【王貞治は何歳?】2026年11月現在の年齢と公式プロフィール
王貞治さんは1940年生まれで、2026年11月1日現在、満86歳です。
年齢を確認する際に基準となるのは、NPBや野球殿堂博物館に掲載されている公式プロフィールです。
| プロフィール項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 王貞治(おう・さだはる) |
| 生年月日(公式記録) | 1940年5月20日 |
| 2026年11月現在の年齢 | 86歳 |
| 出身地 | 東京都 |
| 身長・体重 | 177cm・79kg |
| 投打 | 左投左打 |
| 守備位置 | 一塁手 |
| 出身校 | 早稲田実業 |
| 現役所属球団 | 読売ジャイアンツ |
| 現役期間 | 1959~1980年 |
| 主な記録 | 通算868本塁打 |
| 野球殿堂入り | 1994年 |
出典は日本野球機構、野球殿堂博物館の公式プロフィールです。
86歳という年齢の計算方法

1940年5月20日を公式の生年月日として計算すると、次のようになります。
- 2025年5月20日:85歳
- 2026年5月20日:86歳
- 2026年11月1日:86歳
日本で一般的に使用される満年齢では、誕生日を迎えるごとに1歳加算します。
なお、数え年で計算した場合は87歳です。ただし、スポーツ選手の公式プロフィールや報道で使われる年齢は、基本的に満年齢です。
したがって、2026年11月現在の王さんの年齢を知りたい場合は、86歳と覚えておけば間違いありません。
【誕生日の謎を検証】5月10日と5月20日が違う理由とは?

王貞治さんのプロフィールを調べると、5月20日という日付だけでなく、5月10日という別の日付も見つかります。
実は、この10日間の違いには、王さんが生まれた当時の家庭事情が関係しています。
本人が語った実際の出生と戸籍上の日付
2023年12月の中央社(CNA)の報道では、王さんが日本経済新聞の連載企画「私の履歴書」で、自身は1940年5月10日に生まれたと語っていたことが紹介されています。
一方、戸籍上の誕生日は5月20日です。
その背景として伝えられているのが、出生直後の王さんの健康状態でした。
生まれた直後の体調が思わしくなく、両親が長く生きられるか心配して出生届の提出を見合わせたため、実際の出生と戸籍上の記載に10日間のずれが生じたという経緯です。
つまり、2つの日付は単純な誤記やプロフィールの入力ミスではありません。
本人が語った出生の日と、公的なプロフィールに採用されている日付という違いがあります。
5月10日と5月20日の違いを比較
| 比較項目 | 5月10日 | 5月20日 |
|---|---|---|
| 日付の意味 | 本人が語った出生の日 | 戸籍上の誕生日 |
| 生年 | 1940年 | 1940年 |
| 情報の背景 | 本人の回想 | 公的プロフィール |
| NPBの掲載 | 採用されていない | 掲載されている |
| 2026年の年齢 | 86歳 | 86歳 |
ここで押さえておきたいのは、どちらの日付を基準にしても、2026年11月現在の満年齢は86歳ということです。
なぜ公式プロフィールでは5月20日なのか
日本野球機構や野球殿堂博物館は、登録情報として1940年5月20日を採用しています。
スポーツ選手の公式記録では、本人の回想による出生の日と、登録上の生年月日が異なる場合、公式プロフィールに記載された情報を基準にするのが自然です。
そのため、検索する際には次のように整理すると分かりやすくなります。
- 王貞治さんの公式プロフィールを確認するなら5月20日
- 本人が語った出生のエピソードを調べるなら5月10日
- 2026年11月現在の年齢は、どちらを基準にしても86歳
この違いを知っておけば、複数のプロフィールで異なる日付を見つけても混乱することはありません。
【王貞治の年齢と経歴】巨人入団から現在までの歩み
王貞治さんの野球人生は、早稲田実業での高校野球から始まり、読売ジャイアンツでの活躍、そして福岡ソフトバンクホークスでの監督・球団運営へと続きます。
単にホームランを量産した選手というだけではなく、日本のプロ野球の発展に長期間関わってきた人物です。
王貞治の主な経歴・年表
| 年代 | 年齢(公式日付基準) | 出来事 |
|---|---|---|
| 1940年 | 0歳 | 東京都で誕生 |
