今くるよさんは何歳で死去?膵がんの訃報、経歴と最後の舞台を2026年版で解説

目次

2026年現在も、女性漫才師の先駆者として語り継がれている今くるよさん。漫才コンビ「今いくよ・くるよ」として1980年代のお笑いブームを盛り上げ、「どやさ!」のギャグで幅広い世代に親しまれた人物です。2024年5月27日、膵がんのため大阪市内の病院で亡くなりました。吉本興業の発表によると、最後の舞台は2022年4月の創業110周年特別公演「伝説の一日」でした。

本名は酒井スエ子さん。高校時代からの親友だった今いくよさんとの出会い、師匠・今喜多代さんへの弟子入り、数々の受賞歴など、その歩みには女性漫才師として時代を切り開いた歴史があります。ここでは、死去した年齢や死因、プロフィール、コンビ結成の経緯、代表的なギャグ、最後の舞台までを2026年11月時点の情報で整理します。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】

- 訃報: 今くるよさんは2024年5月27日、膵がんのため76歳で死去しました。
- 経歴: 本名は酒井スエ子さん。1970年に今喜多代さんに弟子入りし、今いくよさんと女性漫才コンビを結成しました。
- 功績: 上方漫才大賞などを受賞し、2023年には第26回上方演芸の殿堂入りを果たしました。
- 最後の舞台: 2022年4月の吉本興業創業110周年特別公演「伝説の一日」です。
- 現在: 2026年も、後輩芸人や追悼公演を通じて、その芸と人柄が受け継がれています。

【訃報の真相】今くるよさんはいつ亡くなった?死因と享年76歳の事実

今くるよ

今くるよさんが亡くなったのは、2024年5月27日(月)です。

所属事務所の吉本興業が翌28日に訃報を発表し、死因は膵がん(膵臓がん)だったと公表しました。最期は大阪市内の病院でした。

死去した年齢は76歳

今くるよさんの生年月日は1947年6月17日です。2024年5月27日に亡くなったため、76歳でした。

ただし、年齢については発表上の注意点があります。

吉本興業の訃報では、プライバシーへの配慮から年齢は非公表とされています。一方、報道各社や人物プロフィールでは、生年月日と没年月日をもとに76歳と報じられています。

項目 内容
芸名 今くるよ
本名 酒井スエ子(さかい・すえこ)
生年月日 1947年6月17日
亡くなった日 2024年5月27日
亡くなった年齢 76歳
出身地 京都府京都市
死因 膵がん
最期を迎えた場所 大阪市内の病院
所属事務所 吉本興業

吉本興業の公式発表と、訃報を伝えた日刊スポーツなどの報道を照合すると、死去の日付と死因は一致しています。年齢については、公式発表では非公表、報道上では76歳という整理が正確です。

死因となった膵がんとは?

