堂林翔太の現在は?広島での経歴・成績推移と枡田絵理奈との結婚を徹底解説
2026年現在、広島東洋カープに所属する堂林翔太は、中京大中京高校で甲子園優勝を経験し、2009年のドラフト2位でプロ入りした右投右打のプロ野球選手です。「鯉のプリンス」と呼ばれた若手時代には、2012年に144試合へ出場。2014年にはヤクルト戦で劇的なサヨナラ本塁打を放ち、3年連続でオールスターゲームにも出場しました。一方、内野手から外野手への起用変更や故障、出場機会の減少など、順風満帆とはいえないプロ生活も経験しています。
プライベートでは、TBSアナウンサーとして活動していた枡田絵理奈と2014年に結婚。交際開始から結婚発表、12月25日の入籍までには、どのような経緯があったのでしょうか。ここでは、日本野球機構(NPB)の年度別成績や当時の報道、契約更改情報をもとに、堂林翔太の経歴、成績推移、年俸、結婚の経緯、そして2026年の現状を整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】 - 現在: 2026年も広島東洋カープに所属。35歳を迎え、プロ17年目のシーズンを過ごした。 - 野球経歴: 2014年のヤクルト戦でトニー・バーネットからサヨナラ本塁打。オールスターには3年連続で出場した。 - 成績と年俸: 2020年には打率.279、14本塁打を記録。2026年の推定年俸は4,800万円。 - 結婚: 枡田絵理奈とは2013年8月に交際を開始し、2014年11月に結婚を発表。同年12月25日に入籍した。
【堂林翔太の現在】2026年の所属・年齢・最新成績は?

堂林翔太(どうばやし・しょうた)
2026年11月2日時点
- 生年月日:1991年8月17日
- 年齢:35歳
- 出身地:愛知県豊田市
- 身長:184cm
- 投打:右投右打
- ポジション:内野手
- 所属:広島東洋カープ
- 背番号:7
- ドラフト:2009年2位
堂林翔太は2026年も広島東洋カープに所属しています。1991年8月17日生まれで、2026年8月に35歳となりました。
NPBの選手情報では、出身校は中京大中京高校、投打は右投右打、ポジションは内野手とされています。プロ17年目を迎えたベテラン選手です。
2026年の成績は一軍ではなくファームが中心
2026年の堂林を語るうえで押さえておきたいのが、一軍での出場状況です。
2026年シーズンの公開成績では、一軍公式戦への出場はなく、ファーム公式戦でのプレーが中心となりました。
NPBの2026年度ファーム・リーグ個人打撃成績によると、主な数字は次のとおりです。
- 試合数:60試合
- 打席数:210
- 安打数:41
- 本塁打:5本
- 打点:26
- 打率:.219
- 出塁率:.295
- 長打率:.321
60試合に出場して5本塁打、26打点という数字には、長打力を残している一方で、打率や出塁率を含めた打撃面の課題も表れています。
特に一軍での出場機会を取り戻すには、ファームで安定した打撃結果を残し続けることが重要になります。
2026年の年俸は推定4,800万円

2026年度の推定年俸は4,800万円です。
2025年11月25日の契約更改で、前年から1,200万円減となる金額で契約したことを日刊スポーツが報じています。
2025年は44試合出場、打率.186、1本塁打、4打点という成績でした。出場機会と打撃成績の双方が厳しいシーズンとなり、年俸にも影響した形です。
一方、契約更改時には次のシーズンへの思いも語っています。
もう1回野球に対する情熱を持って。
日刊スポーツの契約更改報道によると、堂林は野球を始めた頃の気持ちを思い出し、自分と向き合う姿勢を示しました。
2026年は一軍での出場がなかったものの、現役選手としてファームでプレーを続けています。かつて一軍の中心選手として活躍した堂林にとって、今後の焦点は再び一軍の戦力として存在感を示せるかどうかです。
【堂林翔太の経歴】中京大中京高校から広島の主力候補へ
堂林翔太のプロ野球人生は、愛知県の強豪校・中京大中京高校から始まります。
2009年:中京大中京高校で夏の甲子園優勝
堂林は中京大中京高校時代、投手と打者の両方で活躍しました。
特に2009年の夏の甲子園では、エースで4番という中心的な役割を担い、チームを全国制覇へ導きました。
