【兄弟構成を解説】志村けんは3人兄弟の末っ子!長男・知之と次兄・美佐男とは?

目次

志村けんさんは、1950年2月20日生まれ、東京都東村山市出身のコメディアンです。本名は志村康徳(しむら・やすのり)。ザ・ドリフターズのメンバーとして活躍し、『8時だョ!全員集合』『志村けんのだいじょうぶだぁ』『天才!志村どうぶつ園』などで幅広い世代に親しまれました。

家族については、男3人兄弟の末っ子だったことが知られています。

兄弟の構成は次のとおりです。

- 長男:志村知之さん。東村山市役所に長年勤務した公務員。
- 次男:志村美佐男さん。志村けんさんの個人事務所で働いた経歴がある。
- 三男:志村けんさん(本名・康徳)。お笑いタレントとして芸能界で活躍。

兄2人は弟とは異なる一般社会での人生を歩みましたが、けんさんの芸能活動とも深いつながりがありました。

長兄・知之さんは3歳年上の実兄

志村けん兄

知之さんは、志村けんさんより3歳年上です。

2017年のJ-CASTニュースの取材では、弟との性格の違いについて触れながら、顔についてはよく似ていると言われると本人が話しています。

また、2020年にけんさんが亡くなった際には、報道陣の取材に応じ、弟への思いを語りました。

次兄・美佐男さんも弟の仕事を支えていた

志村けん兄

美佐男さんについては、知之さんほどメディアで取り上げられる機会は多くありませんでした。

ただし、親族の証言を掲載した2022年の週刊女性PRIMEの記事では、けんさんと美佐男さんがゴルフを楽しむなど、親しい兄弟だったことが紹介されています。

兄弟それぞれの生活や仕事は異なっていましたが、家族としてのつながりは深かったようです。

【長兄の経歴】志村知之は東村山市役所に48年間勤務した人物

志村けん兄

志村けんさんの兄として特に知られるようになったのが、長男の知之さんです。

知之さんは芸能活動をしていたわけではなく、長年にわたって東村山市役所で働いてきた一般の公務員でした。

1969年から東村山市役所に勤務

J-CASTニュースが2017年4月3日に掲載したインタビューによると、知之さんは1969年から東村山市役所に勤務していました。

最後に所属していた部署は高齢介護課です。

市民の自宅を一軒ずつ訪問し、保険料の納付について説明や相談に対応する仕事を担当していました。

市民との信頼関係が欠かせない業務だったと振り返っており、芸能人の兄という立場ではなく、一人の市職員として地域に根差した仕事を続けていたことが分かります。

2017年3月末には、定年退職後の臨時職員としての勤務も終え、完全に市役所を退職しました。

その勤務期間は約48年間に及びます。

志村けんの兄は顔がそっくり?写真が話題になった理由

知之さんが広く注目を集めたきっかけは、2017年4月1日に東村山市の渡部尚市長がSNSに投稿した写真でした。

その写真には、市役所での最後の勤務を終えた知之さんと市長が握手する姿が写っていました。

写真を見た人々の間で話題になったのが、弟の志村けんさんとの顔立ちの類似性です。

知之さん自身も取材で、顔が似ていると言われることについて認めています。

「顔はよく似ていると言われますよ」

さらに、髪の毛がある分、自分のほうが若く見られることが多いとも笑顔で話していました。

このエピソードからも、知之さんが弟の知名度に頼ることなく、自然体で取材に応じる人物だったことがうかがえます。

東村山市長も評価した知之さんの人柄

当時の渡部市長は、知之さんについて、市役所内外で人望があり、気さくな人物だったと評価しています。

定年退職後も、職場の後輩から勤務継続を望まれ、臨時職員として働いていたことも印象的です。

弟のけんさんは、舞台やテレビで観客を笑わせる仕事を選びました。一方、知之さんは地域行政の現場で市民と向き合う仕事を続けました。

同じ家庭で育った兄弟が、それぞれ異なる形で多くの人と関わっていた点は興味深いところです。

【次兄の訃報】志村美佐男は2021年6月に死去していた

次兄の美佐男さんについては、2022年3月25日配信の週刊女性PRIMEの記事で、2021年6月に亡くなっていたことが報じられました。

報道によると、近隣住民は亡くなる前の春ごろまで、美佐男さんが普段どおり車で外出する姿を見ていたと証言しています。

その後、入院していたと伝えられました。

また、知之さんも取材に対して、美佐男さんが内臓を患っていたことを明かしています。

志村けんと美佐男の仲良しエピソード

美佐男さんとけんさんの関係を知るうえで興味深いのが、親族による証言です。

週刊女性PRIMEの記事では、次のようなエピソードが紹介されました。

1.一緒にゴルフを楽しんでいた

親族の証言によれば、けんさんは美佐男さんにゴルフを教えていたそうです。

