ジャンボ尾崎の現在は?78歳での逝去、死因や納骨、113勝の偉業を2026年最新情報で解説
2026年11月現在、「ジャンボ」の愛称で親しまれたプロゴルファー・尾崎将司さんは、すでにこの世を去っています。2025年12月23日午後3時21分、S状結腸がんのため78歳で逝去しました。突然の訃報は日本のゴルフ界に大きな衝撃を与え、国内ツアー最多94勝、プロ通算113勝という輝かしい記録とともに、その生涯に改めて注目が集まりました。
2026年2月5日には、故郷の徳島県海陽町で四十九日法要と納骨が営まれました。さらに同年9月には日本ゴルフ殿堂の顕彰式典が開かれ、長男の尾崎智春さんが出席。晩年の闘病生活や弟の尾崎健夫さん・尾崎直道さんとの関係、原英莉花さんら後進に残した功績など、逝去後の動きも明らかになっています。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 逝去:2025年12月23日、S状結腸がんのため78歳で死去。
- 納骨:2026年2月5日、徳島県海陽町で四十九日法要と納骨の儀が執り行われた。
- 生涯成績:プロ通算113勝、国内ツアー94勝、賞金王12回という歴代屈指の記録を残した。
- 後進の育成:原英莉花、笹生優花、西郷真央、佐久間朱莉らに指導者として影響を与えた。
- 2026年の新たな顕彰:日本ゴルフ殿堂のプレーヤー部門に選出され、9月30日に顕彰式典が開催された。
【2026年最新】ジャンボ尾崎の現在は?2025年12月23日の訃報と逝去後の状況

対象人物:尾崎将司(おざき・まさし)
ジャンボ尾崎こと尾崎将司さんは、1947年1月24日生まれ、徳島県出身のプロゴルファーです。
2025年12月23日に78歳で亡くなり、翌24日に長男の尾崎智春さんが訃報を公表しました。日本ゴルフツアー機構(JGTO)や日本プロゴルフ協会(PGA)も公式に訃報を発表しています。
逝去後の主な動きは次のとおりです。
- 2025年12月23日: S状結腸がんのため逝去。
- 2025年12月24日: 長男の智春さんが訃報を公表。
- 2026年2月5日: 徳島県海陽町で四十九日法要と納骨。
- 2026年3月31日: ジャンボ尾崎ゴルフアカデミーが活動を終了。
- 2026年4月15日: 日本ゴルフ殿堂が2026年度顕彰者として尾崎さんを選出。
- 2026年9月30日: 日本ゴルフ殿堂入りの顕彰式典を開催。
特に注目したいのが、逝去後も続いているゴルフ界からの顕彰です。
2026年9月30日、日本ゴルフ協会(JGA)は宝塚ゴルフ倶楽部で日本ゴルフ殿堂の顕彰式典を開催しました。プレーヤー部門に選ばれた尾崎さんに代わり、長男の智春さんが出席し、顕彰状と記念盾を受け取りました。
これは単なる過去の記録への表彰ではありません。日本男子ゴルフの人気を高め、後進の育成にも尽力した功績が、改めてゴルフ界全体に認められた出来事です。
【死因と闘病生活】S状結腸がんのステージ4と自宅療養を選んだ晩年

ジャンボ尾崎さんの死因は、S状結腸がんです。
S状結腸は大腸の一部で、直腸につながる部分に位置しています。尾崎さんは亡くなる約1年前に診断を受けており、報道ではステージ4だったことも伝えられました。
約1年前に診断、本人の意思で自宅療養

日本ゴルフツアー機構が2025年12月24日に公表した訃報によると、尾崎さんは病気の診断後、本人の強い意志によって自宅療養を続けていました。
当時の状況について、報道で伝えられた内容を整理すると次のようになります。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 病名 | S状結腸がん |
| 病状 | ステージ4と報道 |
| 診断時期 | 逝去の約1年前 |
| 療養場所 | 本人の意思による自宅療養 |
| 逝去日時 | 2025年12月23日午後3時21分 |
| 逝去時の年齢 | 78歳 |
| 発表 | 2025年12月24日、長男・尾崎智春さん |
ステージ4という病状でありながら、自宅で過ごすことを選んだという点は、尾崎さんの晩年を理解するうえで重要です。
ただし、具体的な治療内容や日々の症状、最期の数日間の詳細については、広く公表された情報が限られています。抗がん剤治療や手術など、個別の医療行為を断定できる公表情報はありません。
ゴルフへの情熱を持ち続けた晩年
尾崎さんは競技者としての活動が減った後も、ゴルフとの関わりを絶っていたわけではありません。
自身が主宰するジャンボ尾崎ゴルフアカデミーで若手選手の育成に携わり、次世代のプロゴルファーを育てていました。
