【1】父・大休と母・和子はどんな人?それぞれの職業と人物像

目次

高市早苗氏の両親は、いずれも一般企業や公的機関で働いていた共働きの会社員家庭です。

2025年11月の『文藝春秋』による親族取材や、テレビ報道、本人のインタビューから、父と母それぞれの経歴が明らかになっています。

父親・大休は機械メーカーの営業職

高市早苗親


高市大休さん

- 名前:大休(だいきゅう)
- 職業:機械メーカー勤務
- 職種:設備機械メーカーの営業職と報道
- 出身地:愛媛県松山市
- 享年:79歳

父親の大休さんは、機械メーカーに勤める会社員でした。2025年12月の『女性自身』の報道では、設備機械メーカーの営業職だったと紹介されています。

仕事では取引先との関係を大切にし、問題が発生すれば休日や夜間でも対応する仕事熱心な人物だったと伝えられています。

高市氏にとって、父親は単に家庭を支える存在ではありませんでした。

政治家としての活動を始める際にも、父親の言葉が大きな意味を持つことになります。

特に注目したいのが、1993年の衆議院議員選挙に再挑戦する際のエピソードです。最初の選挙で落選し、再出馬を迷っていた高市氏に、父親は手紙を残しました。

その手紙には、退職金を選挙費用に使ってもよいという趣旨の言葉と、挑戦を後押しするメッセージが書かれていたとテレビ朝日が報じています。

大学進学には反対していた父親が、政治家への挑戦では娘を応援したのです。

母親・和子は奈良県警に勤務した働く女性

高市早苗親


高市和子さん

- 旧姓:渡辺
- 出身地:愛媛県
- 職歴:愛媛県庁、奈良県警
- 家庭での役割:仕事と家事・育児を両立
- 享年:86歳

母親の和子さんは、愛媛県出身です。

2026年9月の『文春オンライン』の記事によると、県立松山北高校を卒業後、愛媛県庁に勤務。その後、大休さんとの結婚を経て奈良県に移り、奈良県警に転職したとされています。

