのはたぶん最後だから」と申し出があり、できるだけ普段どおりの形式で撮影されたといいます。
動画の前半では、美術評論家としての知識を生かし、ドクロを描いた絵画などを取り上げています。
テーマとなったのは「メメント・モリ」。
ラテン語で「死を想え」という意味を持つ言葉です。
「今できることは今やる」というメッセージ
最後の講義で特に印象的なのは、メメント・モリと対になる考え方として、山田さんがカルペ・ディエムを紹介したことです。
カルペ・ディエムとは「今日の花を摘め」という意味で、今という時間を大切にする考え方です。
スタッフから、体調がつらい中でも収録を続ける理由を尋ねられた山田さんは、次のように答えました。
今、摘まなきゃ明日は無理だ。今できることは今やる。
さらに、5年半続けてきたチャンネルについて感謝を伝え、今後はしばらく休むことになるだろうと話しました。
最後には、視聴者に向けて「世の中、お金じゃねぇよ」という思いも語っています。
この動画は、単なる美術解説ではありませんでした。
生涯にわたって知識を伝える仕事をしてきた山田さんが、最後まで自分らしい方法で視聴者と向き合った記録です。
【原発不明がんの原因と症状】知っておきたい病気の基礎知識
山田さんの闘病をきっかけに、原発不明がんという病名を初めて知った人も多いはずです。
ここでは、国立がん研究センターの情報をもとに、病気の特徴を整理します。
原発不明がんになる原因は?
原発不明がんは、がんの発生元が特定できないという診断名です。
したがって、原発不明がんに共通する単一の発症原因があるわけではありません。
がんそのものにはさまざまな発生要因がありますが、山田さん個人の発症原因について、特定の生活習慣や環境要因が関係していたという公表情報はありません。
また、本人は集英社オンラインの対談で、十数年前に早期の食道がんを経験し、内視鏡治療を受けたことも明かしています。
ただし、今回の原発不明がんが、その食道がんから再発・転移したものだと確認されたわけではありません。
原発不明がんに見られる主な症状
症状は、がんが転移した場所によって異なります。
国立がん研究センターのがん情報サービスでは、次のような症状が紹介されています。
| 転移した場所 | 主な症状 |
|---|---|
| リンパ節 | 腫れ、しこり |
| 胸膜 | 胸水、息苦しさ |
| 腹膜 | 腹水、お腹の張り |
| 肝臓 | 上腹部の不快感、膨満感 |
| 骨 | 骨の痛み、骨折 |
| 脊椎 | 痛み、しびれ、麻痺 |
ただし、転移があっても自覚症状が現れない場合があります。
山田さん自身も、2026年1月の対談では、がんそのものによる痛みや苦しさはほとんど感じていなかったと話していました。
ステージ4Bはどれほど進行した状態なのか
山田さんが公表したステージ4Bは、広範囲への転移を伴う進行した状態を示す説明です。
肝臓、骨、リンパへの転移が確認され、手術ではなく薬物療法を中心とした治療が必要になっていました。
ただし、ステージ4という診断だけで、その後の経過や余命が一律に決まるわけではありません。
原発不明がんは、転移した場所やがん細胞の性質、患者の身体状態などによって治療方針も経過も異なります。
山田さん自身も、治療薬によって腫瘍が縮小した時期と、薬が効かず変更を余儀なくされた時期の両方を経験していました。
【山田五郎さんの病気に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:山田五郎さんの病名は何でしたか?
A1:2024年10月4日に公表した病名は、ステージ4Bの原発不明がんです。肝臓、リンパ、骨への転移が確認されていました。
Q2:山田五郎さんのがんはいつ発覚しましたか?
A2:2024年8月にMRIやPET検査を受け、原発不明がんと診断されたのは同月末ごろです。本人が病気を公表したのは2024年10月4日でした。
Q3:山田五郎さんは抗がん剤治療を受けていましたか?
A3:はい。カルボプラチンとパクリタキセルによる治療を受け、その後オプジーボも試しました。副作用や効果を確認しながら治療方針を変更していました。
Q4:山田五郎さんはいつ亡くなりましたか?
A4:2026年7月14日に67歳で亡くなりました。所属事務所が同月22日に訃報を発表しています。
Q5:山田五郎さんの最後の動画は何ですか?
A5:2026年7月31日に公開された「メメント・モリ」です。亡くなる5〜6日前に収録された、視聴者への最後のメッセージを含む授業動画です。
Q6:原発不明がんは肝臓がんと同じ病気ですか?
A6:違います。肝臓にがんが転移していても、最初に発生した臓器が肝臓とは限りません。原発巣が特定できない場合に原発不明がんと診断されます。
まとめ:山田五郎さんが残した闘病の記録と最後のメッセージ
山田五郎さんの病気は、ステージ4Bの原発不明がんでした。
2024年6月末の腰痛をきっかけに検査を受け、肝臓・骨・リンパへの転移が判明。2024年10月4日に病気を公表してからも、抗がん剤治療を続けながらテレビ出演やYouTube、執筆活動に取り組んでいました。
2025年には第17回伊丹十三賞を受賞。2026年1月には自身の治療内容や副作用についても詳しく語っていました。
しかし、2026年3月以降は体調が大きく悪化し、同年7月14日に67歳で亡くなりました。
そして、亡くなる数日前に収録された最後の授業「メメント・モリ」は、7月31日に公開されました。
山田さんが残した「今できることは今やる」という言葉は、最後まで知識を伝えようとした本人の姿勢と重なります。
美術や歴史、時計、文化を独自の視点で解説し、多くの人に学ぶ楽しさを届けてきた山田五郎さん。
病気を公表してから最期まで発信を続けた姿と、最後の授業に込められたメッセージは、これからも「山田五郎 オトナの教養講座」を通じて、多くの視聴者に受け継がれていくはずです。
主な参考資料
- 国立がん研究センター「がん情報サービス」
- 国立がん研究センター希少がんセンター「原発不明がん」
- 集英社オンライン(2026年1月31日、山田五郎さんと希少がん専門医・下山達医師の対談)
- 伊丹十三記念館「第17回伊丹十三賞受賞者」
- TBS NEWS DIG(2026年7月22日、8月1日)
- テレビ朝日NEWS(2026年7月22日)
- 日刊スポーツ、スポニチ、ORICON NEWS