不便益事例を徹底解剖|素数ものさし・写ルンですと2025年研究の現在地
便利なものほど優れている。本当にそうだろうか。スマートフォンなら何枚でも写真を撮り直せるのに、あえて撮影枚数の限られたフィルムカメラを持ち歩く。目的地まで最短距離で移動できるのに、わざわざ歩いて知らない店を見つける。目盛りが均等に並んでいない物差しが、大学発の人気商品になる。こうした一見すると合理性に反する現象を説明するのが「不便益(ふべんえき)」という考え方だ。
2026年、不便益は単なる懐古趣味やアナログ回帰ではなく、人間の主体性、創造性、技能、他者との関係を考えるデザイン理論として捉えられている。京都先端科学大学の川上浩司教授らが研究してきたこの分野では、素数ものさし、写ルンです、バリアアリー、シェアードスペース、ブレストバトルなど、日常生活から福祉、商品開発、組織運営まで幅広い事例が扱われている。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 不便益の本質:不便を経験することで、主体性、発見、工夫、技能向上など、便利さだけでは得にくい価値が生まれる。
- 代表的な事例:素数ものさし、写ルンです、バリアアリー、シェアードスペース、ブレストバトルは、それぞれ異なる仕組みで不便を価値に変えている。
- 2025年の研究:ユーザーが介入できる余白と、その人が受け入れられる手間の大きさを一致させることが、不便害を避ける鍵として示された。
【基本知識】不便益とは何か?便利さを追求するだけでは得られない8つのメリット

不便だからこそ得られる価値という発想

不便益とは、文字どおり「不便だからこそ得られる益」を意味する。英語ではBenefit of Inconvenienceと表現される。
この考え方をシステムデザインの観点から研究してきた代表的な人物が、京都先端科学大学工学部教授の川上浩司氏だ。京都大学で人工知能やシステム工学を研究してきた川上氏は、機械による自動化や効率化だけを目標にするのではなく、人間があえて手間をかけることで得られる価値に注目した。
2024年3月の朝日新聞GLOBE+のインタビューでは、不便益を「負の便益」と混同しないよう説明し、人間が介在することで初めて成立する価値だという考え方を示している。
つまり、不便益は単に面倒なことを我慢する思想ではない。手間をかけた結果、自分で考える機会が増えたり、今まで気づかなかったものを発見したり、できなかったことができるようになったりする。その変化に意味がある。
不便益から得られる8種類のメリット

川上氏らが整理してきた不便益の代表的な8種類の益は、次のとおりだ。
- 能力低下を防ぐ:自分で身体や頭を使うことで、使わないことによる能力の衰えを抑える。
- 主体性が持てる:機械や他人に任せきりにせず、自分の判断で行動できる。
- 発見できる:回り道や試行錯誤によって、予想していなかったものに出会える。
- 工夫できる:決められた手順に従うだけでなく、自分なりの方法を考えられる。
- 対象を理解できる:自分で操作することで、道具や仕組みの構造が分かる。
- 安心・信頼できる:仕組みや操作を自分で把握することで、納得感や信頼につながる。
- 上達できる:繰り返し試すことで技能が伸び、習熟する楽しさを味わえる。
- 自分だけの特別感が得られる:自分で選択・工夫した結果に、独自の価値や愛着を感じられる。
これらは単なる精神論ではない。例えば、電子レンジの自動温め機能は、操作の手間を省いて一定の結果を得るために便利だ。一方、出力や時間を自分で設定すれば、食材や好みに合わせて微調整する機会が生まれる。
自動設定が必ずしも悪いわけではない。大切なのは、便利な機能が人間の工夫する余地まで奪っていないかという視点だ。
不便益と不便害は何が違うのか
ここで注意したいのが、不便益と不便害の区別である。
不便益は、手間や労力をかけることによって、利用者自身が何らかの価値を得られる状態を指す。一方、不便害は、同じ手間が負担やストレスになり、利用者にとってマイナスになる状態だ。
例えば、休日にあえて遠回りして歩くことは、景色や街の発見を楽しみたい人には不便益になる。しかし、体調が悪い人や急いでいる人に同じ遠回りを強制すれば、単なる不便害になってしまう。
つまり、不便そのものに普遍的な価値があるわけではない。誰が、どんな状況で、何のために手間をかけるのかによって、その評価は変わる。
【具体例】素数ものさし・写ルンです・バリアアリーに見る不便益の仕組み
1.素数ものさし:使いにくさが知的好奇心を刺激する