注目すべきなのは、母親自身も働き続けながら家庭を支えていたことです。

高市氏の回想によると、和子さんは仕事だけでなく、洗濯やアイロンがけなどの家事もこなし、家の中を整えていました。

また、娘に対しては非常に厳しい教育を行っていたといいます。

母親の教育観を象徴する言葉として、1990年刊行の『母の教え』に収録された高市氏の文章に登場するのが、次の教えです。

「真っ赤なバラのようであれ」

女性であることに甘えず、自分の意思を持ち、間違ったことには毅然と向き合う。そんな意味を込めた母親の言葉だったと紹介されています。

母親の生き方そのものが、娘にとって働く女性の一つのモデルになっていたことがうかがえます。

【2】高市早苗の幼少期は奈良県!共働き家庭と弟・知嗣との関係

高市早苗親

高市氏は1961年3月7日、奈良県で誕生しました。

父親と母親がともに働く家庭で、6歳下の弟・知嗣さんと育ちました。

幼少期には父方の祖父も同居していたと『文藝春秋』の親族取材で紹介されています。

小学生の頃から弟の世話をしていた

高市氏自身が2025年の対談で振り返った幼少期のエピソードは、共働き家庭の実情をよく表しています。

テレビ朝日の報道によると、高市氏は次のように語っています。

「私が小学校から帰ってきたら、弟のおむつ替えたり、ミルクあげたりしてですね」

さらに、小学生時代は弟の世話があったため、友達と遊ぶ時間があまりなかったとも振り返っています。

6歳年下の弟が生まれたことで、幼いながらも家庭内で育児を手伝う立場になっていたのです。

この経験は、高市氏の子ども時代を理解するうえで重要なポイントです。

単純に厳格な家庭で育ったというだけでなく、両親が働く家庭の中で、年長の子どもとしての役割を担っていました。

弟・知嗣は政治活動を支える存在

弟の名前は知嗣さんです。

姉より6歳年下で、報道では高市氏の秘書として紹介されています。

1984年春、高市氏が松下政経塾に入塾した際には、母親の和子さんとともに入塾式に出席していたことも、2026年9月の『文春オンライン』で伝えられました。

幼い頃から弟の世話をしていた姉と、その姉の人生の節目に立ち会った弟。

2人の関係は、単なる政治家と秘書という関係だけでは説明できない、長い家族の歴史を持っています。

ただし、弟の現在の生活や家族の私的な情報については、公表されている範囲に限られます。

【3】両親の教育方針とは?教育勅語や母親の厳しいしつけ

高市氏の政治信条や価値観を理解するうえで、家庭教育は重要な要素です。

本人が複数のインタビューで語っているのは、両親から日常生活の基本的な規範を繰り返し教えられていたということです。

両親が大切にしていた4つの教え

『文藝春秋』の親族取材や高市氏本人のインタビューを整理すると、家庭で重視されていた教えには次のようなものがあります。

1. 他人に迷惑をかけない。
2. 職業に貴賤はない。
3. 他人の悪口を言わない。
4. ご先祖様に感謝する。

特に、ご先祖様への感謝は日々の生活習慣として実践されていました。

高市氏は2021年の大紀元のインタビューで、毎朝炊きたてのご飯や水、お茶を仏壇に供えていたことを説明しています。

食べ物を粗末にしないことや、命のつながりを意識することも、両親から教えられた価値観だったと語っています。

本人は、この家庭教育について次のように述べています。

「親から言われてきたことが、私の物差しになっているように思う。」

家庭で繰り返された日常的な教えが、本人の判断基準の一部になっていたことを示す発言です。

教育勅語を暗唱させられていたというエピソード

高市氏の家庭教育を語る際、しばしば取り上げられるのが教育勅語です。

教育勅語とは、1890年(明治23年)に発布された、当時の道徳教育に関する勅語です。

高市氏は幼い頃、両親から教育勅語を繰り返し教えられ、暗唱していたと過去の文章やインタビューで紹介しています。

『文藝春秋』の記事によると、両親自身も小学校に入る前から全文を暗記していたといいます。

ここで重要なのは、教育勅語のエピソードを、家庭で行われていた教育習慣として捉えることです。

高市氏の政治的な主張すべてを、両親の教育勅語の教えだけで説明することはできません。

一方、伝統、規律、勤労、他者への配慮といった価値観が、本人の幼少期からの家庭環境と結び付いていることは、本人の回想から読み取れます。

母親は99点の答案でも厳しく叱った

2026年9月20日公開の『文春オンライン』の記事では、母親の厳しい教育方針について、さらに詳しいエピソードが紹介されました。