今くるよさんの死因は膵がんです。

膵がんは膵臓に発生する悪性腫瘍で、一般的に早期発見が難しいがんの一つとして知られています。

膵臓は胃の後ろ側に位置し、消化液や血糖値の調整に関わるホルモンを分泌する臓器です。初期には目立った症状が現れにくく、発見時には進行しているケースもあります。

ただし、今くるよさんについては、病気の発覚時期、具体的な病状、治療内容などの詳細は吉本興業の訃報では公表されていません。

そのため、膵がんだったという公表事実と、個別の闘病経過は区別して理解する必要があります。

葬儀やお別れ会について

吉本興業の発表によると、通夜は2024年5月30日、葬儀・告別式は5月31日に執り行われました。

また、自宅住所や喪主は非公表とされ、一般の参列やメディアによる取材も辞退する意向が示されました。

当時、吉本興業はお別れ会についても予定はないと発表しています。

【生い立ちとプロフィール】今くるよさんの本名は酒井スエ子!芸人になるまでの経歴

今くるよさんは京都府京都市の出身です。

本名は酒井スエ子(さかい・すえこ)。1947年6月17日に生まれ、京都明徳高等学校(旧・明徳商業高等学校)を卒業しました。

芸人になる前は会社員として働いており、最初から芸能界を目指していたわけではありません。

高校時代から今いくよさんと親友だった

今くるよさんの人生を語るうえで欠かせないのが、後に漫才コンビを組む今いくよさんとの関係です。

2人は京都の高校で同級生でした。

高校時代には同じソフトボール部に所属し、いくよさんがピッチャー、くるよさんがマネージャーを務めていたことも、大阪市の人物紹介資料に記されています。

卒業後はともに会社員として働きましたが、漫才への挑戦をきっかけに人生が変わります。

大阪府立上方演芸資料館「ワッハ上方」によると、2人が漫才を始めるきっかけとなったのは、会社員時代に受けたオーディションでした。

師匠は今喜多代さんと島田洋之介さん

1970年、2人は漫才師の今喜多代さん、島田洋之介さんに弟子入りしました。

吉本興業の訃報では、今くるよさんが1970年に今喜多代さんに弟子入りしたことが紹介されています。

今喜多代さんは、上方演芸界で活躍した女性漫才師です。

女性が漫才師として活動することが現在ほど一般的ではなかった時代に、2人がプロの芸人として歩み始めた背景には、師匠の存在がありました。

今くるよさんの経歴・生い立ち年表

年代 出来事 内容
1947年 誕生 京都市で生まれる
高校時代 今いくよさんと出会う 同じソフトボール部の仲間
高校卒業後 会社員として勤務 OLとして働く
1970年 師匠に弟子入り 今喜多代さんらに師事
1970年代前半 コンビとして活動 今いくよ・くるよとして漫才の道へ
1980年代 全国的な人気を獲得 漫才ブームで活躍
1984年 上方漫才大賞 大賞を受賞
2015年 相方の死去 今いくよさんが67歳で死去
2022年 最後の舞台 「伝説の一日」に出演
2023年 殿堂入り 第26回上方演芸の殿堂入り
2024年 死去 5月27日、膵がんのため76歳で死去

なお、コンビの結成年については資料によって記載に差があります。ワッハ上方の紹介では1970年結成とされる一方、吉本興業は2012年12月に結成40周年記念イベントを開催しています。イミダスの今いくよさんの人物紹介では1973年7月結成とされています。

こうした資料の違いを踏まえると、1970年の弟子入りと、70年代前半のコンビ活動開始を分けて理解するのが適切です。

【今いくよ・くるよの関係】結成の経緯と2人が築いた女性漫才の歴史

今いくよ・くるよは、単なる仕事上のコンビではありませんでした。

高校時代からの同級生であり、ソフトボール部の仲間でもあった2人は、会社員生活を経て漫才の世界へ進みました。

コンビとしての最大の特徴は、互いの容姿やファッションを笑いに変える独特の掛け合いです。

細身のいくよと華やかなくるよ

今いくよさんは、細身の体形に濃いメークやつけまつげが特徴的でした。

一方、今くるよさんは、ふくよかな体形と派手な衣装で知られていました。

2人はそれぞれの個性を隠すのではなく、むしろ積極的に漫才の材料にしました。

自分たちの見た目や服装をネタにし、相手をいじりながら笑いに変えるスタイルは、多くの観客に親しまれました。

当時の漫才界では男性コンビの存在感が強いなか、女性2人による本格的な掛け合いで全国的な人気を獲得した点にも大きな意味があります。

今くるよさんと関係者の人物相関表

人物・組織 今くるよさんとの関係 主なエピソード
今いくよさん 相方・高校時代の同級生 同じソフトボール部に所属
今喜多代さん 師匠 1970年に弟子入り
島田洋之介さん 師匠 今喜多代さんとともに師事
中川家 後輩芸人 くるよさんとユニットを組んだこともある
吉本興業 所属事務所 訃報や受賞歴を公式発表
ワッハ上方 演芸文化の資料館 第26回上方演芸の殿堂入りを紹介

特に中川家との関係は、今くるよさんの晩年を知るうえでも重要です。

吉本興業の訃報では、今いくよさんが亡くなった後も、中川家ら後輩芸人の活躍を楽しみに過ごしていたことが紹介されています。

2015年、相方の今いくよさんが先に旅立つ

2015年5月28日、今いくよさんは胃がんのため67歳で亡くなりました。

今くるよさんにとって、高校時代から長く時間を共有してきた相方との別れでした。

コンビとしての活動は大きな転換点を迎えましたが、くるよさんはその後も芸能活動を続けました。

ピン芸人として舞台に立つほか、後輩芸人とのユニット活動などにも取り組み、長年培ってきた芸人としての存在感を保ち続けました。

2人の関係は、漫才の相方という枠を超えた長い友情として、今も多くのファンに記憶されています。

【受賞歴と代表ギャグ】今くるよさんの「どやさ!」はなぜ伝説になった?

