法務省の研究が示した犯行動機は5つ

目次

もう一つ注目したいのが、犯行に至った動機です。

法務総合研究所の報告では、対象者の動機は大きく次の5つに分類されています。

1. 自分自身の境遇に対する不満
2. 特定の人物への不満を、無関係な第三者に向ける行動
3. 自殺できないことから死刑を望んだり、自殺のきっかけを求めたりする行動
4. 社会生活に行き詰まり、刑務所に逃れようとする行動
5. 殺人そのものへの興味や欲求

複数の動機が重なっている事例もあり、単純に「貧困だから犯罪を起こした」と説明できるものではありません。

報告書は、全員に共通する特徴があるわけではないこと、対象人数や抽出方法に統計上の限界があることも指摘しています。

さらに、社会的孤立を防ぐための「出番」と「居場所」づくり、医療・福祉・矯正・更生保護の関係機関による連携、自殺防止対策などを予防策として挙げています。

【2019年の事件を検証】川崎市登戸通り魔事件と元農水事務次官長男殺害事件

無用の人

2019年5月から6月にかけて、日本社会では「無敵の人」という言葉と、孤立した人々をめぐる議論が大きく取り上げられました。

特に注目されたのが、川崎市登戸通り魔事件と元農水事務次官長男殺害事件です。

両事件はわずか数日しか離れていません。しかし、事件の性質も当事者の関係も異なります。

川崎市登戸通り魔事件は2019年5月28日に発生

無用の人

2019年5月28日午前7時40分ごろ、神奈川県川崎市多摩区登戸新町の路上で、スクールバスを待っていた児童と保護者らが男に襲われました。

この事件では、小学6年生の女児と保護者の男性の計2人が死亡し、17人が負傷しました。襲撃した男も、その後死亡が確認されています。

国土交通省の発表では、事件を受けて登下校時の子どもの安全確保に関する関係閣僚会議が開催され、防犯まちづくりや地域との連携について対応が進められました。

事件発生直後、インターネット上では犯人を「無敵の人」と呼ぶ投稿が広がりました。

しかし、事件翌日の2019年5月29日に公開されたハーバー・ビジネス・オンラインの記事では、当時は容疑者の素性に関する情報が十分に公表されておらず、「無敵の人」と断定する根拠が乏しいと指摘されていました。

これは重要な問題です。

事件の発生と、犯人に対するネット上の評価は別のものです。事件の詳細が分からない段階で、無職、貧困、精神疾患、社会的孤立などを結び付けて犯人像を作り上げることは、事実に基づかない偏見を生みかねません。

元農水事務次官長男殺害事件の経緯

無用の人

登戸事件から4日後の2019年6月1日、東京都内の自宅で、元農林水産事務次官の熊沢英昭氏が44歳の長男を殺害する事件が発生しました。

この事件が社会に大きな衝撃を与えた理由は、親が成人した子どもを殺害したという事実だけではありません。

裁判で明らかになったのは、長年にわたる家庭内の問題と、親子双方が抱えていた困難でした。

東京地方裁判所の一審判決によると、長男は中学生のころから母親に激しい家庭内暴力を振るうようになり、父親は勤務先から帰宅して制止することもありました。

父親は長男と別居しながら、医療機関との連絡や生活面の支援を続けていました。

ところが、事件直前には長男との同居が始まり、その翌日に暴行を受けるなど、家庭内の緊張が高まっていました。

2019年6月1日、父親は自宅で長男を殺害しました。

裁判の経緯は次のとおりです。

- 2019年12月16日: 東京地裁が懲役6年の判決を言い渡す。
- 2021年2月2日: 東京高裁が控訴を棄却する。
- 2021年2月17日: 双方が上告せず、懲役6年の判決が確定する。

一審判決では、父親が長年にわたって長男を支援していた事情や、事件直前に暴行を受けた経緯なども量刑判断で考慮されました。

この事件を「無敵の人による犯罪」と呼ぶことの問題点

元農水事務次官長男殺害事件は、登戸通り魔事件と並べて語られることがあります。

しかし、両者を同じ構造の事件として扱うことには注意が必要です。

登戸事件は、不特定の人々が被害に遭った無差別殺傷事件です。一方、元農水事務次官長男殺害事件は、長年の家庭内問題を背景とした親子間の殺人事件でした。

後者について、長男が公共の場で無差別殺傷事件を起こす直前だったと認定されたわけではありません。

この事件から読み取るべきなのは、ひきこもりや家庭内暴力、親による高齢化した子どもの支援、家族だけで問題を抱え込むことの危険性です。

「社会的に孤立した人が事件を起こす」という単純な構図ではなく、家族だけでは支えきれない問題を地域や行政がどう受け止めるかという視点が欠かせません。

【社会問題の本質】貧困・就職氷河期世代・8050問題との関係

「無敵の人」という言葉の背景を理解するには、個人の経済状況だけでなく、長期間にわたって社会との接点を失う構造を見る必要があります。

特に関係するテーマが、就職氷河期世代、ひきこもり、8050問題です。

就職氷河期世代が抱えてきた雇用問題

就職氷河期世代は、バブル経済崩壊後の厳しい雇用環境で就職活動を経験した世代です。

新卒採用が抑制され、希望する企業に就職できなかったり、非正規雇用からキャリアを始めざるを得なかったりした人もいます。

問題は、就職時の不利が、その後の人生にも影響しやすいことです。

新卒時に正社員として採用されなかった場合、職歴や収入、社会保険、将来の年金などに影響が及ぶ可能性があります。年齢を重ねてから正社員への転職を目指しても、企業側が求める経験や年齢条件と合わず、選択肢が狭まることもあります。