| 1957年 | 17歳 | 早稲田実業の選手として春の選抜大会優勝 |
| 1959年 | 19歳 | 読売ジャイアンツに入団 |
| 1962年 | 22歳 | 荒川博コーチの指導のもと一本足打法で飛躍 |
| 1965~1973年 | 25~33歳 | 巨人のV9に貢献 |
| 1973・1974年 | 33・34歳 | 2年連続三冠王 |
| 1977年 | 37歳 | 通算756号本塁打、初の国民栄誉賞 |
| 1980年 | 40歳 | 現役引退 |
| 1984年 | 44歳 | 読売ジャイアンツ監督に就任 |
| 1994年 | 54歳 | 野球殿堂入り |
| 1995年 | 55歳 | 福岡ダイエーホークス監督に就任 |
| 2006年 | 66歳 | 第1回WBC日本代表監督として世界一 |
| 2008年 | 68歳 | ホークス監督を退任 |
| 2026年 | 86歳 | ホークスのレガシープロジェクトなどに関わる |
年齢は各年の5月20日以降の満年齢。経歴は日本野球機構、早稲田大学、野球殿堂博物館、笹川スポーツ財団の資料を基に整理。
早稲田実業時代からプロ入りまで
王さんは高校時代から優れた野球選手でした。
1957年春の第29回選抜高等学校野球大会では、早稲田実業の投手として活躍し、チームの初優勝に貢献しています。
高校時代は打者としてだけでなく投手としても評価されていた点が特徴です。
1959年に読売ジャイアンツへ入団。当初はプロの環境に適応するまで苦労しましたが、後に荒川博コーチの指導を受け、打撃スタイルを大きく変えていきました。
現役引退後も続いた野球界への貢献
1980年に40歳で現役を引退した後は、指導者としての道を歩みます。
1984年から1988年までは巨人の監督を務め、その後、1995年に福岡ダイエーホークスの監督に就任しました。
2005年には球団名が福岡ソフトバンクホークスに変わった後も監督を続け、2006年には第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表監督としてチームを優勝に導きました。
日本野球機構の記録によると、王さんの監督通算成績は19年間で2507試合、1315勝。リーグ優勝4回、日本シリーズ優勝2回です。
現役時代の成績だけでなく、指導者としても大きな足跡を残していることが分かります。
【一本足打法とON砲】王貞治の868本塁打を生んだ巨人時代
王貞治さんを語るうえで欠かせないのが、一本足打法と長嶋茂雄さんとのONコンビです。
1960年代から1970年代にかけて、2人は読売ジャイアンツの中心選手として活躍し、日本のプロ野球を代表する存在となりました。
一本足打法は荒川博コーチとの二人三脚で誕生
王さんの代名詞ともいえる一本足打法は、1962年に巨人の打撃コーチに就任した荒川博さんの指導によって生まれました。
それまでの王さんは、打撃のタイミングを取ることに課題を抱えていました。
荒川コーチは、王さんの打撃フォームや身体のバランスを研究し、投手の動きに合わせて右足を高く上げる打法を指導します。
このフォームによって、投球に対する始動のタイミングを取りやすくなり、王さんの打撃は大きく変化しました。
笹川スポーツ財団のインタビューでも、荒川コーチの指導が一本足打法の完成に大きく関わったことが紹介されています。
注目したいのは、一本足打法が単にホームランを打つためだけの奇抜なフォームではなかったことです。
投球との距離感やスイングの始動を改善するために考案された、王さん自身の身体的特徴にも適した技術でした。
長嶋茂雄さんとのONコンビが生んだ人気
王さんと長嶋茂雄さんは、頭文字を取って「ON」と呼ばれました。
王さんがホームランを量産する打者として活躍した一方、長嶋さんも華やかなプレーでファンを魅了しました。
2人の存在は、巨人のV9時代を象徴しています。
1965年から1973年までの9年連続日本一という記録は、当時の巨人の強さを示すものです。
王さん個人の打撃成績だけではなく、長嶋さんとの相乗効果が巨人の人気と競争力を支えていました。
通算868本塁打はどれほどすごい記録なのか
王さんの最も有名な記録は、やはり通算868本塁打です。
日本野球機構が公表する通算成績は次のとおりです。
| 成績項目 | 記録 |
|---|---|
| 通算試合数 | 2831試合 |
| 通算打数 | 9250 |
| 通算安打 | 2786本 |
| 通算本塁打 | 868本 |