病気の診断を受けた後も、自分が築いてきたゴルフの技術や考え方を後輩に伝えることに取り組んでいたことは、晩年を象徴するエピソードです。
現役時代の圧倒的な勝利数だけでなく、最後までゴルフ界に関わり続けた姿勢も、尾崎さんの功績として記憶されています。
【生涯成績と経歴】通算113勝・ツアー94勝・賞金王12回の偉業
ジャンボ尾崎さんの競技人生を語るうえで欠かせないのが、プロ通算113勝という記録です。
日本ゴルフツアー機構や日本プロゴルフ協会の公表資料によれば、尾崎さんの通算成績は次のように整理できます。
- プロ通算113勝
- 国内ツアー94勝
- 国内通算112勝
- 海外1勝
- 賞金王12回
ここで注意したいのが、113勝と94勝の違いです。
113勝は国内外を合わせたプロ通算勝利数であり、94勝は1973年以降のツアー制度に基づく勝利数です。別々の記録ではなく、集計対象が異なります。
競技人生を変えた野球からゴルフへの転身
尾崎さんは最初からゴルファーだったわけではありません。
1964年春、徳島海南高校の野球部でエースとして選抜高校野球大会を制覇。翌1965年にはプロ野球の西鉄ライオンズに入団しました。
しかし、プロ野球選手としての活動を終えた後、ゴルフへ転向。1970年にプロ入りし、翌1971年の日本プロゴルフ選手権で初優勝を飾ります。
プロ転向からわずかな期間で結果を出し、豪快な飛距離と存在感によって「ジャンボ」の愛称が定着しました。
賞金王12回はなぜ特別なのか
尾崎さんは1973年に初代賞金王となり、その後も長く男子ゴルフ界の中心に立ち続けました。
特筆すべきは、1994年から1998年まで5年連続で賞金王になったことです。
さらに、賞金王12回のうち9回は40歳を過ぎてから達成しています。
一般的に、プロスポーツでは年齢を重ねると体力や瞬発力の低下が競技成績に影響します。しかし尾崎さんは、40代以降も勝利を積み重ねました。
単純な身体能力だけでなく、経験、コースマネジメント、技術の修正を積み重ねた結果が、この記録に表れています。
ジャンボ尾崎の主要記録・関係人物一覧
| 年代・人物 | 出来事・関係 | 主な実績 |
|---|---|---|
| 1964年 | 徳島海南高校 | 選抜高校野球大会優勝 |
| 1965年 | 西鉄ライオンズ入団 | プロ野球からゴルフへ転身 |
| 1970年 | プロゴルファー転向 | プロ入り |
| 1971年 | 日本プロゴルフ選手権 | 初優勝 |
| 1973年 | 賞金ランキング制度 | 初代賞金王 |
| 1994~1998年 | 男子ツアー | 5年連続賞金王 |
| 2002年 | 全日空オープン | 55歳でツアー最年長優勝 |
| 尾崎健夫 | 実弟・プロゴルファー | ツアー通算15勝 |
| 尾崎直道 | 実弟・プロゴルファー | ツアー通算32勝 |
| 原英莉花 | 師弟関係 | ジャンボに師事した代表的な選手 |
| 2025年12月 | 逝去 | 78歳、プロ通算113勝 |
| 2026年9月 | 日本ゴルフ殿堂 | プレーヤー部門で顕彰 |
このように、尾崎さんの競技人生は、若い時期の成功だけでなく、40代以降の長期的な活躍によっても特徴づけられます。
【2026年2月5日の納骨】徳島県海陽町の墓に眠るジャンボ尾崎
2026年2月5日、尾崎将司さんの四十九日法要と納骨の儀が故郷の徳島県海陽町で営まれました。
法要の会場となったのは、海陽町宍喰浦にある大日寺です。その後、同町内の松原墓地で納骨式が行われ、弟の尾崎健夫さんや尾崎直道さんをはじめ、親族や関係者が参列しました。
徳島新聞の報道では、法要には親族や旧友、町関係者ら約100人が参列したと伝えられています。
生前に自ら建立していたゴルフボール型の墓
納骨にあたって注目されたのが、尾崎さんが生前に故郷の徳島県に建立していた墓です。
2026年2月3日の報道で、長男の智春さんが墓について説明しました。
墓石は五重塔のような構造で、中央部分にゴルフボールをかたどったデザインが施されています。
また、墓石には本名ではなく、広く知られた愛称である「ジャンボ尾崎之墓」と刻まれています。
この墓については、本人が誰が訪れても自分の墓だと分かるようにしたいという意向を持っていたことも伝えられています。
納骨式には兄弟やゴルフ関係者も参列
納骨式には、弟の健夫さんと直道さんも参列しました。
また、尾崎さんと縁の深いゴルフ関係者も故人をしのびました。
