【町名の違いを比較】神田鍛冶町と鍛冶町一・二丁目は何が違う?

目次

神田駅周辺を歩くと、「神田鍛冶町」と「鍛冶町」というよく似た町名が存在することに気づきます。

【検証資料 1】神田鍛冶町の当時の様子・関連報道写真(出典:Yahoo!ニュース)

どちらも金属加工や鍛冶職人の歴史と関係していますが、町名の成立過程は異なります。特に三丁目だけが現在も「神田鍛冶町」という名称を残している点が特徴です。

神田鍛冶町三丁目と鍛冶町一・二丁目の違い

神田鍛冶町



旧・鍋町
神田鍛冶町三丁目

江戸時代の旧称は鍋町。椎名山城の屋敷と御用鋳物師の歴史を持つ地域です。


江戸時代からの鍛冶町
鍛冶町一丁目・二丁目

高井伊織を起点とする鍛冶職人の歴史を持ち、金物や刃物などの流通と結びついてきました。

主な違いを整理すると、次のようになります。

- 町名の由来: 三丁目は椎名山城と鋳物師に由来する鍋町。一・二丁目は高井伊織と鍛冶職人の居住に由来する鍛冶町。
- 江戸時代の特徴: 三丁目は鋳物師や金具師、印判師など。一・二丁目は鍛冶職人や金属製品の流通業者が中心。
- 現在の正式名称: 三丁目は神田鍛冶町三丁目。一・二丁目は鍛冶町一丁目・二丁目。
- 住居表示: 三丁目は住居表示未実施。一・二丁目は1974年に住居表示を実施。

鍛冶町一丁目の由来は高井伊織

神田鍛冶町

鍛冶町一丁目の町名は、江戸幕府のお抱え鍛冶方棟梁だった高井伊織が、この地域に屋敷を構えたことに由来するとされています。

千代田区の町名由来板によると、1603年(慶長8年)の江戸の町割で誕生した町の一つが鍛冶町でした。高井家は関八州の鍛冶頭を務め、その配下の職人も周辺に集まっていたといいます。

明暦3年(1657年)の「新添江戸之図」などにも、鍛冶町に関連する町名が記録されています。

鍛冶町二丁目は刀剣・金物の商いが特徴

神田鍛冶町

鍛冶町二丁目は、金属製品のなかでも刀や薙刀などの打物を扱う業者が多かった地域です。

1824年の『江戸買物独案内』には、下駄の鼻緒を扱う問屋、書物問屋、薬の小売業者なども記録されています。さらに、江戸名所図会には下駄の製作・販売に携わる人々が集まった「下駄新道」という裏通りが登場します。

戦後には家庭金物店、建築金物店、銅・真鍮・鉄の販売店が集まり、神田駅南口から東神田に続く大通りは「神田金物通り」としてにぎわいました。

こうした歴史から、鍛冶町一・二丁目は金属加工と金物流通の伝統を持つ地域、神田鍛冶町三丁目は鋳物師を起点とする旧鍋町の歴史を残す地域として区別できます。

【現在に残る歴史】千代田区の町名由来板と神田鍛冶三会町会

神田鍛冶町の歴史を現地で確認する際に役立つのが、千代田区が設置している町名由来板です。

2004年に設置された町名由来板

神田鍛冶町三丁目の町名由来板は、2004年(平成16年)1月7日に設置されました。所在地は神田鍛冶町三丁目3番地です。

千代田区では、江戸開府400年を機に、歴史的な町名とそれにまつわる文化を保存・継承する目的で、区内各地に町名由来板を設置しました。

町名の変更や住居表示によって、かつての町名が失われていくなか、地域の歴史を現地で確認できるようにする取り組みです。

町名由来板の説明文は、江戸東京博物館の都市歴史研究室長を務めた北原進氏が監修に携わっています。地域の伝承だけでなく、江戸の都市史を踏まえた説明が盛り込まれている点も特徴です。

神田鍛冶三会町会とは?

神田鍛冶町の歴史を現在につなぐ存在が、神田鍛冶三会町会(かんだかじさんかいちょうかい)です。

千代田区の町名由来板によると、1966年の住居表示によって神田鍛冶町三丁目の一部が内神田三丁目に編入されたことを受け、地域の人々は町会名を神田鍛冶三会に改めました。

この名称には、行政上の住所が変わっても、地域の歴史やつながりを受け継いでいこうとする意味が読み取れます。

2026年7月31日更新の千代田区公式町会一覧でも、神田鍛冶三会町会は現存する町会として掲載されています。対象区域は神田鍛冶町三丁目に加え、内神田三丁目19~21番です。

ここには、町名と町会の区域が必ずしも一致しないという、神田の歴史的な地域構造が表れています。

神田駅周辺に残る町名の多様性

神田駅周辺には、鍛冶町以外にも歴史的な背景を持つ町名が残っています。

- 神田須田町:旧神田市場など商業の歴史と関わる地域
- 神田多町:江戸時代の青物市場で知られる地域
- 神田司町:旧町名の統合によって成立した地域
- 神田紺屋町:染物業との関係を持つ町名
- 内神田:住居表示による町域再編を経た地域