不便益を象徴する商品として知られるのが、京都大学生協と不便益システム研究所が開発した「素数ものさし」だ。
通常の物差しには1センチ、2センチ、3センチと連続した目盛りがある。しかし、この商品にあるのは素数の目盛りだけ。2、3、5、7、11、13といった数字を使って長さを測る必要がある。
例えば2センチを測る場合は3と5の間、4センチを測る場合は7と11の間を使う。普通の物差しなら一目で済む作業にも、少し考える時間が必要だ。
ところが、この面倒な仕組みが知的好奇心を刺激する。数字の間隔を利用するため、単純に目盛りを読むだけではなく、計算や工夫が必要になる。測定する行為が、小さな数学の問題を解く体験へと変化するのだ。
2013年3月から京都大学生協で販売が始まり、発売当初には話題を集めて品薄状態が続いたこともある。大学発の商品を紹介する「ほとんど0円大学」でも取り上げられた、代表的な不便益グッズだ。
ここで生まれる価値は、物差しとしての測定効率ではない。考える楽しさ、工夫する余地、そして使いこなせたときの達成感にある。
2.写ルンです:撮影の制限が一枚の写真の価値を変える
富士フイルムのレンズ付きフィルム「写ルンです」も、不便益を説明する代表例として紹介されてきた。
スマートフォンのカメラなら、何枚でも撮影でき、すぐに画像を確認できる。気に入らなければ撮り直せばよい。しかし、フィルムカメラには撮影枚数の制限があり、撮影した直後に画像を確認することもできない。現像という工程も必要になる。
この制約によって、撮影する前に構図を考えたり、シャッターを押す瞬間を慎重に選んだりするようになる。撮影した写真がすぐに見られないため、現像後に初めて結果を知る楽しみもある。
株式会社インプレスが2017年に公表した書籍紹介資料でも、写ルンですは不便益のある商品として紹介されている。撮影枚数の制限や画質の特徴、SNSに投稿するまでの手間が、スマートフォンとは異なる写真体験につながるという整理だ。
重要なのは、フィルム写真の画質がデジタル写真より優れているという話ではないこと。撮影に制約があるからこそ、一枚を大切にする意識や、現像までの期待感が生まれる点に不便益がある。
3.バリアアリー:あえて段差を残す高齢者施設
バリアアリーは、バリアフリーとは逆に、日常生活で遭遇する段差や坂、階段などを意図的に取り入れる施設設計の考え方だ。
代表的な事例が、山口県山口市の「夢のみずうみ村山口デイサービスセンター」である。
内閣府の平成25年版高齢社会白書では、この施設の取り組みが生活力回復を促す介護の事例として紹介されている。
一般的な高齢者施設では、転倒を防ぐために段差をなくし、手すりを設けるバリアフリー化が進められる。一方、夢のみずうみ村では、利用者が日常生活で遭遇する障害を自分で克服する経験を得られるよう、施設内に段差や坂などを設けている。
その目的は、単に運動量を増やすことではない。自分で考えて移動する経験を通じて、生活能力や主体性を引き出し、施設の外でも行動できる範囲を広げることにある。
同施設では、独自の施設内通貨「YUME(ユーメ)」も導入している。利用者は予定を立てたり、血圧を測定したり、クイズや訓練に取り組んだりすることで通貨を得て、施設内のプログラムや買い物に使う。
こうした仕組みは、計算力や判断力だけでなく、自分で一日の過ごし方を決める主体性を育むための工夫でもある。
ただし、バリアアリーはすべての高齢者に段差を設ければよいという意味ではない。身体能力、転倒リスク、本人の希望に合わせた専門的な設計が不可欠である。
4.シェアードスペース:交通のルールを減らして人の判断を引き出す
シェアードスペースは、道路上の信号や標識、車線などの従来型の交通制御を減らし、歩行者、自転車、自動車などが同じ空間を共有する都市デザインの考え方だ。
通常の道路では、信号や標識が交通参加者の行動を細かく制御する。シェアードスペースでは、そうした明示的な制御を一部減らし、相手の動きや周囲の状況を確認しながら行動することを促す。
例えば、歩行者は車の動きを意識し、運転者は歩行者の存在や意図を注意深く読み取る。道路利用者それぞれが、周囲との関係を考えて行動する必要がある。
これは、不便益の「主体性が持てる」という考え方に通じる。すべてを設備に任せるのではなく、人間自身の注意や判断を活用することで、周囲とのコミュニケーションが生まれる。
ただし、シェアードスペースはどこでも安全性が高まるという万能策ではない。視覚障害者、子ども、高齢者など、交通環境を把握することが難しい人への配慮が必要になる。交通量や道路の構造、速度管理などを踏まえた設計が前提だ。