徳島県海陽町は尾崎さんが生まれ育った土地です。全国的な知名度を持つプロゴルファーとして活躍しながら、故郷とのつながりも大切にしていたことが、生前建立の墓や地元での納骨から伝わってきます。
2026年11月現在、納骨はすでに済んでおり、徳島県海陽町の故郷に眠っています。
【兄弟と弟子の現在】尾崎健夫・尾崎直道、原英莉花らへの継承
ジャンボ尾崎さんには、同じくプロゴルファーとして活躍した弟が2人います。
次男の尾崎健夫さんと三男の尾崎直道さんです。3兄弟がそろってプロゴルファーとして実績を残したことは、国内ゴルフ界でも印象的な存在として知られています。
尾崎健夫の現在
尾崎健夫さんは1954年1月9日生まれで、2026年11月現在72歳です。
「ジェット」の愛称でも知られ、男子ツアーで通算15勝を挙げています。
日本ゴルフツアー機構の選手プロフィールにも、徳島県出身のプロゴルファーとして掲載されています。
2026年2月5日の兄・将司さんの納骨式にも参列し、兄を見送りました。
尾崎直道の現在
尾崎直道さんは1956年5月18日生まれで、2026年11月現在70歳です。
「ジョー」の愛称で知られ、国内ツアーだけでなく、米国ツアーやシニアツアーでも活躍しました。
1991年には賞金王を獲得。さらに1997年にはツアー通算25勝に到達し、永久シードを獲得しています。
2025年の関東プロゴールドシニアでは11年ぶりの優勝も記録しました。
兄の納骨式では、病気になってから亡くなるまでの時間が早かったという趣旨のコメントを残し、兄をしのびました。
原英莉花はジャンボ尾崎の代表的な弟子
ジャンボ尾崎さんの後進育成を語るうえで、欠かせない人物が女子プロゴルファーの原英莉花さんです。
原さんは高校1年生だった2015年から尾崎さんに師事しました。
ジャンボのもとで技術を磨き、2018年にプロ転向。2019年にはレギュラーツアー初優勝を果たし、その後も日本女子オープンなどの国内メジャーで優勝を重ねました。
2026年時点では日本ツアー通算5勝、国内メジャー3勝という実績を持っています。
原さんにとって尾崎さんは、技術を教える師匠であると同時に、ゴルファーとしての姿勢を学ぶ存在でもありました。
2026年1月24日には、尾崎さんの誕生日に合わせて自身のSNSで追悼の思いを発信しています。
笹生優花・西郷真央・佐久間朱莉らにも残した指導の影響
尾崎さんが主宰したジャンボ尾崎ゴルフアカデミーは、女子ゴルフ界にも大きな影響を与えました。
関係する選手として知られているのが、次のプロゴルファーです。
- 笹生優花
- 西郷真央
- 原英莉花
- 佐久間朱莉
それぞれが国内外のツアーで活躍し、尾崎さんの指導やアカデミーの育成環境が注目されるきっかけとなりました。
ジャンボ尾崎ゴルフアカデミーは2026年3月に閉校
ここで押さえておきたいのが、アカデミーのその後です。
尾崎さんの逝去後も活動継続が検討されましたが、運営に携わっていた宮下修さんが2026年3月に閉校を発表しました。
2017年11月に開設されたアカデミーは、約9年の歴史に幕を下ろし、2026年3月31日をもって活動を終了しています。
宮下さんは、尾崎さんがいない状態でジュニア選手を責任を持って指導し続けることの難しさを、閉校の理由として説明しています。
したがって、2026年11月現在、ジャンボ尾崎ゴルフアカデミーは通常の育成活動を続けているわけではありません。
ただし、そこから巣立った選手たちは、それぞれの舞台で競技生活を続けています。
【最後の優勝は2002年】55歳で記録した全日空オープンの伝説
ジャンボ尾崎さんの最後のツアー優勝は、2002年の全日空オープンです。
大会は2002年9月19日から22日まで北海道の札幌ゴルフ倶楽部・輪厚コースで開催されました。
最終日の尾崎さんは、藤田寛之さんとの優勝争いを制し、通算17アンダーの271ストロークで優勝しました。
このときの年齢は55歳7カ月29日。
当時のツアー制度施行後における最年長優勝記録を更新する快挙でした。
777日ぶりの優勝が意味するもの
この優勝が特別なのは、単に55歳で勝ったからではありません。
尾崎さんは2000年のサン・クロレラ・クラシック以来、約2年間優勝から遠ざかっていました。
2002年の全日空オープンは、実に777日ぶりの勝利でした。
しかも、最終日は若手の藤田寛之さんとの競り合いを制しての優勝です。
年齢や過去の実績に頼るのではなく、勝つためのゴルフを追求し続けた結果でした。
JGTOの大会記録にも、この優勝は詳細に残されています。
113勝の記録だけでは語れないジャンボの本質
