市川團十郎家系図を初代から十三代目まで解説|血縁・養子と2026年の成田屋
市川團十郎家系図を理解するうえで押さえておきたいのは、初代から十三代目まで続く名跡の歴史と、実際の血縁関係が必ずしも一致していないことです。現在の十三代目市川團十郎白猿は、十二代目市川團十郎の実子であり、長男の八代目市川新之助へと成田屋の芸と伝統を受け継いでいます。一方、十一代目市川團十郎は養子として市川宗家に入り、十代目も九代目の娘婿という立場から家を支えました。
2026年11月現在、十三代目市川團十郎白猿を中心に、長女の四代目市川ぼたん、長男の八代目市川新之助も舞台や芸能活動を続けています。2022年の親子同時襲名から4年が経過し、成田屋の次世代への継承も注目されています。初代から十三代目までの歴代一覧、血縁と養子縁組の違い、堀越家との関係、歌舞伎十八番、2026年の最新活動まで整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 歴代の團十郎:初代から十三代目まで、約350年にわたって受け継がれてきた歌舞伎界を代表する名跡。
- 現在の家系:十一代目から十二代目、十三代目へと実の親子関係が続き、長男の市川新之助が次世代を担う。
- 2026年の成田屋:團十郎・ぼたん・新之助が舞台で活動。11月には壇ノ浦歌舞伎、12月には歌舞伎座公演が予定されている。
【まず結論】市川團十郎家系図は初代から十三代目までどう続いている?

市川團十郎家は、江戸時代初期から続く歌舞伎の名門です。屋号は成田屋。現在の当主は十三代目市川團十郎白猿で、本名は堀越寶世(ほりこし・たかとし)です。
現代の家系を理解するためには、まず十一代目以降のつながりを押さえると分かりやすくなります。
- 十一代目市川團十郎:十代目市川團十郎の養子。
- 十二代目市川團十郎:十一代目の長男。
- 十三代目市川團十郎白猿:十二代目の長男。
- 八代目市川新之助:十三代目の長男。
- 四代目市川ぼたん:十三代目の長女。
つまり、現在の中心的な継承ラインは、十一代目から十二代目、十三代目へと続く実の親子関係です。その先には、十三代目の長男である市川新之助がいます。
ただし、十一代目はもともと松本家の出身であり、十代目の養子となった人物です。また、十代目は九代目の娘と結婚した婿養子にあたる立場でした。したがって、團十郎家の歴史全体を単純な父から息子への血統だけで説明することはできません。
成田屋公式サイトの家系図でも、初代から十三代目までの各人物について、養子関係や襲名の経緯を個別に紹介しています。
【歴代一覧】初代市川團十郎から十三代目までの家系と継承の歴史
市川團十郎という名前は、単なる個人名ではありません。代々の役者が芸を磨き、家の格式と責任を引き受けることで継承してきた重要な名跡です。
初代市川團十郎が登場したのは17世紀後半。現在の十三代目まで、それぞれの時代に異なる芸風や功績を残してきました。
初代から五代目:成田屋の基礎が築かれた時代
初代市川團十郎(1660~1704)は、江戸歌舞伎に荒事という新しい演技様式を確立した人物です。力強い動き、独特の隈取り、豪快な見得など、現在の歌舞伎にも受け継がれる表現の基礎を築きました。
二代目市川團十郎(1688~1758)は初代の子として伝わり、父の芸を発展させました。『助六』などの演目でも大きな功績を残し、成田屋の芸を確立していきます。
三代目市川團十郎(1721~1742)は、初代の高弟・三升屋助十郎の子で、二代目の養子となった人物です。22歳で亡くなったため、名跡には空白期間が生じました。
四代目市川團十郎(1711~1778)は二代目の養子です。五代目市川團十郎は四代目の実子で、荒事だけにとどまらない幅広い芸域を築きました。
六代目から十代目:血縁と養子縁組が交差する時代
六代目市川團十郎(1778~1799)は五代目の実子でしたが、幼少期に他家の養子となった後、改めて五代目の養子となりました。若くして亡くなり、七代目への継承につながります。