仕事だけでなく、趣味の時間も共有していたことが分かります。

2.弟が兄の仕事を自ら依頼した

美佐男さんは以前、親族が経営する会社で働いていました。

その後、けんさんが兄を自分の個人事務所で働かせたいと申し出たことが、親族の証言として紹介されています。

つまり、美佐男さんは単に芸能人の兄という立場だったのではなく、弟の仕事を支える存在でもあったのです。

3.事務所で一緒に過ごす時間もあった

親族の話では、美佐男さんはまじめな性格で、けんさんが事務所に来ると一緒にお酒を飲むこともあったそうです。

こうした証言からは、芸能界で成功した弟と、一般社会で働いていた兄という関係を超えた親しさが感じられます。

美佐男さんの死去で兄弟はどう変わった?

美佐男さんが亡くなったことで、志村けんさんの兄弟のうち、長兄の知之さんだけが存命となりました。

また、美佐男さんの死後、個人事務所の運営にも変化が生じたと報道されています。

2022年の週刊女性PRIMEの記事では、美佐男さんの息子が新たに取締役に加わったことが紹介されました。

知之さんは、甥と一緒に事務所を運営していく考えを取材で明らかにしています。

【年表・関係性まとめ】志村けん兄弟の歩みと重要な出来事

ここまでの報道を時系列で整理すると、兄弟の歩みと家族を取り巻く変化が分かります。

時期 出来事 内容
1950年 志村けん誕生 3人兄弟の三男として誕生
1969年 知之さんが市役所勤務 東村山市役所で勤務を開始
2017年3月 知之さん退職 約48年間の勤務を終える
2020年3月29日 けんさん死去 70歳で新型コロナによる肺炎のため死去
2020年6月 名誉市民の顕彰 知之さんが代理で受け取り、美佐男さんも出席
2021年6月 美佐男さん死去 次兄の訃報が後年報道される
2022年9月 遺産相続の整理 知之さんが相続完了を取材で明かす
2025年3月 三鷹の自宅解体 遺品整理と自宅の解体が報じられる
2026年3月29日 七回忌 けんさんの没後6年
2026年3月31日 長兄宅を訪問 東村山市長が仏壇に線香をあげる

この年表で注目したいのは、2020年の名誉市民顕彰式です。

東村山市は2020年6月25日、志村けんさんを名誉市民に選定しました。

この顕彰式には長兄の知之さんだけでなく、次兄の美佐男さんも出席しています。

けんさんの功績を家族がともに受け止めた、重要な節目でした。

【遺産相続の真相】志村けんの兄・知之が引き継いだ個人事務所と資産

志村けんさんが亡くなった後、世間の関心を集めたのが遺産相続でした。

生涯独身で子どもがいなかった志村さんには、不動産や預貯金、芸能活動に関係する資産などが残されていました。

遺産は10億円以上だったという報道も

2021年3月29日のスポニチの報道では、志村さんの遺産について、10億円以上ともいわれると紹介されました。

当時、三鷹市の自宅のほか、東京都港区や静岡県熱海市にも不動産を所有していたと報じられています。

ただし、10億円という数字は報道上の推計であり、本人や遺族が公表した確定的な遺産総額ではありません。

また、遺産には不動産だけでなく、預貯金やその他の財産、相続に伴う税金なども関係します。

そのため、報道された資産額だけで実際の相続内容を判断することはできません。

遺産相続は2022年9月に完了

相続手続きについては、当初から順調に進んでいたわけではありません。

2022年3月の週刊女性PRIMEの報道では、知之さんが相続について「なかなか進んでいない」と説明していました。

その後、2023年3月28日の週刊女性PRIMEの取材で、状況が変わります。

記者から相続が終わったのかと尋ねられた知之さんは、「去年の9月にね」と答えています。

つまり、相続手続きは2022年9月ごろに完了したことになります。

当初の報道で相続が停滞しているとされたことと、後の取材で完了が確認されたことは、時系列を分けて理解する必要があります。

個人事務所「エスカンパニー」の代表も知之さん

志村けんさんの個人事務所として知られるのが、エスカンパニーです。

2022年の週刊女性PRIMEの記事では、長兄の知之さんが代表取締役を務めていることが報じられています。

さらに、美佐男さんの死後には、その息子が取締役に加わったとされています。

知之さんは当時の取材で、甥と2人で事務所を運営していく意向を語っていました。

2023年には、熱海のマンションの名義などに関する報道もありましたが、相続が完了したことも同じ取材で確認されています。

なお、2026年現在の会社の役員構成や具体的な事業活動については、最新の公表情報が確認できる範囲が限られています。過去の役員情報をそのまま現在の状況と同一視することはできません。