小学生時代、高市氏が99点の答案を持ち帰った際、母親は褒めるどころか叱ったといいます。

理由は、間違えた1点が知識不足ではなく、不注意によるものだったからです。

高市氏は当時の経験を振り返り、100点を取ったときにも母親から褒められた記憶がないと述べています。

一方、母親は娘に対して、男性に経済的に依存せず、自分で生活できる能力を身につけるよう繰り返し教えていました。

仕事がつらいからという理由で結婚を逃げ道にしてはいけない、という考え方も伝えていたとされています。

この教育方針には、母親自身が仕事と家庭を両立してきた経験が反映されていたと考えられます。

【4】神戸大学進学で親子関係に変化!学費を親に頼らなかった理由

高市氏の親子関係を理解するうえで、特に重要なのが神戸大学への進学をめぐる出来事です。

現在の高市氏は神戸大学経営学部の卒業生ですが、進学に際して両親から全面的な賛成を得ていたわけではありません。

両親は4年制大学への進学に反対していた

高市氏は4年制大学への進学を希望していました。

しかし、当時の両親は短期大学への進学を望んでいたといいます。

背景には、当時の女性の就職事情や結婚観がありました。

両親は、短期大学を卒業して地元の銀行や県庁、鉄道会社などに就職し、早く結婚してほしいという希望を持っていたと高市氏本人が説明しています。

テレビ朝日の対談報道では、当時の両親の考えについて、次のように紹介されています。

「短期大学以外に行くんだったら学費を1円も出さない」

高市氏は、この条件を受け入れたうえで神戸大学への進学を選択しました。

受験費用も大学の学費も自分で準備

高市氏は高校時代からアルバイトをして、進学に必要なお金を貯めていました。

報道によると、飲食店での仕事や着ぐるみを着て看板を持つ仕事などを経験したといいます。

大学入学後も家庭教師など複数のアルバイトを続け、学費を自分で賄いました。

つまり、神戸大学への進学は、親の経済的な援助によって実現したものではなく、本人の努力によって実現した進路だったのです。

首相官邸のプロフィールでも、1984年3月に神戸大学経営学部経営学科を卒業したことが確認できます。

大学進学には反対した父親が、政治家への挑戦を応援

ここで見逃せないのが、父親との関係の変化です。

高市氏は1992年に初めて国政選挙に挑戦しましたが、落選しました。

翌年、再び選挙に挑戦するかどうか迷っていたとき、父親から手紙が届きます。

テレビ朝日の報道によると、手紙には次のような言葉が記されていました。

「俺の退職金は選挙の費用として全額使ってもいい。」

さらに、持って生まれた運を信じて全力で挑戦するように励ます内容だったといいます。

高市氏は父親から手紙をもらったことに感動したと振り返っています。

その後、再出馬を決め、1993年7月の衆議院議員総選挙で初当選を果たしました。

この経緯から分かるのは、親子関係が単純な賛成・反対だけで成り立っていたわけではないということです。

大学進学では娘の希望と異なる考えを持っていた父親が、最終的には政治家としての挑戦を支援しました。

親の期待と本人の自立、そして人生の節目での支援が交差したエピソードです。

【5】高市早苗の家族構成・両親との関係を一覧表で整理

ここまでの情報を、家族関係と公表されている経歴に分けて整理します。

家族・関係者 名前・属性 公表されている情報
本人 高市早苗 1961年3月7日、奈良県生まれ
父親 大休 機械メーカー勤務。享年79歳
母親 和子 元愛媛県庁勤務、奈良県警勤務。享年86歳
弟 知嗣 6歳年下。報道では姉の秘書として紹介
父方の祖父 氏名非公表 幼少期に同居していたと報道
父母の出身地 愛媛県松山市 両親ともに松山市出身と報道

両親は現在どうしている?すでに2人とも故人

2026年現在、父親の大休さんと母親の和子さんは、すでに亡くなっています。

高市氏の公式プロフィールでは、尊敬する人物として松下幸之助氏とともに「両親(故人)」が挙げられています。

また、『文藝春秋』の取材記事では、父親が79歳、母親が86歳で亡くなったと紹介されています。

ただし、両親の詳しい逝去年月日については、公式プロフィール上では公表されていません。

親子関係を理解する3つの転換点

高市氏と両親の関係には、次の3つの節目があります。

- 幼少期: 共働き家庭で育ち、弟の世話も担いながら家庭の規律を学んだ。
- 大学進学時: 両親の希望と異なる神戸大学進学を選び、学費を自分で負担した。
- 政治家への挑戦時: 初出馬後の再挑戦を父親が手紙と退職金の申し出で後押しした。