七代目市川團十郎(1791~1859)は五代目の孫です。天保3年(1832)には歌舞伎十八番を制定し、成田屋の家の芸を体系化しました。
八代目市川團十郎(1823~1854)は七代目の息子で、美貌と人気を誇った役者でした。九代目市川團十郎(1838~1903)は、生後間もなく河原崎家の養子となった後、市川家に戻り、明治時代の歌舞伎改革を主導しました。
十代目市川團十郎(1882~1956)は九代目の長女・実子の婿となった人物です。生前は市川三升の名で活動し、没後の1956年、十一代目によって十代目團十郎の名跡を追贈されました。
十一代目から十三代目:現在の成田屋につながる三代
十一代目市川團十郎(1909~1965)は、七代目松本幸四郎の長男として生まれました。1939年に十代目市川三升の養子となり、1940年に九代目市川海老蔵、1962年に十一代目市川團十郎を襲名しています。
十二代目市川團十郎(1946~2013)は十一代目の長男です。1953年に初舞台を踏み、1958年に六代目市川新之助、1969年に十代目市川海老蔵、1985年に十二代目市川團十郎を襲名しました。
十三代目市川團十郎白猿(1977年生まれ)は十二代目の長男です。2004年に十一代目市川海老蔵を襲名し、2022年11月に十三代目市川團十郎を襲名しました。
以上の歴代の生没年や養子関係、襲名経緯は、成田屋公式サイトの歴代紹介と日本俳優協会の記録に基づいています。
【家系図・関係一覧】成田屋の血縁関係と養子縁組を一覧で整理
市川團十郎家系図を読み解く際に、最も注意したいのが血縁と養子縁組の区別です。
歴代の團十郎には、実子から名跡を受け継いだ人物もいれば、養子として家に入り、後継者となった人物もいます。さらに、結婚によって市川宗家と結び付いた人物もいます。
次の表では、十三代までの人物を家系上の位置とともに整理しました。
| 代数・人物 | 生没年 | 血縁・養子関係 | 主な継承上の功績 |
|---|---|---|---|
| 初代市川團十郎 | 1660~1704 | 成田屋の始祖 | 荒事を創始 |
| 二代目市川團十郎 | 1688~1758 | 初代の子と伝わる | 助六などの芸を発展 |
| 三代目市川團十郎 | 1721~1742 | 初代の高弟の子。二代目の養子 | 22歳で早世 |
| 四代目市川團十郎 | 1711~1778 | 二代目の養子。二代目の実子説も伝わる | 五代目へ継承 |
| 五代目市川團十郎 | 1741~1806 | 四代目の実子 | 六代目・七代目へ芸を伝える |
| 六代目市川團十郎 | 1778~1799 | 五代目の実子。五代目の養子となる | 14歳で襲名 |
| 七代目市川團十郎 | 1791~1859 | 五代目の孫 | 歌舞伎十八番を制定 |
| 八代目市川團十郎 | 1823~1854 | 七代目の息子 | 若くして人気役者となる |
| 九代目市川團十郎 | 1838~1903 | 生後7日で河原崎家の養子となり、後に市川家へ戻る | 演劇改良運動を推進 |
| 十代目市川團十郎 | 1882~1956 | 九代目の長女の婿 | 没後に團十郎を追贈される |
| 十一代目市川團十郎 | 1909~1965 | 七代目松本幸四郎の長男。十代目の養子 | 1962年に襲名 |
| 十二代目市川團十郎 | 1946~2013 | 十一代目の長男 | 1985年に襲名 |
| 十三代目市川團十郎白猿 | 1977年~ | 十二代目の長男 | 2022年に襲名 |
この一覧から分かるのは、團十郎の名跡が単純な実子相続だけで維持されてきたわけではないという事実です。三代目、四代目、六代目、十一代目などには養子関係があり、九代目や十代目にも市川家以外との家族関係が関わっています。
十一代目市川團十郎はなぜ養子になった?