ただし、就職氷河期世代だから無差別殺傷事件を起こしやすいという統計的根拠はありません。

2025年3月の弁護士JPニュースでは、龍谷大学の津島昌寛教授が、法務省の研究対象は52人と少なく、氷河期世代が他の世代より無差別殺傷事件を起こしやすいと断言できるデータはないと説明しています。

同世代が厳しい雇用環境に置かれてきたことと、犯罪を起こす可能性が高いことは、明確に分けて考える必要があります。

8050問題とは?親の高齢化と子どもの社会的孤立

2026年も重要な社会課題

8050問題とは、80代の親が50代の子どもを経済的・生活的に支えている状態を指す言葉です。

長期間のひきこもりや就労困難を抱えた子どもが年齢を重ねる一方、親も高齢化することで、家族全体の生活基盤が不安定になる問題です。

例えば、次のような課題が重なります。

- 親の年金が世帯の主な収入源になっている。
- 子どもが長期間働いておらず、独立した収入がない。
- 親の病気や介護によって、生活を維持することが難しくなる。
- 親が亡くなった後の住居や生活費の確保が困難になる。
- 家族以外に相談できる相手がおらず、行政の支援につながりにくい。

厚生労働省が2026年5月に公開したひきこもりに関する特集では、内閣府の2022年度調査を基に、15~64歳のひきこもり状態にある人を約146万人、50人に1人と紹介しています。

また、40~64歳の中高年層にもひきこもり状態の人が存在し、調査対象者の約半数が女性だったことも取り上げています。

従来は若者の問題として扱われることが多かったひきこもりですが、2026年には中高年層の生活支援や親の介護との両立も重要な課題になっています。

ここで忘れてはならないのが、ひきこもりと犯罪は別の問題だということです。

ひきこもり状態にある人の多くは、他人に危害を加えるわけではありません。むしろ、社会との接点が薄いことで、本人が生活上の困難を抱え、支援を必要としている場合があります。

野口悠紀雄が示した2040年の生活保護費の試算

就職氷河期世代の将来を考えるうえで、経済学者の野口悠紀雄・一橋大学名誉教授が2019年に発表した生活保護に関する試算も知られています。

2019年9月19日付のダイヤモンド・オンラインの記事では、非正規雇用の世帯主が高齢化した場合、生活保護に頼る高齢者世帯が増える可能性を論じています。

野口氏の試算では、高齢者世帯の生活保護率は当時の約3%から2040年ごろには10%を超える可能性があり、生活保護費の財源についても大幅な追加負担が必要になるとされました。

同氏の別の公開解説では、当時約3.8兆円だった生活保護費が2.5倍になる場合、約5.7兆円の追加財源が必要になるとの計算が示されています。消費税率については、当時の10%から13%程度への引き上げが必要になるという見通しでした。

ここで注意したいのは、これは2019年時点の経済学者による将来試算であり、2026年現在の政府による確定予算や公式予測ではないという点です。

「2040年に生活保護費が9兆円規模になる」という数字は、こうした試算を紹介する際に使われるものです。将来の雇用環境、賃金、年金制度、人口構成、生活保護制度の変更によって結果は変わります。

それでも、この問題提起が示しているのは、現役時代の不安定な雇用が老後の生活保障にまで影響する可能性です。

【2026年の現状と今後】無敵の人を生まないために社会ができること

2026年の日本では、就職氷河期世代の高齢化、ひきこもりの長期化、家族介護、生活困窮への対応が政策課題になっています。

重要なのは、事件が起きた後の対策だけでなく、生活が行き詰まる前に支援へつなぐ仕組みです。

2026年4月に新たな就職氷河期世代等支援プログラムが決定

政府は2026年4月10日、関係閣僚会議で新たな就職氷河期世代等支援プログラムを決定しました。

このプログラムでは、2028年度までの当面3年間を集中的な支援期間としています。

取り組みは次の3本柱です。

1. 就労・処遇改善に向けた支援: ハローワークでの相談、転職支援、リスキリング、企業への雇用支援など。
2. 社会参加に向けた段階的支援: ひきこもり状態にある人の居場所づくりや、本人の状況に応じた社会参加の支援。
3. 高齢期を見据えた支援: 家計改善、資産形成、住宅確保、介護離職の防止など。