5.ブレストバトル:発言しにくさを解消するために会議を不便にする
ブレストバトルは、通常のブレーンストーミングに時間制限とチーム対抗戦を取り入れた発想支援の方法だ。
一般的なブレストには、自由に意見を出すという利点がある。しかし、実際の会議では発言力の強い人に意見が集中したり、上司や先輩の反応を気にして若手が発言しにくくなったりすることもある。
そこで、あえてルールを増やす。
- 参加者を2チームに分ける。
- チーム内で発表者と発表順を決める。
- 各チームの参加者が順番に短時間でアイデアを発表する。
- 参加者の投票で、どちらの案が面白いかを競う。
- 最後に優秀なアイデアを選び、異なる案を組み合わせて発展させる。
川上氏が紹介した2017年の朝日新聞GLOBE+の記事では、発表者一人につき1分という時間制限を設ける方法も紹介されている。
この方法の面白さは、単に競争させることではない。全員が発表者になるため、普段は発言しない人にも考える機会が与えられる。また、チームの勝利という共通目標があることで、参加者が自分のアイデアを工夫して伝えようとする。
会議を自由にするだけでは解決できない問題を、あえて制約を加えることで解消しようとする点が、不便益らしい発想だ。
【事例比較】不便益を生み出す商品・サービスの関係性を整理
ここまでの事例を整理すると、不便益は一つの決まった仕組みで成立するものではないことが分かる。道具の操作、身体活動、空間設計、コミュニケーションなど、それぞれ異なる場所に手間を残すことで価値を生み出している。
代表的な事例を、利用者が経験する不便と、その先に生まれる益という関係から比較した。
| 事例・関連エンティティ | あえて残す不便 | 生まれる仕組み・メリット | 成立の条件 |
|---|---|---|---|
| 素数ものさし | 素数だけの目盛りで長さを測る | 計算力、工夫、知的好奇心、達成感 | 考えることを楽しめること |
| 写ルンです | 撮影枚数の制限、即時確認ができない | 一枚への集中、期待感、独特の写真体験 | 撮影の過程そのものを楽しめること |
| バリアアリー | 段差や坂などの軽微な障壁 | 身体機能の維持、生活能力、主体性 | 本人の身体能力と安全性への配慮 |
| シェアードスペース | 交通制御設備の一部を減らす | 周囲への注意、判断力、相互配慮 | 交通環境と利用者への適切な配慮 |
| ブレストバトル | 時間制限、発表順、チーム対抗戦 | 全員参加、主体性、アイデアの発展 | 心理的安全性と公平な参加機会 |
| セル生産方式 | 一人または少人数で幅広い作業を担当する | 技能向上、完成の達成感、仕事への充実感 | 習熟を支える教育と作業環境 |
| 徒歩での街歩き | 移動時間と身体的な労力が増える | 新しい店や景色、人との偶然の出会い | 寄り道や発見を楽しめる余裕 |
日常生活にも隠れている不便益事例
不便益は、特別な商品や施設だけに存在するわけではない。毎日の生活にも、同じ構造を持つ経験が数多くある。
料理を自分で作る:惣菜や宅配を利用すれば調理時間を減らせるが、材料を切り、味を調整し、火加減を変えることで料理の知識や技能が身につく。自分好みの味に仕上げる喜びも得られる。
徒歩で通勤・通学する:移動時間は増えるものの、車や電車では見落としがちな店や風景を発見できる。朝日新聞GLOBE+の川上氏へのインタビューでも、原付が故障して徒歩通学をした学生が、途中で新しい食堂を見つけたエピソードが紹介されている。
キャンプをする:テントの設営、火起こし、調理、片付けなど、ホテル宿泊と比べれば手間が多い。しかし、自分で環境を整え、仲間と協力して過ごすことで、達成感やコミュニケーションが生まれる。
遠足のおやつを予算内で選ぶ:限られた金額の中で何を買うか考える行為は、選択肢が多すぎる場合とは違う楽しさを生む。制約があるからこそ、選び方に工夫が生まれる事例だ。
紙の地図を使う:現在地を確認し、目的地との位置関係を考えながら進むことで、地形や街の構造を理解しやすくなる。自動案内に頼りきりにならないことが、空間認識の経験につながる。
これらに共通しているのは、手間そのものが目的なのではなく、その手間によって何かを発見したり、自分の能力を使ったりできる点である。
【実践・商品開発】不便益デザインの考え方と創造性を引き出す方法
不便益を生み出す4つの発想アプローチ
不便益を商品開発やサービス設計に取り入れる場合、単に機能を減らせばよいわけではない。何を不便にし、どのような価値につなげるかを考える必要がある。