今くるよさんを象徴する言葉といえば「どやさ!」です。

お腹をポンとたたく動作や、両手を顔の前で交互に前後させる独特のジェスチャーとともに披露され、本人を代表するギャグとして全国的に知られるようになりました。

「どやさ」の意味は「どうよ」「どうだ」

「どやさ」は、京都や関西で使われる言い回しの一つです。

日刊スポーツの報道では、「どうよ」「どうだ」といった意味を持つ言葉として紹介されています。

今くるよさんの場合、単純に言葉の意味を伝えるだけではなく、表情や動作、登場時の勢いと組み合わせることで独自の芸に仕上げていました。

漫才の途中に突然入れても成立するほど、本人のキャラクターと一体化していたのです。

お腹をたたく仕草も人気の理由

くるよさんの芸は、言葉だけで成立していたわけではありません。

ふくよかな体形や派手な衣装、明るい表情、お腹をたたく動作など、視覚的な要素を積極的に取り入れていました。

日刊スポーツによると、1980年代の「花王名人劇場」への出演を機に、お腹をポンとたたく動作が大きな反響を呼び、人気が一気に広がったとされています。

「どやさ」も、ファンに喜んでもらうために続けてきたサービス精神から、代名詞的なギャグへと成長しました。

今くるよ・くるよの主な受賞歴

今くるよさんと今いくよさんは、漫才師として数々の賞を獲得しています。

吉本興業の訃報で紹介された主な受賞歴は次のとおりです。

年 賞・表彰 受賞内容
1981年 上方お笑い大賞 金賞
1982年 花王名人大賞 最優秀新人賞
1984年 上方漫才大賞 大賞
2023年 第26回上方演芸の殿堂入り 今いくよ・くるよとして選出

花王名人大賞の最優秀新人賞については、吉本興業の訃報では1982年とされています。一方、大阪市の受賞歴資料では第2回の1981年という表記です。受賞そのものは両資料で確認できます。

また、大阪市の資料には1982年の上方漫才大賞奨励賞や、1986年の上方お笑い大賞大賞なども記載されています。

このように、個別の賞の年次表記には資料間の違いがあるものの、1980年代に数々の主要な演芸賞を獲得した実績は明らかです。

2023年「第26回上方演芸の殿堂入り」

2人の功績を象徴する出来事が、2023年の第26回上方演芸の殿堂入りです。

大阪府立上方演芸資料館「ワッハ上方」は、令和4年度の殿堂入りとして今いくよ・くるよを選出しました。

この表彰は、上方演芸の発展と振興に大きな役割を果たし、後進の目標となる演芸人を顕彰するものです。

表彰式は2023年7月27日に開催されました。

2人が積み重ねてきた漫才が、単なる人気芸人としての実績にとどまらず、上方演芸文化に残した功績として評価されたことを示しています。

【最後の舞台は伝説の一日】2022年4月、今くるよさんが残した「どやさ!」

今くるよさんの最後の舞台となったのは、2022年4月に開催された吉本興業創業110周年特別公演「伝説の一日」です。

会場は大阪のなんばグランド花月(NGK)。

吉本興業が公式の訃報で明らかにした最後の舞台であり、芸人として長く立ち続けたくるよさんの活動を振り返るうえで欠かせない出来事です。

車いすで登場し、最後まで「どやさ!」

スポーツニッポンの2024年5月28日の報道によると、くるよさんは2022年4月2日の吉本新喜劇のコーナーに車いすで登場しました。

NGKのステージに立つのは約3年ぶりだったといいます。

そして、舞台で披露したのが、代名詞の「どやさ~!」でした。

体調面について詳細な情報は公表されていませんが、長く親しまれてきたギャグを披露した姿は、最後の舞台を象徴するエピソードとして伝えられています。

「伝説の一日」とは?