神田鍛冶町三丁目のように、江戸時代の旧町名を引き継ぐ地域もあれば、住居表示によって名称が変わった地域もあります。

千代田区の町名由来板は、こうした違いを知るための資料として活用できます。神田駅周辺を歴史散策するなら、町名由来板を手掛かりに、町ごとの成り立ちを比較するのも興味深い方法です。

【プロの結論】神田鍛冶町の本質は「鍛冶の町」だけでは説明できない

神田鍛冶町の歴史を読み解くと、町名の変遷以上に興味深い事実が浮かび上がります。

それは、現在の町名が同じ「鍛冶」を掲げていても、その土地が歩んできた歴史は一つではないということです。

鍛冶町一・二丁目には、高井伊織を起点とする鍛冶職人の歴史があります。一方、神田鍛冶町三丁目には、椎名山城の屋敷と御用鋳物師に由来する鍋町の歴史があります。

さらに、1824年の『江戸買物独案内』が示すように、鍋町は専門職人だけで成り立つ町ではありませんでした。化粧品や傘、菓子、釘、馬具、武具など、多様な商いが共存していました。

このことから、神田鍛冶町を理解するための判断基準は、次の3点に整理できます。

1. 町名の由来と職人の歴史を区別する。 「鍛冶町」という名称だけで、すべて同じ職人集団が起源だと考えないこと。
2. 1933年と1966年の変更を混同しない。 1933年は鍋町から鍛冶町三丁目への改称、1966年は一部区域の内神田三丁目への編入です。
3. 行政上の町域と地域コミュニティを分けて考える。 神田鍛冶三会町会の区域には、現在の内神田三丁目の一部も含まれています。

町名は単なる住所ではありません。職人の仕事、商人の暮らし、幕府との関係、戦後の都市再編、地域コミュニティの継承までを記憶する歴史資料です。

神田鍛冶町に関するよくある質問(FAQ)

Q1:神田鍛冶町は何と読みますか?

神田鍛冶町は「かんだかじちょう」と読みます。現在の正式な町名としては「神田鍛冶町三丁目(かんだかじちょうさんちょうめ)」が使われています。

Q2:神田鍛冶町の旧町名は鍋町ですか?

現在の神田鍛冶町三丁目にあたる地域は、江戸時代に鍋町と呼ばれていました。江戸幕府の御用鋳物師だった椎名山城が屋敷を構えていたことに由来すると伝えられています。

Q3:神田鍛冶町三丁目と鍛冶町三丁目は同じですか?

現在の正式な町名は神田鍛冶町三丁目です。鍛冶町一丁目・二丁目とは異なり、「神田」の冠称が残っています。旧鍋町の歴史を持つ地域で、住所表記も住居表示未実施区域の方式になっています。

Q4:神田鍛冶町の最寄り駅はどこですか?

JR神田駅が最寄りの主要駅です。北口・西口方面が便利で、東京メトロ銀座線の神田駅では4番出口が神田鍛冶町三丁目方面への目安になります。

Q5:神田鍛冶三会町会は現在もありますか?

あります。2026年更新の千代田区公式町会一覧にも掲載されており、神田鍛冶町三丁目と内神田三丁目19~21番を対象区域としています。

まとめ:神田鍛冶町は江戸の職人文化と商業の記憶を残す町

神田鍛冶町は、東京都千代田区のJR神田駅周辺に位置する歴史ある町です。現在の神田鍛冶町三丁目は、江戸時代に鍋町と呼ばれ、幕府御用鋳物師の椎名山城をはじめとする専門職人や多様な商人が集まっていました。

1824年の『江戸買物独案内』には、化粧品、傘、菓子、金属製品、馬具、武具などを扱う商いが記録されています。鍋町は、職人の技術と日常生活を支える商業が共存した町でした。

その後、1933年の町名変更、1947年の神田冠称、1966年の区域再編を経て、現在の神田鍛冶町三丁目へとつながっています。

鍛冶町一・二丁目との違いも、町名の由来を知れば明確になります。三丁目は旧鍋町、一・二丁目は高井伊織にゆかりのある江戸時代以来の鍛冶町です。

2026年現在も、町名由来板や神田鍛冶三会町会という形で、かつての鍋町の記憶は地域に残っています。神田駅周辺を訪れた際には、現在の住所だけでなく、江戸時代から続く町名の背景にも目を向けてみると、この地域の見え方が変わってくるはずです。

神田鍛冶町は、単に鍛冶職人が暮らした町ではなく、江戸のものづくりと商業、そして地域の歴史的なつながりを今に伝える町なのです。


主な参考資料

- 千代田区「町名由来板:神田鍛冶町三丁目」
- 千代田区「町名由来板:鍛冶町一丁目・二丁目」
- 千代田区「千代田区の町名の読み方」
- 千代田区「新旧町名対照表」
- 千代田区「千代田区の町会一覧」
- 国立国会図書館「江戸時代の商人を調べる」
- 国立歴史民俗博物館「江戸買物独案内」
- 東京都立図書館「新添江戸之図」
- 平凡社『日本歴史地名大系』「神田鍋町」項目