この3つの出来事を並べると、親の価値観を受け継ぎながらも、自分の人生については自分で決断してきた高市氏の歩みが見えてきます。

【6】高市早苗の親族は愛媛県松山市出身?奈良との意外なつながり

高市氏といえば、奈良県出身の政治家という印象が強い人物です。

実際、本人は奈良県で生まれ、奈良県立畝傍高校を卒業し、奈良県を地盤に政治活動を続けてきました。

しかし、父母のルーツをたどると愛媛県松山市に行き着きます。

父親と母親はともに愛媛県松山市出身

2025年11月の『文藝春秋』の記事では、大休さんと和子さんがともに愛媛県松山市の出身だったことが紹介されています。

母親の和子さんは、松山北高校を卒業して愛媛県庁に勤務した経歴があります。

また、同記事では高市家の先祖が松山市南側の松前町で庄屋を営んでいたという親族のルーツにも触れています。

ここで注意したいのは、高市氏本人の出生地と、両親の出身地は異なるという点です。

高市氏は奈良県生まれですが、両親の故郷は愛媛県でした。

幼少期から親戚との交流があった

高市氏本人も、愛媛県で夏休みを過ごした経験を街頭演説で語っています。

『文藝春秋』の記事では、小学6年生の頃、親戚の結婚式で父親に代わって祝辞を述べたというエピソードも紹介されました。

父親が緊張して言葉に詰まった際、高市氏が自ら壇上に出て、代わりに祝辞を述べたというものです。

親族の証言によると、当時から人前で話すことに物怖じしない一面があったといいます。

愛媛の親族との交流は、奈良で育った高市氏にとって、家族のルーツを知る機会でもありました。

2026年11月現在の高市早苗と家族情報

2026年11月2日現在、高市氏は第105代内閣総理大臣です。

首相官邸の歴代内閣情報や政府広報の最新発表でも、総理大臣としての活動が確認できます。

家族に関する公開情報を整理すると、次のようになります。

- 父親・大休さん:故人。
- 母親・和子さん:故人。
- 弟・知嗣さん:姉の政治活動を支えてきた人物として報道。
- 愛媛県の親族:両親の出身地に家族のルーツがある。

両親が亡くなった後も、高市氏は公式プロフィールで両親を尊敬する人物として挙げています。

公的な活動が注目される立場になった現在も、家族の詳しい私生活については、本人や親族が公表している範囲にとどまっています。

【高市早苗の親】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:高市早苗の父親の名前と職業は?

A1:父親の名前は大休(だいきゅう)さんです。機械メーカーに勤務しており、設備機械メーカーの営業職だったと報道されています。79歳で亡くなっています。

Q2:高市早苗の母親は奈良県警で働いていた?

A2:はい。母親の和子さんは愛媛県庁に勤務した後、奈良県に移り、奈良県警に勤務していたと報じられています。86歳で亡くなっています。

Q3:高市早苗には弟がいる?

A3:はい。6歳年下の弟・知嗣さんがいます。報道では高市氏の秘書として紹介されています。

Q4:高市早苗は神戸大学の学費を親に出してもらった?

A4:いいえ。両親は短期大学への進学を希望し、4年制大学への進学費用は援助しないという考えを示していました。高市氏は高校時代のアルバイトなどで受験費用を準備し、大学在学中も働いて学費を賄ったと語っています。

Q5:高市早苗の両親は2026年現在も健在?

A5:いいえ。父親の大休さん、母親の和子さんともに故人です。高市氏の公式プロフィールにも「両親(故人)」と記載されています。

Q6:高市早苗の両親は愛媛県出身?

A6:はい。父親と母親はともに愛媛県松山市出身と報じられています。高市氏本人は奈良県生まれです。

まとめ:高市早苗の親が残した教育と親子関係の本質

高市早苗氏の両親は、機械メーカーに勤めていた父・大休さんと、奈良県警で働いていた母・和子さんです。

2人は共働き家庭を築き、奈良県で娘と息子を育てました。

家庭では礼儀や規律、ご先祖様への感謝、他人への配慮を重視。母親は厳しいしつけを行う一方、働きながら家事も担い、娘に経済的な自立を教えていました。

一方、神戸大学への進学をめぐっては、両親と高市氏の間に意見の相違がありました。本人は学費を自分で工面し、希望する進路を実現しています。

その後、政治家として再挑戦する際には、かつて進学に反対した父親が退職金を選挙費用に充ててもよいと申し出て、娘を応援しました。


【プロの結論】親の反対と支援、その両方が高市早苗の原点

高市氏の家庭環境を理解するうえで重要なのは、両親を単純に厳格な親、あるいは全面的に支援する親として分類しないことです。

進学では娘の希望と異なる考えを持ちながら、政治家への挑戦では父親が大きな支援を示しました。母親からは自立と規律を学び、父親からは仕事への責任感や挑戦を後押しする姿勢を受け取っています。

親から受け継いだ価値観と、自分自身で選び取った人生。その両方を理解することが、高市早苗という政治家の人物像を読み解く鍵です。

2026年現在、両親はすでに他界していますが、高市氏の公式プロフィールには、今も尊敬する人物として両親の名前が残されています。

家族の歴史をたどると、現在の政治的な立場だけでは見えにくい、一人の女性としての成長過程と家族との関係が浮かび上がります。