高校野球での実績が評価され、同年のドラフト会議で広島東洋カープから2位指名を受けます。
高校時代から投打で注目されていた堂林にとって、広島への入団はプロ野球選手としての新たな出発点でした。
2012年:144試合出場で一気に知名度を高める
プロ入り後、堂林が大きく注目されたのは2012年です。
この年は一軍公式戦に144試合出場。打率.242、14本塁打、45打点を記録しました。
高卒選手として早い段階から一軍のレギュラーに近い立場を確立し、華やかなルックスも相まって「鯉のプリンス」という愛称で親しまれるようになります。
当時の堂林には、将来の広島を代表するスター選手になるという期待が寄せられていました。
また、2012年のオールスターゲームではプラスワン投票で選出されています。翌2013年も選出され、2014年まで3年連続で球宴の舞台に立ちました。
2013年:出場機会を確保する一方、打撃に課題
2013年は105試合に出場し、打率.217、6本塁打、41打点という成績でした。
2012年の14本塁打から数字を落とし、打撃面で苦しむ時間が増えていきます。
さらに前年の故障による離脱などもあり、三塁手としてのポジション争いにも影響が出ました。
若くして一軍の中心に近い立場を経験したからこそ、翌年以降は結果を残し続けることが求められるようになります。
【2014年の転機】木村昇吾との三塁争い、サヨナラ本塁打、オールスター
堂林翔太のキャリアを振り返る際、2014年は特に重要なシーズンです。
劇的なサヨナラ本塁打やオールスターでの活躍があった一方、守備位置の変更と故障によって、レギュラー定着には至りませんでした。
木村昇吾が正三塁手に定着し、外野にも挑戦
2014年の広島では、前年の堂林の戦線離脱を背景に、木村昇吾が正三塁手としての立場を確立していました。
そのため堂林は、春季キャンプから三塁だけでなく外野や一塁の守備練習にも取り組みます。
高校時代に一塁を経験していたこともあり、複数ポジションを守ることで出場機会を確保しようとしたのです。
開幕時は三塁手として起用されましたが、固定されたレギュラーという立場ではありませんでした。
2014年の守備位置別の起用状況を見ると、外野での出場が47試合、三塁での出場が34試合。外野手としての起用が三塁手としての起用を上回っています。
現在は内野手として登録されていますが、外野でも出場できる柔軟性は、堂林の選手としての特徴の一つです。
2014年4月2日:トニー・バーネットから劇的なサヨナラ弾
2014年4月2日、マツダスタジアムで行われた広島対ヤクルト戦。
試合は3対3の同点のまま延長12回に突入しました。
12回裏、1死から打席に立った堂林は、ヤクルトのトニー・バーネットから右翼スタンドへサヨナラ本塁打を放ちます。
試合結果は広島4-3ヤクルト。
延長戦の末に決着をつける劇的な一打であり、堂林にとって一軍では2本目となるサヨナラ本塁打でした。
この本塁打は、2014年シーズンの堂林を象徴する印象的な場面の一つです。
ただし、この一打だけでシーズン全体の評価を判断することはできません。
2014年の最終成績は93試合出場、打率.246、8本塁打、28打点。前年より本塁打数や打率は改善したものの、出場機会は限定され、三塁の定位置奪還にも届きませんでした。
右手薬指の骨折で一時離脱
好機をつかみかけていた堂林を襲ったのが、2014年5月の故障でした。
5月8日のヤクルト戦で右前打を放った際に右手を負傷。翌9日に病院で診察を受けた結果、右手薬指中節骨基部骨折と診断されました。
当時の報道によると、患部の固定には約4週間、プレー再開までには6~7週間かかる見込みでした。
前年にも左手中指を骨折していた堂林にとって、再び故障によって離脱することは大きな痛手となりました。
3年連続オールスター出場と初本塁打
右手薬指の骨折による離脱がありながら、堂林は2014年のオールスターゲームに選出されました。
2012年、2013年に続く3年連続3度目の出場です。
特に2014年は、セ・リーグ三塁手部門のファン投票1位で選出されました。
7月19日の第2戦、阪神甲子園球場で行われた試合では、8回に楽天の福山博之からソロ本塁打を放ちます。
これは堂林にとってオールスター初本塁打でした。
高校時代に全国制覇を経験した思い出の甲子園で、プロ野球の球宴本塁打を記録したことも印象的な出来事です。