【2025年の自宅解体と2026年の七回忌】志村知之の現在は?

2026年の知之さんを考えるうえで、大きな節目となったのが、2025年の自宅解体と2026年の七回忌です。

2025年3月、志村けんの自宅が解体された

志村けんさんが生前暮らしていた東京都三鷹市の自宅は、亡くなってから長期間、空き家となっていました。

2025年3月8日配信の女性セブンプラスは、この自宅の解体工事が始まったことを報じています。

同記事によると、知之さん夫婦は約5年間、弟の自宅を守ってきました。

しかし、大量の荷物や遺品を整理して保管することは簡単ではありませんでした。

知之さんは、体の自由が以前より利かなくなり、荷物を運び出すことも難しくなったと説明しています。

そのため、業者に依頼して家に残っていた荷物を処分する決断をしました。

外部に情報が漏れないよう、業者との間で契約書も交わしたといいます。

最後に残した形見は「Shimura」の帽子

この報道で特に印象的だったのが、知之さんが弟の形見として残した帽子です。

それは「Shimura」のロゴが入ったデニム地のキャップでした。

志村さんは晩年、自分の名前や年齢を入れたオリジナルキャップを作り、親しい人に贈っていました。

知之さんが持ち帰ったのは、その最後に作られた帽子の一つだったといいます。

女性セブンプラスの取材では、知之さんがこの帽子を散歩などの外出時に被っていることも紹介されました。

家そのものや多くの遺品を残すことは難しくても、弟が愛用していた帽子だけは手元に置いておきたかったのでしょう。

自宅の解体は単なる不動産の整理ではなく、長年弟の暮らした場所と向き合い、思い出の品を整理する過程でもありました。

2026年3月29日に七回忌を迎えた志村けん

志村けんさんが亡くなったのは、2020年3月29日です。

新型コロナウイルスによる肺炎のため、70歳で亡くなりました。

そして2026年3月29日、没後6年となる七回忌を迎えました。

この節目に関する具体的な動きを伝えたのが、2026年4月2日のテレ朝NEWSです。

報道によると、東村山市の渡部尚市長は3月31日、長兄の知之さんの自宅を訪問しました。

その目的は、志村家の仏壇に線香をあげ、けんさんの冥福を祈ることでした。

市長は自身のSNSでも訪問について報告し、仏壇にはけんさんの位牌が安置されていたと説明しています。

また、知之さん夫妻に対して、七回忌を終えたばかりの大変な時期に対応してくれたことへの感謝も伝えていました。

志村知之は現在どうしている?死亡説の真相

知之さんについては、一般の方であることから、日常生活や近況が頻繁に報道されるわけではありません。

ただし、2026年4月2日のテレ朝NEWSの記事では、七回忌の直後に渡部市長が知之さん宅を訪問し、知之さん夫妻が対応したことが明確に伝えられています。

したがって、少なくとも2026年3月31日時点で、知之さんが存命であることを確認できる報道があります。

ネット上で見かける兄の死亡説とは一致しません。

現在の知之さんについて、報道から分かることを整理すると次のようになります。

- 2017年3月に東村山市役所を完全退職。
- 2020年以降、弟の遺品や自宅の管理に関わってきた。
- 2025年には弟の自宅の整理と解体に向き合った。
- 2026年3月には七回忌を迎え、東村山市長の訪問を受けた。