2024年の朝日新聞GLOBE+のインタビューで川上氏が紹介した発想方法には、次の4つの方向性がある。
1.価値発掘型
既存の商品やサービスをあえて不便にし、その結果としてどのようなメリットが生まれるかを探す方法だ。
例えば、スマートフォンの写真撮影をフィルムカメラのように枚数制限のある体験に変えてみる。撮影前に考える時間が増えれば、一枚への集中や写真を選ぶ楽しさが生まれる可能性がある。
2.創発型
過去の不便益事例を参考にしながら、新しいアイデアを生み出す方法だ。
素数ものさしやバリアアリーのように、従来の常識とは異なる仕組みを知ることで、別の分野にも応用できる発想が生まれる。
3.問題解決型
便利すぎることで発生している問題を見つけ、その問題を解決するために、あえて不便を取り入れる方法だ。
例えば、作業を完全に自動化したことで従業員の技能が低下しているなら、一定の判断や調整を人間に残す設計が考えられる。
4.意味のイノベーション型
不便な仕組みそのものを変えるのではなく、その不便に対する意味づけを変える方法だ。
代表例として紹介されているのが、京都・嵐山の陸路ではたどり着けず、小舟に乗り換える必要がある旅館だ。アクセスの悪さを単なる欠点として扱うのではなく、秘境感や特別な到着体験として価値に変えている。
この考え方は、商品だけでなく観光、店舗、イベント、地域づくりにも応用できる。
商品開発に応用する際のポイント
企業が不便益を活用する場合、最初に考えるべきなのは、利用者が本当に必要としている価値は何かという問題だ。
例えば、調理器具を開発する場合、操作を簡単にするだけではなく、利用者が材料や火加減を調整できる余地を残すことも考えられる。学習サービスなら、答えをすぐに表示するだけでなく、自分で考える時間を設ける設計が可能だ。
また、製品そのものだけでなく、利用者の行動やサービス提供者との関係もデザインの対象になる。
川上氏が紹介するセル生産方式もその一つだ。作業を細分化して担当者に割り当てる流れ作業方式に対し、セル生産方式では少人数で幅広い作業を担当する。作業を覚える負担は増えるが、製品を完成させる達成感や技能の向上につながる。
効率だけを基準にすると、こうした価値は見落とされやすい。商品開発では、作業時間や操作回数だけでなく、利用者がどのような経験を得られるかを評価する必要がある。
不便益と創造性・発想力の関係
不便益が創造性と結びつく理由は、制約によって人間が考えなければならない状況が生まれることにある。
何でも自動的に処理できる環境では、利用者は結果を受け取るだけになりやすい。一方、選択や操作の余地が残されていれば、試行錯誤しながら自分なりの方法を見つけることができる。
ブレストバトルの場合、時間制限やチーム対抗という制約が、普段の会議では表に出にくい意見を引き出す仕掛けになる。
素数ものさしでは、目盛りの不便さが計算や工夫を促す。セル生産方式では、担当範囲が広がることによって仕事全体への理解が進む。
このように、制約は単に自由を奪うものではない。適切に設計すれば、今まで使っていなかった能力を引き出すきっかけになる。
【見分け方・2025年研究】不便益が不便害に変わる条件と最新の研究成果
不便益が成立するための3つの判断基準
不便であれば何でも不便益になるわけではない。企業のマーケティング施策を分析した朝日新聞Business Hubの記事などでも、不便益を見分けるためのチェックポイントが整理されている。
実際の判断では、次の3点を確認すると分かりやすい。
第一に、その益は不便があるからこそ得られるのか。
不便を取り除いても同じ価値が得られるなら、あえて不便にする意味は小さい。例えば、素数ものさしの知的な楽しさは、普通の目盛りの物差しでは同じ形で生まれにくい。
第二に、不便を経験する人と益を得る人が同じか。
企業側が手間を省けるだけで、利用者が余分な作業を負担するなら、それは利用者にとっての不便益とはいえない。手間をかける本人が、そこから価値を得られる必要がある。
第三に、益は単に作業をしたことへの当然の対価ではないか。
例えば、書類を何枚も書かされた結果、申請が完了したというだけでは不便益とは呼びにくい。書く過程で理解が深まる、判断力が育つなど、手間によって初めて生まれる別の価値があるかがポイントになる。
不便益と不便害を分ける決定的な要素は利用者の許容量
不便益のデザインで見落とせないのが、利用者によって受け入れられる手間の大きさが異なるという問題だ。