特に注目されるのは、就職支援だけでなく、将来の生活設計や住まい、介護まで支援対象に含めていることです。

就職氷河期世代が抱える問題は、単に仕事が見つからないという段階を超え、老後の生活基盤にまで及んでいるためです。

ひきこもり支援は「働かせること」だけが目的ではない

厚生労働省は2025年1月に『ひきこもり支援ハンドブック~寄り添うための羅針盤~』を公表しました。

また、2026年5月の厚生労働省の特集では、本人が安心して過ごせる居場所や、自分のペースで社会とつながる機会の必要性が取り上げられています。

この考え方は、法務省の2013年の研究が示した「出番」と「居場所」の重要性とも重なります。

支援の目的は、すべての人を同じ働き方に当てはめることではありません。

長期のひきこもり状態にある人にとって、いきなり正社員として働くことは現実的ではない場合もあります。

まずは相談できる人をつくること、安心して過ごせる場所を確保すること、短時間の活動に参加することなど、段階的な支援が必要です。

「無敵の人」という言葉が生み出す偏見にも注意

日本心理臨床学会の広報誌『心理臨床の広場』では、2023年に「『無敵の人』と表現してしまうことのリスク」という論考が掲載されています。

そこで指摘されているのは、特定の立場にある人々を一つの言葉で分類することで、かえって社会的な境界をつくり、個人の事情を見えにくくしてしまう危険性です。

社会的排除を経験している人に対して「無敵の人」というレッテルを安易に貼れば、支援する側まで排除に加担してしまう可能性があります。

事件報道を読む際にも、次の点を意識すると情報を正確に理解できます。

- 犯人の職業や収入は、実際の捜査・裁判で確認された情報なのか。
- 事件と社会的孤立の関係は、具体的な証拠に基づいているのか。
- 調査の対象人数や調査時期は明らかになっているのか。
- 特定の世代や生活困窮者全体に、犯人の特徴を当てはめていないか。
- 犯罪の背景と、犯罪を正当化する説明を混同していないか。

社会的な背景を分析することは、犯罪を容認することではありません。被害者の尊厳と安全を守りながら、同じような事件を防ぐために必要な視点です。

【無用の人に関するよくある質問(FAQ)】

Q1:「無用の人」と「無敵の人」は同じ意味ですか?
A1:同じ意味ではありません。「無用の人」は、働こうにも仕事がなく、世間から役に立たないとして無視されている人を指す日本語表現です。「無敵の人」は、社会的に失うものが少なく、犯罪への心理的な抑止が働きにくいとされる人物を指すネットスラングです。

【検証資料 1】無用の人の当時の様子・関連報道写真(出典:Yahoo!ニュース)

Q2:「無敵の人」という言葉は誰がいつ作ったのですか?
A2:2ちゃんねるの開設者として知られる西村博之(ひろゆき)が、2008年6月20日のブログ記事「無敵の人の増加。」で使用したことが由来として知られています。

Q3:無敵の人は月収10万円以下の人が77%というのは本当ですか?
A3:法務省の2013年の研究を基にした紹介では、対象者52人のうち、無収入が約60%、月収10万円以下が約17%とされ、合計約77%です。ただし、これは無差別殺傷事件の対象者に関する数字であり、低所得者の犯罪発生率を示すものではありません。

Q4:ひきこもりの人は無敵の人になりやすいのですか?
A4:そのような関係を示す確かな根拠はありません。ひきこもりは生活上の困難や社会的孤立に関する状態であり、犯罪を意味するものではありません。本人の状況に応じた相談や生活支援が必要です。

Q5:就職氷河期世代は無敵の人になりやすいのでしょうか?
A5:就職氷河期世代が厳しい雇用環境を経験したことは事実ですが、同世代が無差別殺傷事件を起こしやすいという統計的根拠はありません。2026年には政府が2028年度までの集中的な支援プログラムを決定しています。

【プロの結論】「無用の人」という言葉の先にある社会の課題

「無用の人」と「無敵の人」は、似たような社会的孤立を連想させますが、言葉の意味は明確に異なります。前者は仕事や役割を得られず社会から軽視される人を表す日本語であり、後者は2008年にひろゆきが使用した、社会的に失うものが少ない人物をめぐるネットスラングです。

法務省の2013年の調査では、無差別殺傷事件の対象者52人に、低収入、無職、交友関係の乏しさなどの特徴が見られました。トイアンナの分析も、こうした経済的・社会的な孤立に注目しています。しかし、調査結果は困窮者全体の犯罪リスクを示すものではありません。

2019年の川崎市登戸通り魔事件と元農水事務次官長男殺害事件は、社会的孤立や家庭の問題を考えるきっかけになりました。そして2026年には、就職氷河期世代への新たな支援、ひきこもり支援、8050問題への対応が政策課題として続いています。

本当に考えるべきなのは、誰かを「無用」と決めつけたり、「無敵」と分類したりすることではありません。仕事を失ったとき、家族との関係が悪化したとき、社会との接点がなくなったときに、本人が孤立せず、生活を立て直せる選択肢があるかどうかです。

犯罪の被害を防ぐためにも、困窮する人を犯罪予備軍として扱うのではなく、雇用、福祉、医療、地域社会が連携して支援につなぐ仕組みが求められています。「無用の人」という言葉を考えることは、誰もが社会の中に居場所と役割を持てる仕組みを問い直すことでもあります。