| 通算打点 | 2170 |
| 通算打率 | .301 |
| 通算長打率 | .634 |
| 通算盗塁 | 84 |
特に注目したいのは、868本塁打だけでなく、2786安打、2170打点、打率.301という総合的な成績です。
本塁打を打つ能力だけでなく、長期間にわたって安定して結果を残し続けたことが、王さんの評価を支えています。
また、1977年9月3日には通算756号本塁打を記録。当時ハンク・アーロンさんが持っていた755本を上回り、大きな歴史的節目となりました。
【国民栄誉賞と野球殿堂】王貞治が残した歴史的功績
王さんの功績は、野球の試合で残した記録だけにとどまりません。
日本のスポーツ界や社会に与えた影響も高く評価され、複数の顕彰を受けています。
1977年に第1回国民栄誉賞を受賞
1977年、王さんは通算756号本塁打を達成し、当時の世界記録を更新しました。
この功績などが評価され、同年、日本で初めての国民栄誉賞を受賞しています。
国民栄誉賞は、広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績を挙げた人物に贈られる賞です。
王さんの受賞は、プロ野球選手としての活躍がスポーツ界を超えて社会的に評価された象徴的な出来事でした。
1994年には野球殿堂入り
1994年には野球殿堂入りを果たしました。
野球殿堂博物館の公式プロフィールでは、王さんの功績として次のような記録が紹介されています。
- 本塁打王15回
- 打点王13回
- 最優秀選手(MVP)9回
- 首位打者5回
- ベストナイン18回
- 三冠王2回
- ゴールデングラブ賞9回
特に1973年と1974年には2年連続で三冠王を獲得しました。
首位打者、本塁打王、打点王という3つの主要タイトルを同時に獲得することは、非常に難しい記録です。
それを2年連続で達成したことは、王さんの打者としての完成度を示しています。
野球殿堂博物館では記念資料も紹介
野球殿堂博物館では、王さんが使用した800号本塁打達成バットも収蔵資料として紹介されています。
公式資料によると、バットの長さは87.5cm、重さは930gです。
868本という数字は記録として残るだけでなく、当時の用具や関連資料を通じても、その歴史をたどることができます。
【2026年最新】86歳の王貞治は現在何をしている?
2026年現在、王さんは現役選手ではありませんが、プロ野球界との関わりを続けています。
現在の活動を知るうえで注目したいのが、福岡ソフトバンクホークスでの役職、野球界の顕彰活動、そして王貞治さんの功績を次世代に伝える取り組みです。
福岡ソフトバンクホークスの取締役会長として活動
福岡ソフトバンクホークスの公式会社概要では、王さんは取締役会長として掲載されています。
2026年の報道では、球団会長兼特別チームアドバイザーとしても紹介されています。
巨人での現役時代を終えた後、福岡ダイエーホークスの監督として1995年に就任し、2009年以降は会長として球団を支えてきました。
2026年のホークスは、王さんが築いてきたチームの歴史を次世代へ引き継ぐ活動にも力を入れています。
2026年の「FUKUOKA OH SADAHARU LEGACY PROJECT」
2026年1月、福岡ソフトバンクホークスは「FUKUOKA OH SADAHARU LEGACY PROJECT」を始動しました。
このプロジェクトは、王さんが福岡の野球界で築いてきた歴史や精神を、球団関係者や地域、次世代の野球ファンへ引き継ぐことを目的としています。
象徴的な取り組みの一つが、王さんが監督時代に背負った背番号「89」です。
2026年5月24日には「OH SADAHARU LEGACY DAY」が開催され、ホークスの選手、監督、コーチが背番号89の特別ユニフォームを着用しました。
球団OBも参加し、王さんの功績を振り返るセレモニーが行われています。
2026年11月23日にはホークスOB戦を開催予定
さらに、2026年11月23日には、みずほPayPayドーム福岡で「FUKUOKA OH SADAHARU LEGACY PROJECT SPECIAL MATCH」が開催される予定です。
このOB戦では、王さんがホークスで歩んだ2つの時代を象徴するチームが対戦します。
- 王監督レジェンド軍:小久保裕紀さんが監督
- 王会長レジェンド軍:和田毅さんが監督
王監督時代は1995~2008年、王会長時代は2009~2025年として位置付けられています。