尾崎さんの特徴は、豪快なドライバーショットだけではありませんでした。
プロ野球からゴルフに転身し、1971年に初優勝。80年代前半には低迷期も経験しましたが、そこから再び力をつけ、40代以降に賞金王を何度も獲得しています。
この歩みから見えてくるのは、才能だけで結果を出した選手ではなかったということです。
一度成功した後も技術を磨き、年齢を重ねても自分のゴルフを更新し続けたことが、113勝という記録を支えました。
さらに、晩年には若手育成に力を注ぎ、自分自身の競技人生だけでなく、次の世代にゴルフの技術を残そうとしました。
2010年には世界ゴルフ殿堂入りも果たしており、2026年の日本ゴルフ殿堂顕彰は、その功績を国内でも改めて確認する機会となりました。
【プロの結論】ジャンボ尾崎が日本ゴルフ界に残した本当の遺産
ジャンボ尾崎さんの功績を評価するとき、通算113勝や賞金王12回だけに注目するのでは、十分とはいえません。
重要なのは、次の3つの側面です。
第一に、男子ゴルフの人気を押し上げた競技者としての功績です。
豪快な飛距離と強烈な存在感でゴルフファンを魅了し、青木功さん、中嶋常幸さんとともに「AON時代」を築きました。
第二に、長期にわたって第一線で戦い続けた競技者としての価値です。
24歳で初優勝し、55歳で最後のツアー優勝を達成。年齢を重ねても勝利を目指し続けた姿勢は、後世の選手にとって大きな手本です。
第三に、指導者としての功績です。
原英莉花さんをはじめとする選手たちへの指導は、ジャンボ尾崎という存在が競技者としての現役生活を終えた後も、ゴルフ界に影響を与え続けたことを示しています。
アカデミー自体は2026年3月に閉校しましたが、そこで育った選手たちの活躍によって、その指導の影響は今後も残っていきます。
【ジャンボ尾崎の現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:ジャンボ尾崎さんは現在も生きていますか?
A1:いいえ。2025年12月23日午後3時21分、S状結腸がんのため78歳で亡くなりました。2026年11月現在、逝去から約11カ月が経過しています。
Q2:ジャンボ尾崎さんの死因は何ですか?
A2:S状結腸がんです。約1年前に診断を受け、ステージ4だったと報道されています。本人の強い意志で自宅療養を続けていました。
Q3:ジャンボ尾崎さんの墓はどこにありますか?
A3:故郷の徳島県海陽町です。2026年2月5日に四十九日法要と納骨が行われました。墓石はゴルフボールをモチーフにした特徴的なデザインで、「ジャンボ尾崎之墓」と刻まれています。
Q4:ジャンボ尾崎さんの通算勝利数はいくつですか?
A4:プロ通算113勝です。内訳は国内112勝、海外1勝で、1973年以降のツアー制度に基づく勝利数は94勝です。
Q5:ジャンボ尾崎さんの最後の優勝はいつですか?
A5:2002年9月の全日空オープンです。55歳7カ月29日で優勝し、ツアー最年長優勝記録を樹立しました。
Q6:尾崎健夫さんと尾崎直道さんは現在どうしていますか?
A6:2人ともプロゴルファーとして実績を持つジャンボ尾崎さんの弟です。2026年11月現在、健夫さんは72歳、直道さんは70歳です。直道さんは2025年にもシニア競技で優勝しています。
Q7:ジャンボ尾崎ゴルフアカデミーは現在もありますか?
A7:いいえ。2026年3月31日をもって活動を終了しました。原英莉花さん、笹生優花さん、西郷真央さん、佐久間朱莉さんらに関係する育成実績を残しました。
まとめ:ジャンボ尾崎の現在は逝去後もゴルフ界に残る功績が中心
2026年11月現在、ジャンボ尾崎こと尾崎将司さんは、2025年12月23日に78歳で逝去し、故郷の徳島県海陽町に眠っています。
死因はS状結腸がんで、晩年は本人の意思によって自宅療養を続けていました。2026年2月5日には四十九日法要と納骨が行われ、同年9月30日には日本ゴルフ殿堂の顕彰式典が開催されました。
残した記録はプロ通算113勝、ツアー94勝、賞金王12回。最後の優勝となった2002年の全日空オープンでは、55歳7カ月29日という最年長優勝記録を打ち立てています。
そして、原英莉花さんや笹生優花さん、西郷真央さんら後進の活躍は、指導者としての尾崎さんの存在を今も感じさせます。
ジャンボ尾崎さんは競技者としての生涯を終えましたが、その記録と指導の影響は終わっていません。
2026年の日本ゴルフ殿堂入りは、113勝という数字だけでは測れない、日本ゴルフ界への長年の貢献を象徴する出来事となりました。