十一代目は、もともと市川家の生まれではありません。1909年、七代目松本幸四郎の長男として誕生しました。
その後、1939年に十代目市川三升の養子となります。十代目は九代目の娘婿であり、実子の後継者を持たなかった市川宗家の名跡を守る役割を担っていました。
十一代目は1940年に九代目市川海老蔵を襲名し、1962年に十一代目市川團十郎となりました。つまり、現在の十二代目、十三代目へ続く血縁の系譜は、十一代目が養子として市川家に入ったところから新たに形成されたものです。
十一代目の養子縁組は、歌舞伎の名跡が血縁だけではなく、芸の継承と家の存続を重視して受け継がれてきたことを示す代表的な事例です。
【十二代目・十三代目・新之助】親子三代の血縁と襲名の経緯
現在の市川團十郎家系図を理解するうえで、最も重要なのが十二代目から十三代目、そして八代目市川新之助へ続く親子関係です。
十二代目市川團十郎:十一代目の長男として生まれる
十二代目市川團十郎は1946年8月6日生まれ。本名は堀越夏雄です。
1953年10月、歌舞伎座の『大徳寺』で市川夏雄として初舞台を踏みました。その後、1958年に六代目市川新之助、1969年に十代目市川海老蔵を襲名しています。
そして1985年4月から6月にかけて歌舞伎座で襲名披露公演を行い、十二代目市川團十郎となりました。海外公演にも参加し、歌舞伎の普及にも力を注いだ役者です。2013年2月3日に亡くなりました。
十三代目市川團十郎白猿:十二代目の実子
十三代目市川團十郎白猿は1977年12月6日、十二代目の長男として東京に生まれました。本名は堀越寶世です。
1983年5月、歌舞伎座の『源氏物語』で初御目見得。1985年5月には『外郎売』の貴甘坊を演じ、七代目市川新之助を襲名して初舞台を踏みました。
その後、1999年に『勧進帳』の弁慶を初役で演じ、2004年5月には十一代目市川海老蔵を襲名。歌舞伎界を代表する人気俳優として、国内外の舞台で活躍しました。
2022年11月、歌舞伎座で十三代目市川團十郎白猿を襲名。コロナ禍による約2年半の延期を経て実現した襲名披露は、成田屋にとって大きな節目となりました。
八代目市川新之助:十三代目の長男
八代目市川新之助は2013年3月22日生まれ。本名は堀越勸玄(ほりこし・かんげん)です。
2015年11月、歌舞伎座の『江戸花成田面影』で初御目見得。2022年11月には、父の團十郎襲名と同じ時期に、八代目市川新之助を名乗って初舞台を踏みました。
この親子同時襲名は、十三代目團十郎の誕生とともに、次世代の成田屋を担う役者が正式に舞台名を受け継いだ出来事です。
ただし、新之助は現時点で團十郎ではありません。2026年11月現在の正式な名跡は八代目市川新之助です。将来の團十郎襲名について、具体的な時期や正式な決定が公表されたわけではありません。
市川ぼたんと堀越家の関係
十三代目には長女もいます。2011年生まれの堀越麗禾(ほりこし・れいか)で、舞台名は四代目市川ぼたんです。
2014年3月に初御目見得を果たし、2019年8月の「市川會」で四代目市川ぼたんを襲名しました。舞踊を中心とした舞台活動に加え、映像作品やテレビなどにも出演しています。
ここで重要なのが、十三代目の本名は堀越寶世、長男は堀越勸玄、長女は堀越麗禾という点です。
「堀越」は本名側の名前、「市川團十郎」「市川新之助」「市川ぼたん」は舞台で受け継がれる芸名・名跡です。一般的な名字と歌舞伎の名跡を混同すると、家系図の読み取りを間違えやすくなります。
また、十二代目の長女である四代目市川翠扇(本名・堀越智英子)や、十一代目の長女である初代市川壽紅(本名・堀越治代)も、成田屋と市川流を支える重要な存在です。團十郎家の継承は男性の名跡だけでなく、女性の舞踊や振付の活動によっても支えられています。
【成田屋と歌舞伎十八番】初代市川團十郎から続く家の芸とは?