現役時代の巨人での記録だけでなく、福岡で築いた球団の歴史も一つのレガシーとして残そうという企画です。
11月1日現在、この試合は開催前であり、球団から発表された開催予定日が11月23日です。
NPBの「長嶋茂雄賞」選考委員にも就任
2026年3月、日本野球機構は新設された「長嶋茂雄賞」の選考委員を発表しました。
王さんも選考委員5人の一人に選ばれています。
この賞は、走攻守で優れた活躍を見せ、ファンを魅了するなど、日本プロ野球の価値向上に貢献した野手を表彰するものです。
長年にわたり長嶋茂雄さんとともに球界を代表してきた王さんが、今度は選手を評価する立場から野球界に関わっている点も注目されます。
【プロの結論】王貞治の年齢だけでは分からない本当の偉大さ
王貞治さんについて調べる際、最初に知りたい情報は年齢や生年月日かもしれません。
しかし、1940年生まれの86歳というプロフィールの裏側には、22年間の現役生活、868本塁打、巨人のV9、国民栄誉賞、野球殿堂入り、そして福岡での球団運営という長い歴史があります。
特に注目したいのは、王さんの野球人生が現役引退で終わっていないことです。
巨人で選手として記録を残し、監督として福岡の球団を率い、WBCでは日本代表を世界一に導きました。
2026年もホークスのレガシープロジェクトやNPBの顕彰活動に関わっています。
年齢を調べるときには、次の3つを区別すると情報を正確に理解できます。
1. 年齢を知りたい場合: 2026年11月現在は86歳。
2. 生年月日を確認したい場合: 公式プロフィールは1940年5月20日。本人が語った出生の日は5月10日。
3. 現在の活動を知りたい場合: ホークスの取締役会長としての活動や、野球界の功績を次世代に伝える取り組みに注目。
年齢という数字は変わっていきますが、868本塁打をはじめとする記録や、長年にわたって野球界に与えてきた影響は残り続けます。
【王貞治の年齢】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:王貞治さんは2026年現在何歳ですか?
A1:2026年11月現在86歳です。公式プロフィールの生年月日は1940年5月20日です。
Q2:王貞治さんの本当の誕生日は5月10日ですか、5月20日ですか?
A2:本人が語った出生の日は5月10日、戸籍上の誕生日は5月20日です。日本野球機構や野球殿堂博物館の公式プロフィールでは5月20日が採用されています。
Q3:王貞治さんの通算ホームラン数はいくつですか?
A3:通算868本です。1959年から1980年まで読売ジャイアンツでプレーし、日本プロ野球を代表する本塁打記録を残しました。
Q4:王貞治さんは長嶋茂雄さんとどのような関係ですか?
A4:巨人時代のチームメートであり、ONコンビとして知られる名選手同士です。2人は1965年から1973年までの巨人の9年連続日本一を支えました。
Q5:王貞治さんは現在もソフトバンクホークスに関係していますか?
A5:はい。ホークス公式会社概要では取締役会長として掲載されています。また、2026年には球団のレガシープロジェクトやNPBの長嶋茂雄賞選考委員としても活動しています。
Q6:王貞治さんはいつ現役を引退しましたか?
A6:1980年に現役を引退しました。巨人で22年間プレーし、通算2831試合、2786安打、868本塁打を記録しています。
まとめ:王貞治は86歳、記録と功績は今も野球界に受け継がれる
王貞治さんは1940年生まれで、2026年11月現在86歳です。
公式プロフィールの生年月日は5月20日ですが、本人が語った出生の日は5月10日。この違いには、出生直後の体調と出生届にまつわる事情がありました。
現役時代には一本足打法で本塁打を量産し、長嶋茂雄さんとのONコンビで巨人の黄金時代を築きました。通算868本塁打、1977年の国民栄誉賞、1994年の野球殿堂入りなど、その功績は数多くあります。
2026年も福岡ソフトバンクホークスの取締役会長として球団に関わり、野球界の歴史を次世代に伝える活動を続けています。
王貞治さんの年齢を知ることは、その長い野球人生を振り返る入り口でもあります。 86歳を迎えた今も、選手、監督、そして球界の功労者として残してきた足跡は、日本野球の歴史に刻まれています。
主な参考資料:日本野球機構(NPB)、野球殿堂博物館、早稲田大学、笹川スポーツ財団、福岡ソフトバンクホークス公式発表、中央社(CNA)。