「伝説の一日」は、吉本興業の創業110周年を記念して開催された特別公演です。

2022年4月2日と3日の2日間、なんばグランド花月で開催され、吉本興業の歴史を彩る芸人たちが出演しました。

今くるよさんが出演したのは初日の4月2日です。

この舞台が最後になったことは、所属事務所の吉本興業も公式に発表しています。

2025年には追悼公演「きょうはどやさの日」を開催

くるよさんの死去後も、2人の功績を伝える活動は続いています。

2025年3月3日、なんばグランド花月では、今いくよ・くるよの追悼公演「きょうはどやさの日!~ひな祭りはいくよ・くるよと笑いよし!~」が開催されました。

この公演には、吉本興業の大御所から若手まで多くの芸人が参加しました。

中川家は、いくよさんとくるよさんに扮したものまね漫才を披露。会場では、2人が生前に着用していた衣装やつけまつげなどの思い出の品も展示されました。

実は、3月3日は2人が生前、女性芸人たちを集めて食事会を開いていた日でもあります。

その日を「どやさの日」として受け継いだ追悼公演は、2人が後輩芸人や仲間たちからどれほど慕われていたかを示す機会になりました。

2026年現在、今くるよさん本人の新たな芸能活動はありません。しかし、こうした追悼企画や後輩芸人による継承を通じて、残した笑いは現在も語り継がれています。

【プロの結論】今くるよさんが漫才界に残した本当の功績

今くるよさんの功績は、「どやさ」という有名なギャグを生み出したことだけではありません。

注目したいのは、女性漫才師として自分たちの個性を積極的に芸へ取り込んだ点です。

1. 女性漫才師の活躍の場を広げた

今いくよ・くるよは、女性2人による漫才コンビとして全国的な人気を獲得しました。

互いの容姿や衣装を笑いに変えるスタイルは、男性中心のイメージが強かった当時の漫才界で、独自の存在感を放ちました。

2人の成功は、後に続く女性芸人たちにとっても一つの道しるべとなりました。

2. 自分自身の個性を笑いに変えた

今くるよさんの芸には、派手な衣装、明るい表情、お腹をたたく動作、「どやさ」という言葉など、誰が見ても分かる特徴がありました。

こうした要素は、単なる見た目のインパクトではありません。

自分の個性を隠さず、それを観客が楽しめる芸へと昇華させたことに価値があります。

3. 後輩芸人を支える存在だった

吉本興業の訃報では、後輩たちに舞台衣装の靴やスーツをプレゼントしたり、食事をごちそうしたりする面倒見のよさも紹介されています。

本人の芸だけではなく、後輩を応援する姿勢も、長く慕われた理由の一つでした。

2025年の追悼公演に幅広い世代の芸人が集まったことも、その人柄を伝える出来事です。

【今くるよさんに関するよくある質問(FAQ)】

Q1:今くるよさんは何歳で亡くなりましたか?

今くるよさんは2024年5月27日、76歳で亡くなりました。吉本興業の公式発表では年齢非公表ですが、報道各社は76歳と伝えています。

Q2:今くるよさんの死因は何ですか?

死因は膵がんです。吉本興業が2024年5月28日に公表しました。大阪市内の病院で亡くなっています。

Q3:今くるよさんの本名は何ですか?

本名は酒井スエ子(さかい・すえこ)さんです。京都市出身で、1947年6月17日生まれです。

Q4:今くるよさんと今いくよさんはどんな関係でしたか?

2人は高校時代の同級生で、同じソフトボール部の仲間でした。会社員生活を経て漫才の道へ進み、今いくよ・くるよを結成しました。

Q5:今くるよさんの師匠は誰ですか?

今喜多代さん、島田洋之介さんに師事しました。吉本興業の公式発表では、1970年に今喜多代さんに弟子入りしたことが紹介されています。

Q6:「どやさ」とはどういう意味ですか?

京都で使われる「どうよ」「どうだ」といった意味合いの言葉です。今くるよさんは、独特の手の動きや表情と組み合わせて持ちギャグにしました。

Q7:今くるよさんの最後の舞台はいつですか?

2022年4月の吉本興業創業110周年特別公演「伝説の一日」です。4月2日の吉本新喜劇のコーナーに車いすで登場し、「どやさ!」を披露しました。

Q8:今くるよ・くるよは上方演芸の殿堂入りをしていますか?

はい。2023年、今いくよ・くるよとして第26回上方演芸の殿堂入りを果たしました。関西演芸界への貢献が評価されたものです。

Q9:今くるよさんは2026年現在、芸能活動をしていますか?

いいえ。2024年5月27日に亡くなっています。2025年にはなんばグランド花月で追悼公演が開催され、2026年現在もその功績が語り継がれています。

まとめ:今くるよさんの「どやさ!」は2026年も漫才界に生き続ける

今くるよさんは、2024年5月27日、膵がんのため76歳で亡くなりました。

本名は酒井スエ子さん。京都市出身で、1970年に今喜多代さんに弟子入りし、高校時代からの親友だった今いくよさんと漫才の世界へ進みました。

1980年代の漫才ブームを支え、1981年の上方お笑い大賞金賞、1982年の花王名人大賞最優秀新人賞、1984年の上方漫才大賞大賞など、数々の実績を残しています。

2023年には第26回上方演芸の殿堂入りを果たし、漫才界への貢献が改めて評価されました。

最後の舞台となった2022年の「伝説の一日」で披露した「どやさ!」は、今くるよさんらしさを象徴する芸でした。

そして、2025年の追悼公演には多くの後輩芸人が集まり、2人の笑いと人柄を振り返りました。

今くるよさんが残した最大の財産は、誰もが笑顔になれる芸と、後輩たちに愛される人柄だったのではないでしょうか。

「どやさ!」という短い言葉とともに、今いくよ・くるよの漫才は、これからも上方演芸の歴史の中で受け継がれていきます。