2014年の堂林には、サヨナラ本塁打、オールスターでの活躍、故障、守備位置の変更という複数の転機が重なっていました。
華やかな実績と、定位置を確保できない苦しさが同時に存在していたシーズンだったのです。
【堂林翔太の成績推移・年俸推移】2015年の低迷から2020年の復活へ
堂林翔太の成績を長期的に見ると、2012年のブレーク、2015年以降の出場機会の減少、2020年の復活、そして2024年以降の再び厳しい状況という流れが浮かび上がります。
年度別の一軍成績と年俸
以下はNPBの年度別打撃成績と、報道などをもとにした推定年俸を整理したものです。
※年俸は各年度の推定額。2026年の二軍成績は10月公表のファーム公式戦記録を参照。2016年以降の年俸は報道・野球専門データサイトの集計に基づく。
2015年:一軍出場33試合に減少
2015年は、堂林にとって大きな試練のシーズンでした。
前年までの複数ポジションへの対応から、再び内野手に専念して再起を図りましたが、オープン戦で打撃が振るわず、二軍降格となります。
一軍公式戦では33試合出場、打率.261、0本塁打、3打点にとどまりました。
一方、ウエスタン・リーグでは53試合に出場し、10本塁打、打率.283を記録しています。
二軍では一定の打撃力を示したものの、一軍で結果を残すことができず、昇格と降格を繰り返す状況でした。
そして2015年11月の契約更改では、入団後初めて球団から減俸を提示されます。
翌2016年の推定年俸は1,830万円。前年から170万円減となりました。
2020年:打率.279、14本塁打で復活
長く苦しんだ堂林が再び存在感を示したのが2020年です。
この年は111試合に出場し、以下の成績を残しました。
- 打率:.279
- 安打:112本
- 本塁打:14本
- 打点:58
- 盗塁:17
- 出塁率:.350
特に注目したいのは、14本塁打だけでなく17盗塁も記録したことです。
長打力と走力を兼ね備えた打撃を披露し、かつての期待に応えるようなシーズンとなりました。
推定年俸は1,600万円からスタートしていましたが、この活躍を受けて翌2021年には3,600万円へ大幅に増加しています。
2023年:再び二桁本塁打を記録
2023年も堂林にとって重要なシーズンでした。
100試合に出場し、打率.273、12本塁打、35打点を記録。
2020年に続いて二桁本塁打を達成し、広島の打線を支える選手として存在感を示しました。
この活躍によって推定年俸は5,000万円に上昇し、翌2024年には自己最高額となる推定6,400万円に達しています。
2024年・2025年は打撃成績が低下
一方、2024年は87試合出場で打率.230、1本塁打、17打点。
2025年には44試合出場、打率.186、1本塁打、4打点まで数字が落ち込みました。
年俸も2025年の6,000万円から2026年の4,800万円へと減少しています。
堂林の年俸推移を振り返ると、単純に年齢とともに下がっているわけではありません。
2020年や2023年の活躍で評価を高めた時期があり、成績が落ち込むと年俸にも反映されています。
これは、長いプロ生活のなかで実績を積み重ねながら、出場機会を争い続けている選手のキャリアを示すものです。
【枡田絵理奈と堂林翔太の結婚】交際開始から入籍までの経緯と真相
堂林翔太の名前を検索すると、野球の成績だけでなく、妻である枡田絵理奈との結婚についても多く調べられています。
2人の結婚は、プロ野球選手とテレビ局アナウンサーという異なる仕事を持つ人物同士の結婚として報じられました。
ここでは、当時の報道や本人の公表内容をもとに、交際から入籍までの流れを整理します。
妻の枡田絵理奈は元TBSアナウンサー
- 職業:フリーアナウンサー
- 結婚当時:TBSアナウンサー
- 堂林翔太との入籍:2014年12月25日
- 結婚当時の年齢:29歳
枡田絵理奈は、TBSのアナウンサーとして活動していた人物です。
プロ野球の取材なども担当しており、仕事を通じて野球界との接点がありました。
堂林との交際が報じられた当時は、朝の情報番組『いっぷく!』などに出演していました。
2013年8月17日:堂林の誕生日に交際開始
2人の交際が始まったのは、2013年8月17日です。
この日は堂林の22歳の誕生日でした。
2014年11月の結婚報道に関連して、枡田本人が番組内で交際開始の経緯を説明しています。