一方、2026年11月現在の具体的な職業、日々の活動、個人としてのSNS発信などについては、広く公表された情報は見当たりません。

市役所を退職した後は、芸能人として表舞台に立つのではなく、一般の生活を送っていると考えるのが自然です。

【プロの結論】志村けんの兄を知るうえで大切な3つの視点

志村けんさんの兄弟について調べると、単に有名人の家族というだけでは見えてこない事実があります。

1.知之さんは芸能界とは別の場所で地域に貢献した人物

長兄の知之さんは、約48年間にわたり東村山市役所で働きました。

弟が日本を代表するコメディアンとして活躍する一方、兄は地元行政の現場で市民と向き合ってきました。

2017年の退職時に市長や同僚から惜しまれたというエピソードは、知之さん自身の仕事ぶりを示しています。

2.兄弟のつながりは仕事や趣味にも表れていた

次兄の美佐男さんは、けんさんの個人事務所で働き、ゴルフなどを通じて弟と交流していました。

芸能界での成功を家族が遠くから見守るだけではなく、実際に仕事を通して支える関係だったことが分かります。

3.家族の記憶は自宅や遺品だけに残るものではない

2025年に三鷹の自宅は解体されました。

しかし、知之さんが弟の愛用した帽子を現在も身に着けているというエピソードには、兄弟の関係を象徴するものがあります。

さらに2026年の七回忌には、東村山市長が知之さん宅の仏壇を訪れました。

家という場所がなくなっても、家族の記憶や地域の人々の思いは受け継がれています。

【志村けんの兄】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:志村けんの兄は何人いますか?

A1:志村けんさんは男3人兄弟の末っ子です。長男が志村知之さん、次男が志村美佐男さんです。

Q2:志村けんの兄・知之さんは東村山市役所で働いていたのですか?

A2:はい。1969年から東村山市役所に勤務し、最後は高齢介護課に所属していました。2017年3月末に約48年間の勤務を終えています。

Q3:志村けんの兄は現在も生きていますか?

A3:長兄の知之さんについては、2026年3月31日に東村山市長が自宅を訪問したことが報道されています。死亡説を裏付ける事実はなく、少なくともこの時点で存命だったことが確認できます。

Q4:志村けんの次兄・美佐男さんはいつ亡くなりましたか?

A4:週刊女性PRIMEの2022年3月の報道によると、2021年6月に亡くなっています。知之さんも取材で、内臓を患っていたことを明かしています。

Q5:志村けんの遺産は兄が相続したのですか?

A5:2021年当時の報道では、配偶者や子どもがいなかったことから、2人の兄が相続人になると説明されていました。その後、美佐男さんの死去などを経て、知之さんは2023年の取材で2022年9月に相続が完了したと話しています。

Q6:志村けんの個人事務所の代表は誰ですか?

A6:2022年の週刊女性PRIMEの報道では、長兄の知之さんが個人事務所エスカンパニーの代表取締役を務めていると紹介されています。甥も事務所の役員に加わったと報じられました。

Q7:志村けんの自宅は2025年に解体されたのですか?

A7:はい。東京都三鷹市にあった生前の自宅は2025年3月に解体工事が始まり、同月末には更地になったと報じられています。知之さんは、弟の帽子を形見として持ち帰っています。

Q8:志村けんの七回忌には兄の知之さんも参加しましたか?

A8:2026年3月29日に七回忌を迎えました。3月31日には東村山市の渡部尚市長が知之さん宅を訪れ、志村家の仏壇に線香をあげています。

まとめ:志村けんの兄・知之が受け継ぐ家族の記憶

志村けんさんは3人兄弟の末っ子で、長兄の知之さん、次兄の美佐男さんという2人の兄がいました。

知之さんは東村山市役所で約48年間勤務し、2017年に退職。弟が亡くなった後は、自宅の管理や遺品整理、個人事務所の運営などにも関わってきました。

次兄の美佐男さんは2021年6月に亡くなりましたが、けんさんとゴルフを楽しんだり、個人事務所で働いたりした親しい関係が伝えられています。

2025年には三鷹の自宅が解体され、2026年3月には七回忌を迎えました。その際、東村山市長が知之さん宅を訪れ、志村家の仏壇に線香をあげています。

弟が愛用した帽子を兄が今も身に着けているというエピソードは、志村家の兄弟関係を象徴する出来事です。

志村けんさんが残した笑いは、芸能界だけでなく、家族や故郷の東村山市にも深く刻まれています。 長兄・知之さんの歩みを知ることは、喜劇王としての志村けんさんだけではなく、一人の弟としての姿を知ることにもつながります。

主な報道資料:J-CASTニュース(2017年4月)、日刊スポーツ(2020年6月)、スポニチ(2021年3月)、週刊女性PRIME(2022年・2023年)、女性セブンプラス(2025年3月)、FRIDAYデジタル(2025年4月)、テレ朝NEWS(2026年4月)。