例えば、料理が好きな人にとって、材料を細かく切ったり、調味料を調整したりする作業は楽しみになる。しかし、時間に追われている人や身体的な負担を抱えている人にとっては、同じ作業が大きなストレスになる可能性がある。
同じ商品でも、使う人の経験、年齢、体調、知識、目的によって評価が変わる。だからこそ、不便益のデザインでは、製品が利用者にどの程度の操作や判断を求めるかを調整する必要がある。
2025年7月の日本デザイン学会論文が示した新しい視点
2025年の不便益研究で注目したいのが、影山友章氏と黒田和花氏による論文「不便害とならない適切な不便益をもたらす要件の整理と検証―ユーザーが介入できる余白の大きさと余白の許容量の関係性調査」だ。
この研究は、2025年7月31日に『デザイン学研究』72巻1号に掲載され、8月7日にJ-STAGEで公開された。
研究の中心にあるのは、製品側が利用者に委ねる操作や調整の度合いと、利用者側が受け入れられる手間の大きさとの関係だ。
研究者らは、ユーザーが自分で操作や調整を加えられる余地を「余白」として捉え、その大きさと利用者が許容できる介入量との関係を検証した。
実験用の製品として創出されたのが、好みの色や柄を自分で着彩できる白磁器アクセサリー「ironna」だ。利用者が介入できる余白の大きさが異なる3種類のサンプルを用意し、使用感についてアンケート調査を行った。
その結果、利用者の介入に対する好みと、好まれる余白の大きさには正の相関の傾向が確認された。つまり、自分で手を加えたい人には十分な余地を残し、あまり手間をかけたくない人には負担にならない程度の余地を用意することが、不便益につながる可能性が示された。
これは、不便益を単に「人に手間をかけさせるデザイン」と考える見方を一歩進める成果だ。
ただし、この論文は特定の製品サンプルとアンケート調査を用いた研究であり、すべての製品や利用者に同じ効果があると証明したものではない。研究の重要な示唆は、利用者に合わせて介入の余地を設計する必要性にある。
2026年の商品・サービス開発で考えるべきこと
2025年の研究を踏まえると、今後の不便益デザインでは、利用者に一律の手間を課す方法から、利用者自身が手間の大きさを選べる方法へと発想を広げることが考えられる。
例えば、学習アプリなら、すぐに答えを表示するモードと、ヒントだけを提示して自分で考えるモードを用意する。料理サービスなら、完成品を受け取る方法と、材料の下処理や味付けを自分で行う方法を選べるようにする。
介護や福祉の現場なら、本人の身体能力や希望に応じて、どこまで自分で行うかを調整できる支援が考えられる。
重要なのは、不便を増やすことではなく、本人が望む範囲で主体的に関われる環境をつくることだ。
【プロの結論】不便益を暮らしや仕事に取り入れるための判断基準
不便益の事例を比較すると、便利さと不便さを単純に対立させる考え方には限界があることが分かる。
便利な仕組みは、時間や労力を節約するために欠かせない。一方、何もかも自動化すれば、人間が考える機会、身体を動かす機会、他者と関わる機会まで減ってしまう場合がある。
だからこそ、これからのデザインに求められるのは、便利さを捨てることではなく、便利さと不便益を使い分けることだ。
不便益を取り入れやすい人・場面
- 新しい技能や知識を身につけたい人
- 日常生活に新しい発見や刺激を求めている人
- 自分で工夫する過程を楽しめる人
- 創造性や発想力を高めたいチーム
- 利用者の主体性を引き出したい教育・福祉関係者
- 商品の機能だけでなく、体験価値で差別化したい企業
不便益をおすすめできない場面
- 緊急性が高く、迅速な対応が必要な場面
- 手間によって身体的・精神的な負担が大きくなる場合
- 利用者が操作や判断を行うための知識・能力を持たない場合
- 安全性やアクセシビリティを損なう可能性がある場合
- 本人が望んでいない手間を一方的に押し付ける場合
特に重要なのは、利用者が不便を選択できることだ。自分で料理したい人には調理の余地を残し、時間がない人には完成品を提供する。自分で考えたい学習者にはヒントを提示し、急いでいる人には答えを示す。
こうした選択肢のある設計こそ、2025年の研究が示した「介入できる余白」と「利用者が受け入れられる許容量」の考え方にもつながっている。
不便益は、便利な社会を否定するための思想ではない。人間が本来持っている考える力、工夫する力、身体を動かす力、他者と協力する力を、便利さの中に残すためのデザインの視点なのである。
不便益事例に関するよくある質問(FAQ)
Q1:不便益の代表的な事例には何がありますか?