日刊スポーツの2014年11月7日付の記事によると、堂林から交際を申し込まれたのは自身の誕生日である8月17日でした。
当初、枡田は食事の誘いを断っていたものの、実際に会ってみて誠実な人柄に惹かれたという経緯も報じられています。
2014年11月6日:テレビ番組で結婚を報告
交際から約1年3か月後の2014年11月6日、枡田は自身が出演するTBSの情報番組『いっぷく!』で堂林との結婚を報告しました。
当時の報道によると、年内に婚姻届を提出する予定であることも明らかにしています。
結婚を決意した理由について、枡田は堂林の野球に取り組む姿勢を挙げました。
野球に真摯に向き合っている姿
この言葉は、当時のORICON NEWSが伝えた結婚に関する本人のコメントにも登場しています。
2014年12月25日:クリスマスに正式入籍
2人は2014年12月25日に婚姻届を提出しました。
この日はクリスマスであると同時に、枡田の29歳の誕生日でもありました。
ORICON NEWSは、TBSからの発表をもとに入籍を報道しています。
当時の年齢は堂林が23歳、枡田が29歳でした。
翌12月26日には、枡田がマスコミ各社に直筆の結婚報告を送り、結婚後は広島に住まいを移して堂林を支えていく考えを明らかにしました。
また、結婚に伴い『いっぷく!』を卒業し、TBSを退社する予定であることも報告しています。
堂林翔太と枡田絵理奈の結婚に隠された真相とは?
2人の結婚について、ネット上では「いつから付き合っていたのか」「なぜ結婚したのか」「交際のきっかけは何だったのか」といった疑問が見られます。
当時の報道から整理できるのは、次の3点です。
- 交際開始は2013年8月17日。
- 2014年11月に結婚を公表。
- 同年12月25日に婚姻届を提出。
結婚の理由については、枡田本人が堂林の野球に対する真摯な姿勢や努力する姿に惹かれたと説明しています。
また、東京で活動していた枡田と広島を拠点とする堂林の間には、東京と広島を行き来する遠距離交際という事情もありました。
こうした経緯を見ると、2人の結婚は、仕事への姿勢や人柄に惹かれ合った交際を経て実現したものです。
結婚発表や入籍の日付も当時の報道で明らかになっており、特別な隠された結婚事情が公表されているわけではありません。
【プロの結論】堂林翔太の選手としての価値と今後の注目点
堂林翔太のキャリアを分析すると、単純な成績だけでは見えてこない特徴があります。
それは、若くして大きな期待を背負いながら、故障やポジション争い、打撃不振を経験し、その都度チャンスをつかもうとしてきたことです。
堂林翔太を評価する3つのポイント
1. 複数ポジションを守れる対応力
2014年には三塁だけでなく外野や一塁にも挑戦しました。
三塁手としての競争が激しくなるなかで、守備位置を広げて出場機会を確保しようとした点は、堂林の特徴を理解するうえで重要です。
2. 長打力と勝負強さ
2012年の14本塁打、2020年の14本塁打、2023年の12本塁打は、堂林が持つ長打力を示す実績です。
特に2020年は打率.279、58打点も記録しており、打線の中で一定の役割を果たしました。
3. 長期間にわたる一軍経験
通算成績は2025年終了時点で1,070試合出場、667安打、67本塁打、284打点、打率.242です。
一時的なブレークだけではなく、広島で長年プレーしてきた経験そのものも評価すべき要素です。
今後の評価で注目したい判断基準
2026年の成績を踏まえると、今後の堂林については次の点が重要になります。
- ファームで打率を改善できるか。
- 出塁率と長打率を高められるか。
- 一軍で代打や複数ポジションの役割を担えるか。
- 若手選手との競争のなかで出場機会を確保できるか。
特に、2026年のファーム打率.219、OPS.616という数字からは、単純な本塁打数だけでなく、安定して出塁し、打撃全体の生産性を高めることが求められます。
堂林は一軍での実績があり、内外野の複数ポジションを経験している選手です。ただし、過去の実績だけで現在の一軍での立場を判断することはできません。
プロ野球選手としての現在地を正確に理解するには、過去の輝かしい記録と直近の成績を分けて見る必要があります。
【堂林翔太の現在・結婚・成績】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:堂林翔太は2026年現在、何歳ですか?