市川團十郎家を語る際に欠かせないのが、屋号の「成田屋」と、家の芸である「歌舞伎十八番」です。
成田屋の由来は成田山新勝寺との深い縁
成田屋という屋号には、千葉県成田市にある成田山新勝寺との結び付きが関係しています。
成田市観光協会の解説によると、初代市川團十郎は子宝に恵まれなかった時期に成田山不動尊へ祈願し、元禄元年(1688年)に二代目となる男子を授かったという伝承があります。
その後、初代は元禄8年(1695年)に成田山不動明王を演じました。この不動明王の信仰と舞台での演目が、成田屋という屋号の由来の一つとされています。
こうした歴史から、成田屋と成田山は現在も深い関係を保っています。市川宗家が節目に成田山へ参詣する慣習も、その歴史的なつながりを象徴しています。
歌舞伎十八番は七代目市川團十郎が制定
歌舞伎十八番は、成田屋が代々大切にしてきた代表的な演目です。
天保3年(1832年)、七代目市川團十郎が「歌舞妓狂言組十八番」として制定しました。初代、二代目、四代目などが初演し、得意としていた演目を選び、家の芸としてまとめたものです。
十八番の多くは、力強さや豪快さを特徴とする荒事を中心に構成されています。
代表的な演目には、次のような作品があります。
- 『暫』:正義の味方が登場し、圧倒的な力を見せる荒事の代表作。
- 『助六』:江戸の粋と華やかさを備えた成田屋を代表する演目。
- 『勧進帳』:弁慶の知略と忠義を描く作品。
- 『矢の根』:豪快な荒事の魅力を楽しめる演目。
- 『外郎売』:早口のせりふ回しが見どころの演目。
- 『鳴神』:荒事の力強さと物語性を兼ね備えた作品。
- 『毛抜』:奇抜な仕掛けと人物描写が印象的な演目。
そのほか、『七つ面』『象引』『蛇柳』『関羽』『押戻』『嫐』『鎌髭』『不動』『不破』『解脱』『景清』が含まれます。
なお、歌舞伎十八番の18作品すべてを七代目が新しく創作したわけではありません。先祖が演じてきた作品を選び、家の芸として体系化したことに大きな意義があります。
【2026年最新情報】十三代目市川團十郎と成田屋一家の現在
2026年11月現在、十三代目市川團十郎白猿は歌舞伎の舞台を中心に活動を続けています。長男の八代目市川新之助も舞台に立ち、長女の四代目市川ぼたんも舞踊や芸能活動を続けています。
2026年8月:團十郎・ぼたん・新之助の親子公演
2026年8月には、十三代目市川團十郎、四代目市川ぼたん、八代目市川新之助の3人が出演する「伝承への道」が開催されました。
金沢、小松、東京、松山、高知、大阪などを巡る公演で、『鶴亀』『執着獅子』『羽根の禿』『供奴』などを披露しました。
この公演は、團十郎家の伝統を親から子へ伝える取り組みとして注目されます。父親だけでなく、娘と息子の双方が舞台に立っていることも特徴です。
2026年9月:映画『襲名』が全国公開
2026年9月25日には、ドキュメンタリー映画『襲名』が公開されました。
監督は三池崇史。2022年に行われた十三代目市川團十郎白猿の襲名披露を中心に、コロナ禍で約2年半延期された襲名の舞台裏や、成田屋の継承に向き合う團十郎と新之助の姿を記録した作品です。
作品には村上隆が手掛けた襲名披露の祝幕の制作過程も収録されています。さらに、第83回ヴェネチア国際映画祭の公式独立賞「Cinema & Arts Award」で最優秀作品賞を受賞したことも、2026年の大きな話題となりました。
襲名を単なる芸名の変更ではなく、家の歴史や親子の継承という視点から捉えられる作品です。
2026年11月:壇ノ浦歌舞伎に新之助と出演
2026年11月6日・7日には、山口県下関市の岬之町にぎわい広場特設会場で「市川團十郎 壇ノ浦歌舞伎」が開催される予定です。
演目は『延年の舞』と『連獅子』。十三代目市川團十郎と八代目市川新之助が出演する公演で、関門海峡を望む場所で歌舞伎を披露する企画です。
父と息子が同じ舞台に立つことは、成田屋の芸の継承を観客が直接感じられる機会にもなります。
2026年12月:歌舞伎座の十二月大歌舞伎
2026年12月2日から25日までは、歌舞伎座で「十二月大歌舞伎」が予定されています。
成田屋公式の公演スケジュールでは、十三代目市川團十郎の出演とともに、『身替座禅』『与話情浮名横櫛』が演目として掲載されています。
2026年後半の活動を見ると、團十郎は伝統的な歌舞伎の上演に加え、地方公演や親子での舞台、映画などを通して、成田屋の芸を幅広い観客へ伝えています。
【よくある誤解】市川團十郎家系図で間違えやすい5つのポイント
歴代の名前が何度も登場する市川團十郎家では、同じ芸名を持つ人物を混同しやすい傾向があります。特に次の5点は押さえておきたいところです。
1.市川海老蔵と市川團十郎は同じ人物なの?