A1:代表例は、素数ものさし、写ルンです、バリアアリー、シェアードスペース、ブレストバトルなどです。素数ものさしは知的好奇心、写ルンですは撮影体験、バリアアリーは身体能力と主体性、ブレストバトルは創造性を引き出す仕組みとして紹介されています。
Q2:不便益と不便害の違いは何ですか?
A2:不便益は、手間をかけることで利用者自身が主体性や発見、技能向上などの価値を得られる状態です。不便害は、その手間が負担やストレスになり、利用者にとってマイナスになる状態です。利用者の属性や状況によって、同じ不便でも評価が変わります。
Q3:不便益は創造性や発想力を高めますか?
A3:不便によって自分で考えたり、試行錯誤したりする機会が生まれるため、創造的な発想を促す可能性があります。特にブレストバトルでは、時間制限やチーム対抗という制約を活用し、全員がアイデアを出す仕組みをつくっています。ただし、あらゆる不便が創造性を高めるわけではありません。
Q4:不便益を商品開発に取り入れる方法はありますか?
A4:まず、商品やサービスの便利さによって失われている価値を探します。そのうえで、利用者が自分で操作・調整できる余地を残し、どのような益が生まれるかを検証します。2025年のironnaを用いた研究は、利用者の好みに応じて介入できる余白の大きさを調整する重要性を示しています。
Q5:2025年の不便益研究では何が分かりましたか?
A5:影山友章氏と黒田和花氏の研究では、ユーザーが製品に介入できる余白の大きさと、その介入を好む傾向との間に正の相関が確認されました。手間を肯定的に感じてもらうには、製品側が用意する余白と利用者側の許容量を合わせることが重要だという示唆が得られています。
Q6:不便益は高齢者や障害のある人にも有効ですか?
A6:本人の能力や希望に合った設計であれば、主体性や生活能力を引き出す可能性があります。ただし、バリアアリーのように段差や障壁を取り入れる場合は、転倒リスクや身体状況への配慮が不可欠です。不便を一律に強制することは、不便害につながるため避ける必要があります。
まとめ:2026年は便利さと不便益を選べるデザインが鍵
不便益事例を通じて見えてくるのは、手間を省くことだけが豊かさではないという事実だ。
素数ものさしは考える楽しさを、写ルンですは一枚を大切にする体験を、バリアアリーは自分で行動する機会を、シェアードスペースは周囲への注意と主体性を、ブレストバトルは参加者の創造性を引き出す。
それぞれの仕組みは異なるが、不便を通じて人間の能力や感情、他者との関係に新しい価値を生み出すという共通点がある。
2025年に発表された研究が示したのは、手間の量を利用者に合わせて調整することの重要性だった。これは2026年の商品開発や教育、福祉、サービス設計にも応用できる視点だ。
これからの豊かな暮らしに必要なのは、すべてを便利にすることでも、あえて不便にすることでもない。自分でやりたいことは自分ででき、助けが必要なときには便利な仕組みを利用できる。その両方を選べる環境を整えることだ。
日常生活で面倒だと感じることに出会ったとき、すぐに取り除くのではなく、その手間によって得られるものはないかと考えてみる。そこに、次の商品やサービス、そして自分自身の暮らしを豊かにする不便益のヒントが隠れている。
主な根拠資料
- 京都先端科学大学・川上浩司教授の研究紹介および朝日新聞GLOBE+の2024年インタビュー。
- 内閣府「平成25年版高齢社会白書」。
- 日本デザイン学会『デザイン学研究』2025年72巻1号、影山友章・黒田和花論文。
- 朝日新聞GLOBE+「不便益の使い方」。
- 株式会社インプレスの2017年書籍紹介資料。
- 関西ビジネスインフォメーションによる川上教授インタビュー。
- J-WAVEの不便益に関する研究者インタビュー。