1991年8月17日生まれで、2026年11月2日時点では35歳です。広島東洋カープに所属しています。
Q2:堂林翔太の妻は誰ですか?
妻は元TBSアナウンサーで、現在はフリーアナウンサーとして活動する枡田絵理奈です。2014年12月25日に入籍しました。
Q3:堂林翔太と枡田絵理奈はいつから交際していましたか?
2013年8月17日から交際を開始したと、当時の報道で伝えられています。この日は堂林の22歳の誕生日でした。
Q4:堂林翔太の2014年のサヨナラ本塁打は誰から打ったものですか?
2014年4月2日のヤクルト戦で、トニー・バーネットから放ちました。延長12回裏に決めた劇的な一発です。
Q5:堂林翔太はオールスターに何回出場しましたか?
2012年、2013年、2014年の3年連続で出場しています。2014年の第2戦では楽天の福山博之からオールスター初本塁打を記録しました。
Q6:堂林翔太の2015年の一軍成績は?
33試合に出場し、打率.261、18安打、0本塁打、3打点でした。二軍では10本塁打を記録しましたが、一軍では十分な結果を残せませんでした。
Q7:堂林翔太の2026年の年俸はいくらですか?
推定4,800万円です。2025年11月の契約更改で、前年から1,200万円減となりました。
Q8:堂林翔太は2026年に一軍で出場していますか?
2026年の公開成績では一軍公式戦への出場はなく、ファーム公式戦で60試合、打率.219、5本塁打、26打点を記録しています。
まとめ:堂林翔太の歩みは挑戦と再起の連続
堂林翔太は、中京大中京高校で甲子園優勝を経験し、2009年のドラフト2位で広島東洋カープに入団したプロ野球選手です。
2012年には144試合に出場して14本塁打を記録し、「鯉のプリンス」として大きな注目を集めました。
2014年にはトニー・バーネットからのサヨナラ本塁打、3年連続のオールスター出場、福山博之からの球宴初本塁打など、記憶に残る実績を残しています。
その一方で、木村昇吾との三塁手争い、右手薬指の骨折、2015年の一軍出場33試合など、苦しい時期も経験しました。
2020年には打率.279、14本塁打で復活し、2023年にも12本塁打を記録。しかし2024年以降は打撃成績が低下し、2026年はファームでのプレーが中心となっています。
プライベートでは、枡田絵理奈と2013年に交際を開始し、2014年12月25日に結婚。仕事への姿勢や人柄に惹かれ合った2人の歩みは、当時の報道や本人の発表から確認できます。
堂林翔太を理解するうえで大切なのは、2012年や2014年の華やかな実績だけでなく、その後の苦闘や2020年の復活、そして2026年の現在地までを一続きのキャリアとして見ることです。
35歳を迎えた堂林が、今後どのような形で広島東洋カープに貢献していくのか。長年チームを支えてきた選手の次の挑戦にも注目が集まります。