十三代目市川團十郎白猿は、襲名前に十一代目市川海老蔵を名乗っていました。そのため、現在の團十郎と海老蔵は同一人物です。
ただし、海老蔵という名跡は十三代目だけのものではありません。十一代目は九代目海老蔵、十二代目は十代目海老蔵、十三代目は十一代目海老蔵をそれぞれ名乗っています。
2.十一代目から十三代目まで全員が血縁関係にある?
十一代目は十代目市川三升の養子です。しかし、十二代目は十一代目の実子、十三代目は十二代目の実子です。したがって、十一代目以降の現在につながる父子関係は血縁によるものです。
3.市川新之助は将来必ず團十郎になる?
歌舞伎では、著名な名跡を襲名する際に、まず新之助、次に海老蔵、そして團十郎という名前を順番に受け継ぐことが一般的です。
しかし、これは歌舞伎界における襲名の慣例であり、具体的な襲名時期まで自動的に決まるわけではありません。2026年現在、新之助は八代目市川新之助として活動しています。
4.市川ぼたんは團十郎家の家系に含まれる?
もちろん含まれます。四代目市川ぼたんは十三代目の長女です。男性の團十郎という名跡とは別に、市川流の舞踊や舞台活動を通じて家の芸を受け継いでいます。
5.十代目市川團十郎は生前から團十郎だった?
十代目は生前、市川三升の名前で活動していました。1956年に亡くなった際、十一代目によって十代目團十郎の名跡を追贈されています。つまり、生前に團十郎を襲名した人物ではありません。
【市川團十郎家系図】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:市川團十郎の初代は誰ですか?
A1:初代市川團十郎は1660年生まれで、江戸歌舞伎に荒事を創始した人物です。成田屋の始祖として知られ、現在の十三代目まで続く名跡の歴史を築きました。
Q2:十三代目市川團十郎の父親は誰ですか?
A2:父親は十二代目市川團十郎です。十二代目は十一代目市川團十郎の長男であり、十三代目は十二代目の長男にあたります。
Q3:市川海老蔵と十三代目市川團十郎は同一人物ですか?
A3:はい。同じ人物です。十三代目は2004年に十一代目市川海老蔵を襲名し、2022年11月に十三代目市川團十郎白猿となりました。
Q4:市川新之助は誰の子供ですか?
A4:八代目市川新之助は十三代目市川團十郎白猿の長男です。本名は堀越勸玄で、2022年11月に八代目市川新之助を襲名しました。
Q5:市川ぼたんと市川新之助は兄妹ですか?
A5:はい。四代目市川ぼたんは十三代目の長女で、八代目市川新之助は長男です。2人は実の姉弟にあたります。
Q6:市川團十郎家には養子が多いのですか?
A6:歴代を見ると、三代目、四代目、六代目、十一代目などに養子縁組が関係しています。血縁だけに頼らず、芸と名跡を受け継ぐ人物を迎えてきたことが、成田屋の歴史の特徴です。
まとめ:市川團十郎家系図を理解する鍵は血縁と名跡の違い
市川團十郎家は、初代市川團十郎から十三代目市川團十郎白猿まで、約350年にわたって続く歌舞伎の名門です。その歴史には、実子による継承だけでなく、養子縁組や婚姻による家の継承も深く関わっています。
特に重要なのは、十代目市川三升の養子となった十一代目、十一代目の実子である十二代目、十二代目の実子である十三代目という関係です。そして、十三代目の長男である八代目市川新之助が次世代の成田屋を担っています。
また、長女の四代目市川ぼたんをはじめ、女性の家族も舞踊や舞台を通して伝統を支えています。成田屋の継承は、團十郎という一つの名前だけでなく、家族全体による芸の伝承として捉えることが大切です。
2026年11月現在、十三代目は歌舞伎の舞台や映画などで活動を続け、新之助との親子共演も実現しています。今後の注目点は、新之助がどのような芸を身に付け、いつ、どのような形で次の名跡を受け継いでいくのかという点です。
市川團十郎家系図を見るときは、単に代数や名前を追うだけでなく、血縁、養子、襲名、そして歌舞伎十八番という家の芸を合わせて理解すると、成田屋が守り続けてきた伝統の意味がより鮮明になります。